サンディスク・エクストリーム・チームに聞く「スポーツ写真の世界」:藤田孝夫編

Reported by市井康延

 7月27日、ロンドンオリンピックが開幕する。これからアスリートたちのドラマが報道され、多くの人を熱狂させるに違いない。そこで重要な役割を果たしているのがカメラマンだ。スポーツという筋書きのないドラマの中で、かけがえのない一瞬を切り取り、言葉では伝えられない物語を封じ込める。写真が持つ重要なエッセンスがそこにはある。そこでサンディスクがサポートするエクストリーム・チームのメンバー5名にインタビューし、スポーツ写真の魅力、醍醐味を紹介する。

 5人とも共通しているのは、スポーツという極限状況に挑む人間への興味が出発点になっていることだ。それ以外はアプローチの仕方はもちろん、とどめたい一瞬もそれぞれ異なる。スポーツ写真は、始まりであった報道という限られた役割から、急速に進化し始めているのだ。5人目は、1988年のカルガリー大会よりオリンピックを取材してきた藤田孝夫さんに話を聞いた。


藤田孝夫氏

スポーツをする人間に興味がある

 スポーツに挑み続ける人間を撮りたい。それが藤田さんがプロカメラマンという職業を選んだ理由だ。それは今も全く変わらない。

 プロスポーツより、アマチュアスポーツが好きで、団体競技より個人競技が好きだ。それは、その方がより人間が明確に見えてくるからだ。

「アスリートたちを撮る以外、カメラは持ちたくないんです。昔、兄の結婚式で撮影を頼まれましたが、断りました。自分でも依怙地だと思うのですがね(笑)」

 アマチュアスポーツの頂点は当然、オリンピックだ。専門学校で写真を学び始めた時から、この大舞台を目標の一つにしてきた。そこで五輪をはじめ、国際大会を撮影するフォート・キシモトに入社した。

「ゼミの恩師の紹介です。在学中から働き始め、学校は中退しました」

 会社の方針でもあり、すぐに現場に出て撮影を始めた。

「今ほどカメラマンの数はなかったと思います。周囲のカメラマンは、右も左もわからん奴が何やっているんだと思って見ていたでしょうね」

 そんなプロの現場にも藤田さんは物怖じすることなく、魅力的なアスリートを求めて、フォーカスを合わせていった。


記憶を写真でとどめる

 フォート・キシモトには1986年から1990年まで在籍した。その間、あらゆる競技を撮影してきた。その間、スタッフフォトグラファー、1991年からはフリーランスとして報道写真をこなしつつ、一人ひとりのアスリートを長く見続けることを大事にしてきた。

「種目で分けて考えたことはありません。一人の選手がデビューして、それぞれの軌跡をたどる。その過程を追うこと、彼らの記憶を記録としてとどめたいという欲望ですね」

 スポーツ写真でも多彩な表現が試みられるようになってきたが、藤田さんにとっていわゆる「アート的表現」は興味がないという。まずはきちんと記録するために何ができるかを考え、その後、どう撮るかといったアングルなどがついてくる。

 藤田さんのアンテナが捕捉している選手は100人を超すそうだ。そして、まれに何人も引退を決めた選手が、公表前、藤田さんにそのことを告げにきたことがある。

「選手から見れば、僕はカメラマンという風景の中に紛れた一人だと思います。その中で、何人かにでも個として眼に映っていたのが嬉しい」

 写真を介して、一定の距離をつかず離れず、見続けてくれるカメラマンという存在は、あるアスリートにとっては大事なものだったのだろう。

「試合の前後、少し軽口を交わすことはしますが、踏み込んだ付き合いはしません。選手には、僕らが入ってはいけない絶対的な聖域がありますからね」



ロンドンでの最注目選手は

 藤田さんが興味を持って追い続けた選手の一人に、水泳の千葉すずさんがいる。オリンピックのメダル候補(1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会に出場)で、彼女は徹底した取材攻勢を受け、マスコミ嫌いになった選手だ。

