写真を巡る、今日の読書
第37回:映画・アニメ・音楽…自分のカルチャー遍歴を掘り起こす
2023年7月12日 07:12
写真家 大和田良が、写真にまつわる書籍を紹介する本連載。写真集、小説、エッセイ、写真論から、一見写真と関係が無さそうな雑学系まで、隔週で3冊ずつピックアップします。
自分のカルチャー遍歴を掘り起こす
時代ごとの音楽や映画、あるいは漫画、アニメなどのカルチャーというものは、身体の奥深くまで染み込んでいて、ふいに再会するようなことがあると、その当時の感覚や記憶が急激に蘇ってくるような気がします。
まるで、引っ越しの片付けの途中に古い写真アルバムを発見したときのようなもので、ついでに当時経験した他の作品まで深掘りしてしまって、しばらくの間SpotifyやYouTubeなどで検索し続けることになります。そこには、現代の最新作を追うこととはまた違った楽しみがあるように思います。
今日は、そんな自分のカルチャー遍歴に基づいた記憶を丁寧に掘り起こしてくれるような書き物をいくつか紹介したいと思います。
『タイポグラフィ・ブギー・バック: ぼくらの書体クロニクル』正木香子 著(平凡社・2023年)
一冊目は、『タイポグラフィ・ブギー・バック:ぼくらの書体クロニクル』です。タイトルからして、小沢健二とスチャダラパーによる「今夜はブギー・バック」を思い出させるもので、それを書体に基づいてクロニクル(年代記)としてまとめるという切り口には、読む前から際立ったコンセプトが感じられます。
ページを捲ると、期待通り、話は1994年にリリースされた同曲の解説から始まります。印刷においてDTPが使われ始めた黎明期における<太ゴ>や<カソゴ>といった書体とポップカルチャーの関係が語られるこの始まりの勢いそのままに、話題は、「NANA」や「ハチミツとクローバー」、「週刊少年ジャンプ」といった漫画や、「SWITCH」、「リラックス」などの雑誌、さらには「椎名林檎」「ハリー・ポッター」、「古畑任三郎」へと流れていきます。
90年代から00年代のカルチャーを支えた書体は、確かに当時の視覚的な記憶を支えているものであり、文字もまた、記憶を刺激するトリガーなのだと深く実感する一冊でした。
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『みうらじゅんの映画ってそこがいいんじゃない!』みうらじゅん 著(洋泉社・2015年)
二冊目は、『みうらじゅんの映画ってそこがいいんじゃない!』です。本書は『そこがいいんじゃない!みうらじゅんの映画批評大全1998~2006』、『同2006~2009』の続刊として出版されたもので、年代的に前の二冊の方が気になるという方もおられるかもしれません。一冊目で00年代までを取り上げた本をご紹介したので、ここではちょうどその後の2010年代を取り上げた本書を選ぶことにしました。
基本的な構成は、みうらじゅんによるそれぞれの映画タイトルにまつわる、様々な時代を横断するカルチャー雑談によって進められていきます。目次を見ると、「第9地区」、「エクスペンダブルズ」、「ザ・レイド」、「ジャンゴ 繋がれざる者」、「アナと雪の女王」など実際に映画館で観た記憶のある映画もあり、これらをつまみに展開される批評というか噺を楽しむことができました。
映画を観終わった後に一杯やりながら会話を交わすような、軽やかなポップさに溢れた一冊になっています。
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『蘇える変態』星野源 著(マガジンハウス・2014年)
今回最後に紹介するのは、『蘇る変態』です。2011年から2013年まで雑誌『GINZA』で連載していた原稿に加筆修正と書き下ろしを加えて構成されたエッセイです。ちょうどファーストアルバムを出す頃の話が展開されており、ソロで歌手としてデビューするまでの作詞作曲にまつわる様々な話題が散りばめられています。
全体的にポップで明るいエッセイですが、後半は2012年末にくも膜下出血で倒れてから、治療、再発、手術を通した一切に触れています。星野さんはその当時、私の友人が主宰する音楽レーベルに所属していたこともあり、私自身もその状況を聞いていて、改めて文章として触れるとより生々しく、肉体的、精神的な痛みと闘いが感じられるようでした。歌手、俳優、文筆家として華々しく活躍するその影にある、一人の人間としての物語が強く感じられるエッセイでもあります。
前半部分では、様々なポップカルチャーに触れた話題が多く、同世代的な感覚で時代ごとの空気感が所々で感じられるため、30代後半から50代前半の読者の方には、共通する記憶も多いのではないかと思います。