菅原一剛写真展「あたらしいみち -DUST MY BROOM PROJECT-」制作舞台裏レポート

Reported by市井康延

(c)Ichigo Sugawara

 6月30日。エプサイトで開く写真展「あたらしいみち -DUST MY BROOM PROJECT-」(7月22日から8月4日まで)のプリント制作のため、菅原一剛さんらスタッフは、エプソンのプライベートラボに集まった。この日はテストプリントと、最終的な用紙選びなどが目的だ。

 まず菅原さんお気に入りのハーネミューレのフォトラグをPX-20000にセット。かつて版画を制作していた頃から、この紙はお馴染みで「細かい線がきれいに出るんだ」と信頼は厚い。

 出力するイメージは、青空と白い雲の下に、母親と子どもが歩く姿を遠景で捉えたものだ。実際のパソコン操作は、菅原さんのアシスタントだった写真家の大旗英武さんが行なう。

菅原さんはハヤサキスタジオを経て、1986年からフランスでフリーカメラマンとして活動を開始。広告、アート、エディトリアルなど幅広い分野で作品を制作している

「カメラもプリンターも、彩度が高めに仕上がってくるので、落とし気味に調整することがほとんど。その中でプリントを記憶の光景に近づけていく」

 ペーパーの幅は約1,100mm。横位置写真の短辺をこれに合わせて出力する。撮影データの解像度は360dpiから180dpiに落とし、ピクセル数を10,000×7,800程度に設定する。30MBほどだった撮影データが、270MBほどに上がる。

「こうした方が結果が良い。あとはモニターを見ながら細部を確認していきますが、このイメージの場合、雲の感じが一番のチェックポイントでした」と大旗さんはいう。

※大旗氏の「旗」は正確には竹冠に旗です(以下同)。

雲の感じを入念にチェックする。「モニター上で、どう見えていても、肝心なのはプリントの仕上がりなんです」と大旗さん ※大旗氏の「旗」は正確には竹冠に旗エプサイトのスタッフ、稲原里香さんのサポートを受けながら、作業を進める

一筋の光を見つける

 菅原さんは、赤十字広報特使の藤原紀香さんに同行し、2008年にバングラデシュ、09年はケニアの状況を取材した。その後、東日本大震災が起き、その一環で東北地方に撮影に行くことになってしまった。

「ただ被災地の厳しい現実を伝えるのが僕の仕事だとは思っていません。悲惨な状況の中でも再生に向かう姿、未来へつながる何かを見つけて、それを発表していきたい」

 ただ、そう強く思えるようになったのは、バングラデシュで偶然、1枚の写真を撮ってからだという。学校の教室で、腕を組んで立つ少年を撮ったものだ。

「彼を見ていると、何かやってくれそうな気がする。これを見てから、ちゃんと自分の写真も撮っていこうと決めました。これを撮れたのは偶然だったけど、こうした偶然を必然に変えていくのが、写真家の一番大きな役割だと思っています」

 バングラデシュで藤原さんの視察は10時ごろから始まっていたので、早朝5時にバスを用意してもらって動いた。翌年のケニアでは、藤原さんより前に現地入りしてロケハンを行なった。

 ただ現実には被災地で『希望の形』はなかなか目の前に現れてこない。

「過酷な状況ばかりが目に付くけど、とにかく前向きに見ること。写真は光を探すことだから、その『一筋の光』を見逃さないようにする」

 一つでも多くの希望を見い出すこと。それが今の状況の中で、写真家が役に立てることだろうと菅原さんは言う。

「モノを見る専門家だから、普通の人より敏感なはず。実際、役立てるのか、答えはまだ出ていないけどね」


長期的に復興の記録を続ける

 菅原さんはおよそ6年前から、東北地方と仕事で深く関わってきた。その一端が昨年、出版した写真集『ダスト・マイ・ブルーム』として結実している。

 これは菅原さんの写真をきっかけとして、青森県弘前市に本社を置くリサイクル企業の青南商事と、東北大学大学院の共同プロジェクトが立ち上がった。両者は資源のリサイクルを総合的に研究し、菅原さんは再生するために集められた『ゴミの山』に、新たな光を見い出して撮影した。

