TAMRON SPシリーズ40周年企画 〜 “究極”のレンズを求めて

究極のレンズを開発したい…「TAMRON SP 35mm F/1.4 Di USD」スペシャルインタビュー

タムロン初のF1.4レンズはいかにして生まれたのか

SP 35mm F/1.4 Di USD(Model F045)

タムロンから今夏に登場した交換レンズ「SP 35mm F/1.4 Di USD」(Model F045)は、タムロンとして究極の性能を目指したという大口径単焦点レンズだ。新設計の駆動カム機構を始め、様々な新技術がタムロン初の“F1.4”レンズを支えているという。

いまこの時期に、なぜ35mm F1.4なのか。しかもその35mm F1.4で究極を目指した理由とは……タムロン本社で本レンズを担当した8名に話を聞いた。(聞き手:写真家・落合憲弘)

タムロンからの参加メンバー

光学開発本部
左から山中久幸氏(光学開発一部 光学設計課 技師長)、安藤稔氏(光学開発本部 本部長)、仲澤公昭氏(光学開発一部 部長)
映像事業本部 設計技術
左から中澤教行氏(設計技術二部 設計技術一課 課長)、大橋純一氏(電子設計技術部 制御設計課 主任技師)、杉本陽平氏(設計技術二部 設計技術一課)
映像事業本部 商品企画
左から平川祥一朗氏(商品企画部 係長)、中川健二氏(商品企画部 部長)

※以下、本文中は敬称略

SP 35mm F/1.4に込められた想い

——さっそくですが、このレンズが世に出たきっかけとは何だったのでしょうか?

平川(商品企画):タムロンは、4年前にF1.8の手ブレ補正機構「VC(Vibration Compensation)」を搭載した35mmの単焦点レンズを発売しています。このSP 35mm F/1.8は、性能、サイズ、VCのバランスを取った小型・軽量を優先した製品としてご好評をいただいています。しかし、さらに明るいF1.4の単焦点レンズを望まれるお客様の声が多くあり、また実際に市場としても大きいことは事実です。

そこで、すべてのタムロンレンズに共通する「写真を愛する人に最高の1枚を届けたい」という想いをもとに、単焦点レンズのラインナップを広げてお客様の選択肢もさらに広げたいと考えました。

——そこでなぜ35mmという焦点距離が選ばれたのでしょうか?

平川(商品企画):お客様からのご要望が多かったということが一番の理由です。しかし、35mm F1.4というジャンルは各社ともに超高性能を競う激戦区で、当社は最後発となります。そこで、タムロンのSP(Superior Performance)シリーズ初代発売から40周年を迎えるにあたり、レンズのサイズ感という枠を外し、タムロンが持つ技術を「写り」のみに注力し、画質を追求した「究極の写りを目指したい」という想いが、今回の35mm F1.4の企画につながりました。

今年はタムロンSPシリーズが世に出て40周年だ。(資料提供:株式会社タムロン)

また、35mmは街中のスナップ撮影などオールマイティに使えますし、APS-Cサイズ相当のイメージセンサーを搭載するデジタルカメラで利用すると、およそ55mm相当の標準域になり、多くの写真愛好家が使用されるレンズでもあります。そういったことも含めて、35mmが選ばれました。

——以前デジカメ Watchで掲載したこのレンズのレビューでも性能の高さがわかりますが、実際に目指した「究極の写り」は達成出来ましたか?

平川(商品企画):はい、達成出来たと思っています。

新機構開発でF1.4を実現

——F1.4を実現するにあたり、課題などはありましたか?

平川(商品企画):主な課題として、開放F値F1.4ともなると、フォーカス用レンズが大きく重くなります。そのため、モーターのトルクや弊社の信頼性の基準を満たすといった諸条件が、いままでより厳しいものになりました。それを実現したのが、フォーカスユニットを高速かつ高精度に動かすために開発した「ダイナミックローリングカム機構」になります。

杉本(設計):AFレンズなので大前提として、AFで動かないといけません。MFであれば、どれだけ重くても(常識的な範囲であれば)問題ありませんが、AFはどうしてもモーターのパワーが必要になってきます。そこで、負荷を軽くするという発想から「摩擦」に着目しました。

摩擦によるロスを減らすという観点から、従来であればフォーカス群を移動させるカム筒を面で挟み込んで面摺動させていましたが、面の間に鋼球を追加してボールベアリング構造にしています。これが、「ダイナミックローリングカム機構」の基本構想です。

ボールベアリングを利用したダイナミックローリングカム機構。これとUSDとの組み合わせで、F1.4の重いレンズを精度よく扱えるようになった(資料提供:株式会社タムロン)
右が実際のダイナミックローリングカム機構。飛び出ているのはフォーカスの際に移動するレンズ後群。左は前群。

大橋(設計):制御の面でいうと、摩擦が少なくなることで、小さな動きの動き出しをコントロールできるようになりました。より具体的にいうと、微小なピント外れ状態から即座に追従できるようになっています。

