サンディスク・エクストリーム・チームに聞く「スポーツ写真の世界」:竹内里摩子編
7月27日、ロンドンオリンピックが開幕する。これからアスリートたちのドラマが報道され、多くの人を熱狂させるに違いない。そこで重要な役割を果たしているのがカメラマンだ。スポーツという筋書きのないドラマの中で、かけがえのない一瞬を切り取り、言葉では伝えられない物語を封じ込める。写真が持つ重要なエッセンスがそこにはある。そこでサンディスクがサポートするエクストリームチームのメンバー5名にインタビューし、スポーツ写真の魅力、醍醐味を紹介する。
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竹内里摩子氏 |
■新体操のオーラに導かれ
竹内さんの写真家としての第一歩は、1980年、国際優秀選手招待 新体操競技大会からだ。進路に悩んでいた高校時代、写真が好きだったことを思い出し、知人の紹介で競技場に足を運んだ。
「関東大会レベルでしたが、私自身、陸上をかじっていて、速く走る、遠くに飛ぶのがスポーツだと思っていました。『演技する』新体操は、どこかスポーツらしからぬという思い込みがあって、斜に構えて見ていたんです(笑)」
出場していたのはブルガリア、ソ連、チェコスロヴァキア、そして日本のトップ選手たちだ。初めて見た彼女たちの動きに何故か残像が感じられ、その発するオーラに引き込まれた。
「陸上競技にはない魅力です。そのオーラの正体をつかみたくなって、スポーツカメラマンになろうと決めました」
だが、当時も今も、競技場に女性カメラマンの姿はあまり見かけない。
「日本では、オリンピックの前年くらいから取材陣に女性の姿が増えてきます。終わったら、いなくなりますね」
竹内さんは30年余、新体操と体操を中心にキャリアを重ねてきた。その実績と国内外での人脈はスポーツ報道に関わるフリーのプレスには知られ、今年、会員からの投票で選ばれる日本スポーツプレス協会の理事に就任している。
■写真集を見てフォートキシモトへ
進路を心に決めた竹内さんは、書店に行き、スポーツの本を探した。1冊だけ見つけた写真集の中で、岸本健氏が撮った写真に目がとまった。
「体操選手のごつごつした手のひらを撮っていた。この人だったら、オーラの正体を探したい私の気持ちをわかってくれるんじゃないかって直感しました。一方的な思い込みですけど」
岸本氏は日本初のスポーツ専門フォトエージェンシーである(株)フォート・キシモト(1966年創設)の代表だ。カメラマンになりたいと、手紙に熱い思いを綴った。
「ただ岸本さんは海外ロケに出ていて、その手紙を見ていなかったそうです。返事がないので4通出し、ようやく返事をいただけました」
面接は3~4時間にわたり、ずっと「大変だから止めなさい」と言われ続けた。結果、岸本氏が根負けし、その日から通うことになった。最初の仕事は暗室作業で、バライタ紙の水洗だったそうだ。
約3年間、フォート・キシモトではあらゆるスポーツを撮影したが、唯一、アイスホッケーだけはNGだったとか。
「何かが飛んできても、カメラマンは最後まで撮ろうと向かってしまう。先輩カメラマンが試合中、パックがレンズにぶつかり、視力が3カ月、戻らなかった事故が起きたんです。だから私はフリーになると、まずアイスホッケーを撮りに行きました」
■大事なのはリズム
フォート・キシモトに入ってすぐから、仕事が終わると、大学へ新体操選手の夜練を撮影に行き始めた。彼女たちは穴のあいた練習着で、髪を結んだだけの姿で練習に汗を流している。
「ある選手の試合中、『練習でこの子はここでいつも失敗していたな』と思い、一瞬、見入ってしまったことがあって、自分でもハッとした。冷静な眼が曇る様ではダメだと気づき、練習に行くを控えたり、試行錯誤を繰り返していました」