「東北の復興していく姿も、このプロジェクトの一環で記録し続けていく。近々、ウェブサイトが立ち上がり、そこで僕も『あたらしいみち』というコラムを持つことになっています」

 東北の被災地を撮影しているが、今回、瓦礫の街の写真を見せるつもりはないという。今はそのタイミングではないと考えるからだ。

「陸前高田で、たまたま一本の松だけが残された風景があった。あと子どもたちの写真が少し出てくるかもしれないけれど、すごく慎重に選んでいます」


被災地の希望と空の風景

 当初、この写真展の企画は、3つの被災地の中で見えてきた再生の物語で構成するはずだった。キュレーターの本尾久子さんと菅原さんが話し合う中で、『今日の空』の作品を加えることになった。

 それは菅原さんが毎日、空の写真を撮り、ウェブサイトにアップしているシリーズで、2002年元旦から始めている。

「これを積み重ねていった時に、一つの大きな私的な表現になるかもしれない。日々の記録であり、僕なりのジャーナリズムでもあるんだ」

 例えば7月11日は11時32分の北海道・石狩、10日は16時23分の千歳、9日は14時50分の静岡・裾野、8日は8時54分の東京・南千住だ。空と一緒に、地上の風景も収められ、それは普通は残されることのない当たり前の街の記録であり、一写真家の足跡でもある。

「空は光の散乱する状態を見る。今日は紫外線がきらきらしているとか、あったかい空だなとかね」

(c)Ichigo Sugawara

光の痕跡にこだわり

 菅原さんは作品制作においては、フィルムカメラが中心。撮影というプロセスとともに、暗室作業を重視しているからだ。

「印刷やウェブベースの仕事は、作業効率上、デジタルカメラを使っているけど、実はいまだにデジタルカメラが好きになれていないんだ」と笑う。

 フォトグラフの元の意味は光の絵であり、菅原さんは写真を『光を使ったペインティング』という感覚で受け止めているそうだ。フィルムには光の痕跡が具体的に残されていて、それを自分の記憶に添うようにプリントへ焼き付けていく。それが写真術だと菅原さんは考える。

「デジタルカメラは、メーカーが考えた光の解析をデータとして記録するしかない。そこには具体的な痕跡が現れないんだよね」

 だからといって、デジタル化は避けて通れない道であり、「銀塩写真とは別のものとして楽しむ方法を模索中」だ。

「インクジェットプリントは、古典印画技法と組み合い、これまでできなかった表現が生まれている」

 インクジェットプリントを使うことで、従来不可能だった大判のネガが制作できるようになった。菅原さんは、200年ほど前のリーヴァイスのヴィンテージジーンズを撮影。2007年、原寸大のプラチナプリントに仕上げ、発表している。

「現像液の中で、印画紙に像が浮かんでくる時、いまだに興奮するんだ。デジタル技法で、それに匹敵する楽しみは見つかるのかな」

テストピースを出力し、調子を見る。この辺は銀塩の暗室作業と同じだ菅原さんのプリントのパートナー、久保元幸さん。アナログの暗室では失敗から新しいものが生まれてきたと言う。デジタルではどうだろうか
ギャラリーの図面を前に、何度も作品の並び方を考えていく仕上がり具合をじっくり確認する。実際のプリントを目の前にすることで、イメージがさらに膨らんでいく
最初、出力されるプリントには、どうしても眼が離せなくなってしまう。(左から)菅原さん、久保さん、本尾さん

暗室はいつも刺激的だ

 プライベートラボでの作業では、出力しながら、頭の中で展示構成を何度も練り直す。メインとなるカットは決まっているが、その間をつなぐ作品はまだ流動的だ。

 菅原さんは展示構成図を片手に、スタッフと雑談をしながらも、見る人の想像力が広がる作品の並べ方に思考をめぐらせているようだった。扱う機材は変わっても、プリントを作り上げる暗室(ラボ)が、アーティストを刺激する場であることは変わらない。

 この日、約30点のプリントを終日4日間の日程で制作する計画を立てた。7月22日には、どんな空間が仕上がっているのか。期待して足を運ぼう。



2011/7/21 00:00