停止についても従来であれば摩擦を考慮しなければなりませんが、ベアリングということでアルゴリズムを変更しています。加えて組み合わせる超音波モーター(USD)には、停止を保持する能力があります。これにより精度よく止めることが可能になりました。

仲澤(光学):光学的な観点から言うと、弊社の製品の場合、各社のボディに合わせたマウント(径・形)を考慮しなければならない面もあるので、ハードルは上がります。

——従来製品は面で支えていた部分をベアリングは点で支えます。耐久性はどうでしょう。

中澤教行氏(設計技術二部 設計技術一課 課長)

中澤(設計):ボールの摺動部品(受け部品)の材質や表面の状態など、最適解を導き出すのが苦労しました。

杉本(設計):試作は相当行いました。可動部分なので部品間にガタがあるのですが、許容範囲を超えると光学性能に影響を及ぼす可能性があります。しかしガタを詰めすぎると、今度は摩擦が増えて負荷が問題になる。バランスをとるのに苦労しました。

平川(商品企画):ここでいう「ガタ」は、一般の人が考えるガタつきとは大きく異なります。あくまでも、凄く狭い範囲(5ミクロンレベル)でのガタつきです。それほどF1.4のレンズが求めるものが大きいという事例ですね。

——ダイナミックローリングカム機構の発想自体は前々からあったものなのでしょうか?

杉本(設計):いえ、違います。そもそも、機能試作(実現できるかどうかを機能部分的に注目し、検証するための工程・試作バージョン)を行うまでは、製品に搭載はできないと思っていました。その理由のひとつが耐久性を克服することでした。

中澤(設計):新機構については、実際の開発に結びつけるというよりも、技術者として「新技術に挑戦してみたい」という欲求が強かったですね。「チャレンジしてみて、できたらいいよね」と、そんなところから始まっています。

それほど、製品に求められるハードルが高かったということですね。実際にやってみて、手応えを感じて、改善を重ねてきたものが成果になったということです。

——光学側で印象に残っていることはありますか?

仲澤公昭氏(光学開発一部 部長)

仲澤(光学):今回のレンズの開発がスタートした2年前、「フォーカス群を軽くして欲しい」という要望や、「性能を出すためにはこれくらいのレンズ(大きさ)が必要」といった声があがりましたが、光学性能に満足いくレベルを出そうとすると、どうしてもフォーカス群は重くなります。最初の頃はいってみれば設計と光学とで「けんか」してましたたね(笑)

中澤(設計):その解決策として出てきたのが、ダイナミックローリングカム機構です。

——ということは、それほどレンズ部が重くない製品に対して採用すれば、AFがもっと俊敏に動くということでしょうか?

杉本(設計):そうなります。なので、この製品に限った話ではないのですが、フォーカス群をなるべく軽くしてほしいという要望を出しました。

開発当初、今まで通りのカム筒の保持構造をベースにフォーカス群の負荷を机上で計算すると、フォーカスレンズを半分くらいの重さにする必要があるという結果になりました。

高温、低温といった温度変化を原因とするプラスチックと金属のわずかな寸法変化の差でも負荷に対する影響度が大きく、AFで動かなくなってしまうからです。

しかし、「他社が製品化できているならうちもできるはず」と試行錯誤していきました。

ダイナミックローリングカム機構の構造

——仮定の話ですが、ベーシックな標準ズームレンズにこの新機構を搭載すると、例えばAFがより俊敏になるということはありえますか?

杉本陽平氏(設計技術二部 設計技術一課)

杉本(設計):おそらく、機構のサイズとして入らないと思います。この新機構は、カム筒が光軸方向へ動かない構造をしている単焦点レンズだからこそ導入できるものなので、このサイズを実現できました。ズームレンズの場合、「ズーム群」と「フォーカス群」が独立して動いているわけではありません。ですから、もし、ズームレンズにこの新機構を入れようとするなら、従来の筒構成よりも複雑になり、より重く、大きくなります。

特殊レンズをふんだんに使用

——企画の段階で、レンズ構成はある程度決まってたのでしょうか?

仲澤(光学):構成枚数という話であれば、同じような製品はどうしても同じような枚数に結果としてなってしまいます。目指すレンズ(スペック)があれば、構成的にはほぼ同じになってしまいますね。なので、弊社製品が特に多いということはないです。

ですから、開発当初から、ある程度このくらいの重さで、どのような構成になるという目星がついていたということになります。

山中(光学):今回のレンズは、最高性能を目指すということで、徹底的にサジタルコマフレアを抑えるために、GMレンズ(ガラスモールド非球面レンズ)を3枚(前群1枚、後群2枚)入れています。ただ、設計完了間際に1枚追加したためコスト承認を得られるかという内部的な問題がありました。

平川(商品企画):GMレンズは球面レンズに比べてコストがかかるため、他社は2枚構成が多いと思います。しかし、値段を上げてでももう1枚GMレンズを入れたい。このコンセプトでいきたいと営業と交渉し、性能と値段で納得してもらいました。

SP 35mm F/1.4 Di USDのレンズ構成とMTF図(資料提供:株式会社タムロン)

——レンズ構成枚数は増やせば良いというものでもない?