 その彼女が藤田さんの撮影は受け入れた。1990年、千葉選手が初めて国際舞台を踏んだ北京でのアジア大会から、完全に引退する2000年まで撮影している。スポーツジャーナリストの生島淳氏と藤田さんの共著「すず」(2001年、新潮社刊)で、生島氏は「(初めての取材で)千葉さんがこれだけ話してくれたのは、藤田さんがいたからだろう」と記している。そして千葉さんも、あとがきでカメラマンへ謝辞を贈っている。

 今回のロンドンオリンピックで、藤田さんが最も注目する選手は北島康介選手だ。水泳平泳ぎで、世界初となる2冠三連覇を狙う偉業ももちろんだが、彼が持つストイックな部分と、時折顔をのぞかせる狂的な部分に強く惹かれてきたのだ。

「日本選手権での復活を見て、三連覇をやれるんじゃないかという気もします。ただ彼が100%のパフォーマンスをしても、それ以上の選手が出るかもしれない。こればかりは、簡単に断言はできませんね」


大事なのは予測する能力

 カメラマンが速い被写体を捉えるために必要なのは、瞬発力でなく、予測力だと藤田さんは言う。撮るために、被写体を追いかけたら「アキレスと亀じゃないですが、絶対に追いつけません」と笑う。

 選手がどのような動きをするか、予測して、そこでシャッターを切る。

「撮影技術も必要ですが、大事なのは予測力でしょうね。それは経験によって、より長けていきます」

 ちなみに藤田さんの場合、400mmが標準レンズといい、300mmまでは手持ちで撮る。技術的には、バランスのコツをつかみ、きちんとカメラを持って構えることだけだという。

「計算した通りに競技が運び、撮影できれば仕事としては良い。けれどカメラマンとしては、そこで想定外の事が起きて、なおかつそれがフォローできた方が嬉しいですね」

 藤田さんが指す「想定外の事」は、試合中のちょっとしたアクシデントなどではなく、例えばバルセロナオリンピックで岩崎恭子選手が金メダルを獲ったといったことだ。2004年のアテネオリンピックで、柴田亜衣選手が800m自由形で優勝した時も、藤田さんは現場にいた。彼女もノーマークだった選手だ。

「その前に自転車競技を撮影し、慌てていてその画像を消してしまったんです。気が動転したまま競技が始まり、思ってもいなかった彼女がぐんぐん伸びていく。動揺しまくって、心の中で『何、速く泳いでんだよ!』って毒づいていました」

 さて、ロンドンでの北島康介選手はどうか? いずれにしても、語り尽くせないドラマを秘めた1枚が見られることだろう。


メディアが変えるスポーツ写真の将来

 陸上競技の100mで、1レースの撮影枚数は300〜400カット程度だという。スタート前とゴール後を含めての数字だ。

「ゴールの瞬間など、予測以外の動きがあった時、余分に撮り続けなければならなくなる。以前だったら、撮り過ぎてメディアへの書き込みができなくなることが気になり、事前の撮影をセーブしていました」

 藤田さん自身は、そうカット数が多い方ではないそうだが、それでもそうだったのだ。それが今のメディアでは、全くそんな心配はいらなくなった。

「撮影が止まることは一切なくなった。スポーツではJPEGのみで撮ることが当たり前だったが、これからはRAW撮影が可能になるかもしれない」

 メディアの進化がスポーツ写真の表現を大きく変えていくことになるかもしれない。


オリンピックの魅力

 藤田さんは1988年から計13回のオリンピックを取材してきた。およそ四半世紀の中で、オリンピックに挑む選手たちの姿は全く変わっていないという。

「変わらない部分が相当ピュアで、よどみがないから、選手をはじめ人々はオリンピックに惹かれるのだと思う」

 藤田さんはロンドンオリンピックでは、フォート・キシモトのスーパーバイザーとしてカメラマンを束ねる。出場する選手、チームが出揃ってから、大枠の撮影プランを決めていく。

「予選の結果を見て、決勝のスケジューリングをするのが大変なんです」

 7月27日から8月12日までの17日間、世界から集まったアスリートとカメラマンたちの活躍を楽しみにしたい。






2012/5/25 00:00