サンディスク・エクストリーム・チームに聞く「スポーツ写真の世界」:戸村功臣編

Reported by市井康延

 7月27日、ロンドンオリンピックが開幕する。これからアスリートたちのドラマが報道され、多くの人を熱狂させるに違いない。そこで重要な役割を果たしているのがカメラマンだ。スポーツという筋書きのないドラマの中で、かけがえのない一瞬を切り取り、言葉では伝えられない物語を封じ込める。写真が持つ重要なエッセンスがそこにはある。そこでサンディスクがサポートするエクストリーム・チームのメンバー5名にインタビューし、スポーツ写真の魅力、醍醐味を紹介する。


戸村功臣氏

アメリカでの生活は12年を超す

 戸村功臣さん(アフロスポーツ所属)が目指す1枚は「カッコいい写真」だ。日本語でいうと、彼が言いたいニュアンスは伝わりづらいだろう。英語でいえば「COOL」だ。

「カッコいい写真は見た瞬間に伝わるし、いつまで経っても古くならない」

 戸村さんは15歳の時からアメリカ・カリフォルニア州に留学した。スノーボードに魅せられ、プレーヤーからカメラマンへと変わった。

「カッコいい1枚。その頃から、僕にとって一番しっくりくる表現でした」

 留学先はレイク・タホ。標高約1900mの場所に位置し、湖畔リゾートであり、西側には1960年の冬季オリンピックが開かれたスコー・バレーがある。最初は2〜3カ月のサマースクールに参加したが、アメリカでの生活があまりにも楽しく、こちらの学校に通うことを決めた。

 結局、15歳から27歳まで、レイク・タホで生活することになる。

「最初、写真は全く関係ありませんでした。スノーボードに夢中で、学校にいる以外の時間は、ずっと雪の上にいました」

 その後、シエラ ネバダ カレッジでファインアートを学ぶ。そこでの必修科目の選択の一つにフォトグラフィーがあった。

「絵画とか、ほかのアートより、写真の方が短時間で課題がこなせそうだと判断して選んだんじゃなかったかな」


写真がよい小遣い稼ぎに

 冬季五輪の会場になった場所だけに、近くにはトップクラスのスキーヤーやスノーボーダー、そしてその卵たちがたくさん住んでいた。プロを目指す若者たちは、まずスポンサーを探す。日本と違って、アメリカのスキー、スノボ市場は右肩上がりで、常に新しいスターを求めているのだ。

「そのプレゼン資料用に写真は欠かせない。僕はカメラを持っていたから、友人と撮ったり、撮られたりしていました」

 そのうち戸村さんが友人の滑走シーンを撮影した写真は、雑誌や企業の広告に使われるようになり、よい小遣い稼ぎになった。

「実際、あの頃の方が今よりお金を持っていましたね(笑)。僕自身、最初はプロボーダーを夢見ていたけど、大学の終わりごろには撮っている方が楽しくなっていた。それでも今思い起こすと、レイク・タホでの生活が良くて、山の上に残る選択肢としてカメラマンを選んだのかもしれない」


記憶に残る撮影

 そんな頃、いまだに一番記憶に残る撮影を経験した。レイク・タホにはいくつも岩場があるが、地元で伝説的な場所があった。

「岩の高さは30m近くあって、これまでに何人かのスキーヤーがそこからのジャンプに挑戦したという話です。飛べばローカルヒーローになれて、しばらくは街のどのバーに行ってもタダ酒が飲める(笑)」

 大雪が降ったある朝、仲間内でそのチャレンジ話が持ち上がり、戸村さんは撮影を引き受けた。滑降地点を考え、岩場の下に向かうと、新雪に胸まで埋まり、身動きが取れない。

「ジャンプは成功したけど、そのまま雪に埋もれてしまった。着地点に雪が積もり過ぎて、斜度が全くなくなっていたんですね。カメラを放り出して、必死に助け出しましたが、本人は気絶したまま窒息死しかけていました」

