赤城耕一の「アカギカメラ」
第87回:35年前のLレンズ「EF28-80mm F2.8-4L USM」を買い戻す
2024年2月5日 07:00
フィルムカメラ時代、カメラは売ってもレンズは売るなと言い続けてきました。
ボディを変えても同じフィルムとレンズを使えば、同じ質の写真が出来上がる理屈ですから、新型カメラをあれこれ買い替えるより、気に入ったレンズを長く大切に使うほうが重要だと考えていたわけです。
はい、デジタル時代になってしばらくしたら、そんなことも忘れてしまい、かつて名玉といわれたレンズも平気で手放してしまうようになりました。日々の生活資金に困り……ということもあるのですが、仕事用のツールとして考えると、オールドレンズを使う意味はさほどありません。
最新のレンズでも、オールドレンズでも、少々気に食わない描写をしても、後処理で適当に描写のニュアンスを調整しちゃう、ということができます。あとはフィルムカメラ用として、お気に入りの古いレンズが数本あれば、残りの人生は十分に満足できるくらい年寄りになったという自覚もあるわけです。
と、思っていたのですが、筆者は最近になって、かつて手放したレンズを買い戻してしまいました。これが今回取り上げる、1989年に登場したキヤノンEF28-80mm F2.8-4L USMであります。
そのきっかけとなったのは、先日、昔の写真を整理していて、すばらしく調子のよいプリントとネガを発見したからであります。“調子のよい”というのは即ち「よい写真」という意味ではありませんから念のため。
このプリントを見て「おお! どのレンズで撮影したのか?」という探索が始まりました。
これがライカレンズだったりすると、神話はより深まることになり、取り上げるネタとして堅固になるのですが、ここで、必要以上に“盛る”ことをしないのが、作例写真家の矜持というものなのです。そのレンズが筆者の場合、EF28-80mm F2.8-4L USMだったというわけです。
本レンズの登場は、EOS初のフラッグシップ機「EOS-1」とほぼ同時ではなかったかと記憶しております。おそらくキヤノン標準ズームのフラッグシップという位置だったかと。
この当時、筆者のメインカメラはニコンでしたが、例によって浮気の虫が疼き出し、EOS-1とともにこのレンズをお迎えすることになりました。他に代わるものがなかったということもあります。
レンズ描写の印象など、主観による判断にしかすぎませんが、稀に写真の印象やネガをみて、思い出す機材が筆者にはあります。
これがまた一般的な評価とか、ベンチマークテストや数値計測の結果とは異なる印象を持つことがあるのですが、これが写真レンズの面白さや謎というものなのです。
キヤノンEFレンズのLシリーズの「L」は「Luxury」(贅沢な)の意味であるとアナウンスされていますが、すでにFDレンズ時代からLシリーズは用意されており、一般的なレンズと差別化が図られていました。外観的に鏡筒に巻かれた赤鉢巻がなかなか印象的であります。
EF28-80mm F2.8-4L USMはEFのLシリーズ標準ズームレンズとしては黎明期のものであります。いまでは標準ズームレンズのワイド端は24mmスタートが当然となっていますが、この当時ワイド端28mmスタートということだけで特徴的でした。テレ端は80mmですから、これも大サービスな印象でした。
レンズ構成は12群16枚構成。研削非球面レンズを2枚採用することにより、ディストーションと非点収差の補正を行い、ズーム全域で単焦点レンズ並の高画質化を実現したとあります。
質量はなんと945gもあります。全長は119.5mm、外径はφ84mm、フィルター径は72mmです。鏡筒はものすごく太く、小型の魚雷みたいな印象ですから、鏡筒のデザインは美しくはないのですが、中身が詰まった凝縮感があるのがいいですね。
最短撮影距離は0.75mですが、そのまま切り替え操作なしで0.5mまで寄ることができます。表記にはマクロ領域であることを示していますが、マクロ領域で撮影すると、性能は若干落ちますという警告でしょう。もっとも実写してそれに気付く人はまずいないでしょう。
マニュアルフォーカスはUSMを応用した電子マニュアルフォーカス方式を採用しているので、グリースの詰まったフォーカスリングを回して、フォーカスを追い込むという感じはありませんが、使いづらいということはありません。またレンズ単体ではフォーカスリングは機能しません。
ただ、本レンズはUSMが壊れてしまうと、MFにおいてもフォーカシングができなくなります。こうなれば事実上撮影できなくなるでしょう。キヤノンのメンテナンスは当然終了しており、パーツも存在していません。おそらくカメラ専門の修理業者でも修理は難しいのではないでしょうか。
本レンズの発売時価格は16万円と、性能、品質面はもとよりバブル時期を反映したものでした。当初は受注生産ということなので、本レンズの特別な立ち位置がわかるというものです。
正直、この製品が現代のものでしたら、この大きさ重さとで、筆者は確実に暴れてしまうところですが、私事の戯れ用として買い戻したものですから文句はありません。
