写真を巡る、今日の読書

第25回:今年こそ、「写真論」

写真家 大和田良が、写真にまつわる書籍を紹介する本連載。写真集、小説、エッセイ、写真論から、一見写真と関係が無さそうな雑学系まで、隔週で3冊ずつピックアップします。

写真を少し深く読めるように…

新年を迎え、今年こそ「写真論」に手をつけてみようという読者も少なからずいらっしゃることと思います。今回は、最も代表的な三冊の写真論を紹介したいと思います。

写真を芸術や学問、哲学として捉えて勉強されたことのある方にとっては、だれもが一度はその解説を何かの講義や文章で触れた経験があるタイトルだと思います。いつかは読もうというリストに入っているという方もいらっしゃるでしょう。少なくとも、プルーストの『失われた時を求めて』や司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読破するよりは短時間で読めるかと思いますので、この機会に是非手に取って頂きたいと思います。

「写真論」を読んでも写真が上手くなるわけではありませんが、写真を少し深く読めるようになることはあります。特に、優れた造形や美しいトーンが再現されたわけでもなく、単に街並みや人が写っているだけだとか、何の変哲もない森が写っているといった、作者の意図が一目では明確に読み取れない写真を見るときには、「写真論」に触れたことがあるとないとでは、感じ方がずいぶん変わるのではないでしょうか。

結果的に自分が世界を眺める視点も変わり、撮る写真も変わるかもしれません。「写真論」というのは、時にじわりと心の奥に潜み込み、視点や思考を変化させる、不思議な作用をもたらすことがあります。

『明るい部屋―写真についての覚書』ロラン・バルト 著(みすず書房・1997年)

一冊目は、ロラン・バルトの『明るい部屋』。最も有名な写真論と言えるかもしれませんね。私が学生の時にも、この本を題材にしたレポートを求められた経験があります。

ストゥディウムとプンクトゥムといった概念や、「それはーかつてーあった」というあらゆる写真に関するノエマ(写真として判断されるもの、思考されるもの)が取り扱われた写真論として知られているため、いかにも難解なイメージを持たれている方もいらっしゃるかもしれません。

確かに第一章から読み始めると、専門的な用語や哲学的な言葉使いが多いのですが、第二章は少し語り口が変わり、論文的というよりもむしろ小説のような親しみやすさが感じられるようになります。バルト自身が、母の喪失に際して残された写真をその材料として写真について語るものであり、詩的な美しさや情感が含まれた文章によって展開されます。

「それはーかつてーあった」とは、何を指しているのかが物語として理解できると思います。個人的には、まず第二章から読み進めるというのも、ひとつの方法としておすすめです。ちなみにあとがきまで読み進めると、プルーストに関しても興味が出てくる本でもあります。

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『写真論』スーザン・ソンタグ 著(晶文社・2018年)

二冊目はスーザン・ソンタグによる『写真論』です。原題は『ON PHOTOGRAPHY』。1977年に出版された写真論です。バルトの『明るい部屋』が1980年の出版ですから、ほとんど同時代の感覚で記されたものだと考えて良いでしょう。

いくつかの章立てに分かれ、各時代の写真家と作品について紐解いていますが、常に熾烈な言葉による批評を展開しつつ、当時の現代写真への流れが分析されています。文学的な表情の豊かさという点ではバルトと共通するところがありますが、その表情そのものは全く逆と言っても良い印象で、バルトの静けさに対してソンタグの文章には非常に躍動的な激しさが感じられるのではないかと思います。

エドワード・スタイケンの「人間家族展」を頂点とした50年代のヒューマニズムに対して、70年代反ヒューマニズム的メッセージを携えた、ダイアン・アーバスなどの新たな写真家の登場と重要性。形式主義的な古典的美学への批判。激しく、それでいて非常に的確な言葉によって様々な主張や考察が、緻密かつダイナミックに展開されていきます。

熱がある上に正しく、論理的なだけに、2000年代に読んだ学生時代の私などはむしろ叱られているようで身構えてしまうところがあったのですが、改めて読み込めば非常に理解しやすく、「写真論」を組み立てるための教科書としても非常に有効であると感じられます。その点で、写真を論じるための例として大変参考になる本だと言えるでしょう。

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『図説 写真小史』ヴァルター・ベンヤミン 著(筑摩書房・1998年)

最後は、ヴァルター・ベンヤミンによる『図説 写真小史』です。1931年に発表された文章であり、当時隆盛した即物的・客観的な新興写真の時代と重なるものになっています。ソンタグの『写真論』などその後の論説でも多く引用されるように、当時の写真論、写真史を紐解く書物として最も重要な一冊となっています。

芸術という観念が、写真や映画という新しい技術によって揺り動かされたその変化を「アウラの崩壊」として論じ、写真というメディアの新たな可能性や働きについて、多くの写真家や作品を例にしながら語られた写真論です(「アウラ」という概念自体については、同じく写真研究者の必携の書となっているベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』に詳しい)。

本文に合わせて、参考となる重要な写真が多く掲載されているため、実際に作品を参照しながら読むことができるのも嬉しいところです。また、本編の後には、文章のなかで大きく取り扱われているウジェーヌ・アジェやカール・ブロスフェルド、アウグスト・ザンダーといった写真家たちの写真集における序文が資料として収録されているため、合わせて読むことで当時の写真芸術の流れを照らし合わせて考えることができます。

大和田良

(おおわだりょう):1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスエリゼ美術館による「ReGeneration.50Photographers of Tomorrow」に選出され、以降国内外で作品を多数発表。2011年日本写真協会新人賞受賞。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『写真を紡ぐキーワード123』(2018年/インプレス)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)等。東京工芸大学芸術学部非常勤講師。最新刊に『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)。