 この事件は、戸村さんにとって衝撃的で、その後、しばらくは、カメラを持てなかったそうだ。ただし、撮影の方は成功。伝説のジャンプのテイクオフから雪に埋まるまで、ばっちり撮れていたそうだ。


自分の絵を作る

 スキー写真の第一人者であるビル・スティーブンソン氏の手伝いをしながら、プロのノウハウを学んだ。レイク・タホを拠点にプロとして活動し、日本のスキー、スノボ雑誌にも写真や記事を掲載していた。

「ずっと一人でやってきたせいか、ふと会社に属してカメラマンをやってみたいと思ったんです」

 日本の雑誌の編集者の紹介でアフロスポーツを紹介され、2000年に入社した。ウインタースポーツを中心に撮ってきたのが、一転してあらゆるスポーツを撮ることになった。

「エレファントポロこそ撮っていませんが、初めて聞く競技もいくつもありました。アジア競技大会(アジアオリンピック評議会主催)に一時期、チェスが入っていたのをご存知ですか? そのほかボーリングやカバディとか、いろいろ撮りました」

 知らない競技を撮る時、無理やり事前に知識を詰め込むことはしないという。ルールとか、知っていた方が撮影には確実に有利だろうけどと苦笑いしながら、でも自分はあまり勉強していかないという。

「スポーツ報道の場合、ポジションが与えられ、その中で撮る。大事なのは、そこにある光を使って、いかに自分の絵を作るかですから」

 現場を見て、その中でいかにカッコいい一瞬を見つけて、つかまえるか。戸村さんにとって、ルールを学ぶより大事なものがあるのだ。


凄い一瞬がまだまだある

 スポーツ写真の醍醐味の一つは、速い動きの中で見えない一瞬をとどめて見せてくれることだ。ただ、そこで選ばれるシーンは、例えばシュートの瞬間であったり、決定的なひとコマであることが多い。

 戸村さんの話を聞いていると、彼が狙っているのはもっと幅広い。一見、ドラマ性のない動きの中にも、心躍らせる光景が潜んでいる。そう確信し、それに挑んでいるようだ。

「当たり前に見ていて、見過ごしているところでも、角度によって見え方、印象ががらっと変わります。しばしば見かけるイメージの、次の瞬間にもっとよい光景が現れることもあります」

 戸村さんは偶然、写した中にそれを発見することも、レンズをのぞいている時に、気づくこともある。その一つのイメージに刺激され、また違うシーンを模索していくのだ。

 そこには10代半ばから10年以上、世界のトップクラスのスキーヤー、スノーボーダーを追うことで育まれた反射神経、感性が生きている。水谷章人氏やアフロ代表の青木紘二氏をはじめとするカメラマンは、アルペンのダウンヒルで腕を磨いた。今も岩場の陰から突然、飛び出してくる選手を瞬時に撮影するのは至難の技だ。

「AFでも追えないスピードで、音だけを聞いて反応する。当時の機材で撮っていた大先輩方は凄い。ただ、今はカメラの性能がよいので、何回かやれば近づけると思います」

 ただそんな戸村さんが苦手という競技がバレーボールだ。

「スパイクの瞬間、僕もフェイントに引っかかってしまうことが少なくない(笑)。でも実際、専門で撮っている人以外で、バレーボールが得意って人は聞いた事がないんですよ」

 戸村さんのショット数は少なく、約2時間のサッカーの試合で1,000カットあるかないか。メモリーカードは16GBで充分足りる。

「メモリーカードでのトラブルは一度も経験していないので、考えに上らないほど安心しきっています」

 戸村さんの意識は撮影中、コンマ何秒の光景の中に秘められたドラマを感じ取っている。見慣れたスポーツの中にも、見たことのない凄い一瞬がまだまだたくさんあるのだ。






2012/5/23 00:00