もっとも買い戻した価格は、往時の正価の1/5程度でしたから、故障しても、何か問題があっても諦めることができ、傷は浅いと考えたわけです。もちろん誰にでもおすすめできるお遊びではありませんから念のため。
さて、登場から35年を経た本レンズの挙動や描写性能はいかがなものでしょうか。使用カメラはEOS R5に純正のコントロールリングマウントアダプター EF-EOS Rを用いて装着してみました。そう、すでにうちにはEOSのデジタル一眼レフは一台も存在していないのでした。意外とこういうところは冷たい筆者なのでありますが、EOS R5の4,500万画素センサーに、古いレンズを通した光を思い切り浴びせかけてやろうと考えたのです。
AFの動作は現行レンズに比較すれば、それは物足りないでしょうが、筆者は動体の撮影はあまり行わないので問題はありません。古いUSMでもほとんど音がなく動作し、被写体認識や、瞳認識も問題なく機能します。
フィルムカメラ時代のレンズですから、デジタル撮影を前提とした設計ではないため、残存収差が悪さをすることも想定されましたが、収差補正は見事でした。
開放絞りからコントラストが高く、実用性は十分あり、シャープな像を結びます。絞っても周辺域までの像の均質性はよくなりますが、極端な性能変化はありません。このあたりもLレンズらしいところです。
すごいのは色収差補正が良好で明暗差の大きな条件でも、フリンジがほとんど確認できないところです。それでも少しヘンだなと思うのは、焦点距離設定50mm近辺でインフに近い撮影距離の条件では、周辺光量の低下が認められることです、かなり絞り込んだ状態でもこれは確認できるのが謎です。
これはもともとの仕様というものなのでしょうか。フィルムEOSでは気付くことがありませんでした。いや、認識するほど使い込んでいなかったのかもしれないけど。
ただしこれらも要件によって実用性に欠けるほどということではありません。補正は容易ですし、問題になることはないでしょう。でも事実としてお伝えしておくことにします。
本レンズの発売当時の『アサヒカメラ』1990年3月号に掲載されている「ニューフェース診断室」をみると、構成各レンズの丁寧な多層膜コーティング、球面収差の良好な補正、MTFにみる画面の均質性の高さも評価されていますが、筆者がこの当時の記事で注目したのは、ズーミングしたときの機械的なピントの誤差の小さいことです。これは精度の高い設計と、製造工程がしっかりしていることの証明となります。
AFレンズとはいえ、こういったところが描写性能に効くことは間違いのないところです。このあたりも信頼感を高めているのかもしれませんね。
かといってLレンズ以外のレンズが劣るという意味ではなくて、実用的な写りとは関係ないところまで気配りされているような印象を受けるところがLレンズのすごいところであり、本レンズは後継のLシリーズ標準ズームにも大きな影響を与えていると推測されます。
少し残念なことは、本レンズで撮影した画像をキヤノン純正ソフトのDigital Photo Professionalで処理しても、本レンズのデータはデジタルレンズオプティマイザ(DLO)で用意されてはいませんので、レンズ収差の補正処理は行えません。
DLOには生産完了品のレンズデータもたくさん残され、これを反映することができるのですが、本レンズは現時点で生き残っている個体が少なく、愛用者も少ないという判断が下されたのかもしれませんね。たしかに程度のよい個体は中古市場でも減りつつあります
これ、逆に考えてみると、補正データがなくても、実用上は十分という考え方があるのかもしれませんね。
本レンズの系譜はEF24-70mm F2.8L USMとかEF24-105mm F4L IS USMなどに続いてゆくわけです。いずれも数値上の性能では本レンズを凌駕していますが、個人的な判断として、本レンズを超えたという印象を持つものはありませんでした。これも主観ですが、本レンズはEFマウントの標準ズームレンズの基準となっていることは間違いないでしょう。
残存収差が目立ち、周辺域の描写がヘン、あるいはボケにクセがあるなどの特性を生かして作画をしてゆくという趣味を否定はしません。ただ、今回はオールドレンズの描写を楽しむというより、描写性から記憶をすくい上げることができるレンズが過去にあったということを自分で検証、確認してみたわけです。これは間違いではないことがわかりました。
筆者は先達の知恵がしっかりと次世代に生かされたというニュアンスが感じられれば、そのレンズは十分に合格と考えています。EFレンズはいずれも、EOS Rシステムにストレスなく生かすことのできる互換性もあるわけですし、今後の研究素材としてはもってこいのものばかりです。
自分で撮影して気に入った写真で使用したレンズは、世間の評価はどうあれ、すべて名玉と断言してよいと筆者は考えています。こうなると現在進行中のレンズ断捨離への気持ちが折れそうになりますけど、これも事実ですから仕方がない。新しいものを用意することなく、いまあるものでやってゆくという考え方も見識のひとつであります。
なお本連載では読者のみなさまに、“壊れてしまったら修理不能になるカメラ機材”を特に推奨しているわけではありませんので念のため(笑)。