撮影で一番重するポイントは、選手とのリズムを合わせることだという。跳躍の瞬間など、緊張がみなぎる一瞬を一緒になって感じとることで、自分の撮影リズムを同期させていく。
「選手の顔つきや、身体から発するパワーが、次の動きを予測するヒントになります。演技内容がある程度、わかっていても、全く同じ動きはしませんから、毎回、その場の流れを読んで撮っていくしかないんです」
選手のリズムを読み、一瞬を狙う。その最高の瞬間を写真にとどめるためには、起きることを予測して、シャッターを切らなくてはならない。
「感知するタイミングが『来た』から『来る』に自然と変わってきています。0コンマ何秒の差なんでしょうがね。選手たちも演技を究めているけど、カメラマンだって究めているんですよね」
■1分半でマックスは50カット
竹内さんは撮影の日、競技場に開始の2時間から2時間半前には入るという。選手、そして観客を迎え入れることで、その日の場の雰囲気を自分の中に取り込んでいく。選手のリズムを読む準備は、ここから始まっているのだ。
新体操の競技エリアは13m四方で、演技時間は1分半。世界選手権は2ヵ所を用意し、交互に演技を行なう。両エリアに挟まれた場所を取れればいいが、両サイドで撮ることになると、1分半ごとに機材を抱えて走ることになる。
「アップと全身が欲しいので、一脚に2台のカメラを装填して撮ることもあります。撮影中、カメラを床に置く時間すら、もったいないからです」
一時期、竹内さんが標準レンズとして愛用していたのはニコン300mm F2だそうだ。ボディとの重量は8kgを超す。
「少しでも明るいレンズが欲しくて購入しました。限定100本の幻のレンズで、ニコンのサービスマンでも、このレンズを直接見たことのない人が何人もいました」
大規模な大会では、試合が朝から晩まで続く。
「世界選手権では時折、100位以下の選手が大会プログラムで必要な時があります。そんな時、彼女を撮っているカメラマンは私以外、いません」
一つの演技中、撮れる選手で最大50カットほど。時には最初と最後の2カットしか切れないこともある。竹内さんの眼は深く厳しく、演技中の選手の指先や、足運びにも注がれている。
「撮りながら、あんな演技をしていたら、後でコーチに怒られるぞとか思ってしまう(笑)」
ただ決勝に進む選手にも、予選通過が危ぶまれる選手にも、同様にシャッターを切る。撮影枚数は多い日で、2万カットに上るそうだ。
■写真集が一つの節目に
ロンドンオリンピックは国際体操連盟(F.I.G.)のオフィシャルカメラマンとして撮影に行く。竹内さんは昨年、30年の集大成としてまとめた新体操報道写真集「Everlasting Heroine1980-2010 終わりなきヒロイン」(文藝春秋刊)を出版し、同書はF.I.G.から表彰を受けた。その評価が今回のオフィシャル認定につながったのだ。
初めて撮影したオリンピックは2000年のシドニーだった。今回は体操、新体操、トランポリンを取材するが、竹内さんが注目する選手の一人は体操の内村航平選手だ。
「技術を極めるために、体操漬けの人生にしている。彼には究極の職人気質があって、そこがとても興味深い。優勝候補の筆頭ですね」
竹内さんの興味は最近、競技中の選手から、観戦に来た子どもなどにも広がってきた。写真集を編み30年の軌跡を振り返る中で、気持ちの片隅にあった「普通の事に感謝する気持ち」が強く、明確に意識されてきたからだ。
「親にならない人はいても、皆んな誰かの子どもだったんですよね。そんなことからも、原点は子どもにあるのかなって思います」
選手の強さ、才能の多寡はもちろんあるが、一人一人未知の可能性を潜ませている。選手と一定の距離を保ち、冷静に観察しながら、温かく見守る。竹内さんの写真からは、そんな独特の世界観が感じられる。
2012/5/22 12:39