山中(光学):レンズを増やすとゴーストの問題が出てきます。ただし、レンズに合わせて専用設計されたコートによって抑えています。ゴーストは完全に抑えることはできませんが、なるべく目立たないようにという工夫を行っています。

平川(商品企画):弊社では、数十種類あるマルチコートのことをすべて「BBAR」という風に呼称していましたが、実は日進月歩で進化しているコート技術をもっと知ってもらうべく、「BBAR-G2」(Broad-Band Anti-Reflection Generation 2)という名前で発表しました。

安藤稔氏(光学開発本部 本部長)

安藤(光学):鏡筒内部での反射を抑えるという事について、弊社では注力しておりまして、かなりのシミュレーションを行っています。

——色収差の問題は、昨今ボディ内で処理するということもありますが、その辺の兼ね合いはどうなんでしょう? 昔と変わっている部分はありますか?

山中(光学):基本的にはレンズ自体で抑えています。企画によって割り切るところは割り切る。ただし、今回のレンズ(SP 35mm F/1.4 Di USD)のように徹底的に(性能を)追い込んでいくこともあります。その辺は色々なパターンがあります。

また、そういった意味では「SP 35mm F/1.4 Di USD」は、弊社史上最高のレンズとして、かなり突出したものとなります。

安藤(光学):MTFについては、量産ライン工程で全数検査して、規格内に収まっていることを確認しています。

——ボケへのこだわりについて聞かせてください。

山中久幸氏(光学開発一部 光学設計課 技師長)

山中(光学):例えば弊社の「SP 85mm F/1.8 Di VC USD」(Model F016)は、ポートレート向けで後ボケを重視するという明確なコンセプトがあります。今回のレンズは前ボケ・後ボケ共にクセがなく、素直なボケが得られるように作らなければなりませんでした。つまり、基本的には無収差に近い設計が求められます。

安藤(光学):今回のレンズはF1.4という当社初の明るいレンズなので、ボケ味に影響を与える収差についても、量産ライン工程で全数管理しています。

——前面の防汚コートが改善されているということですが?

仲澤(光学):防汚コートというのは、テフロン加工のフライパンをイメージしていただくとわかりやすいと思います。使っていくうちに効果が減少してくる。防汚コートも、利用していくと少しずつ劣化していきます。

少しでも長く使っていただくために改良した結果、膜の強度と耐久性を上げることに成功しました。従来製品よりもかなり向上していますので、製品によっては今後、改良されたものが採用されていく予定です。

——大きさ・重さについてはどう評価していますか?

中澤(設計):設計時のモックと製品版を比べてみてもらうとわかりますが、だいぶスリムになっています。設計当初はモックのサイズが限界だろうと判断していましたが、常に小型化への努力は進めており、最終的に製品版のサイズになりました。

D850(左)、EOS 5D Mark IVに装着。
落合氏が持っているのが開発時のモックアップ。

手ブレ補正よりも画質性能を重視

——先ほど話しに出てきた「SP 85mm F/1.8 Di VC USD」とすでに発売している「SP 35mm F/1.8 Di VC USD」(Model F012)の成功が「SP 35mm F/1.4 Di USD」に与えた影響などはありますか?

平川(商品企画):F1.8シリーズは、当時弊社ラインナップの中で一番明るい単焦点レンズでした。F1.8シリーズの開発で得られた経験は、今回のレンズにも生かされています。特に、フォーカスユニットの重さに対する知見が深まりました。前と後ろの両玉をフローティングで、しかも重たいレンズを動かしているというのがポイントです。

また、F1.8シリーズは手ブレ補正機構を搭載しています。重たいユニットを動かしながら性能を出していくというノウハウもここで蓄積されました。

——そういえば「SP 35mm F/1.4 Di USD」に手ブレ補正機構「VC」を入れることは検討されました?

平川祥一朗氏(商品企画部 係長)

平川(商品企画):それはしていません。描写性能で一番を目指したからですね。仮に「VC」を入れてしまうと、何処かで妥協してしまいます。F1.4レンズを開発するうえで、「VC」を入れるとサイズが大きくなる。そういった要素を排除して、画質のみを追求し、何も言い訳ができない状態で勝負するのが重要でした。

そして、そんな環境でいままでのレンズを超えられるものができれば、弊社として次のフェーズにいけるのではないか。そういった思いがありましたから、初めから「VC」については考えていませんでした。

そもそも明るいレンズに手ブレ補正機構は必要なのか? という話があります。それについては、絞り開放だけでなく、絞って撮ることもありますから、間違いなく手ブレ補正機構の搭載意義はあると思います。しかし、本レンズが目指したのはそこではありませんでした。

描写性能に突き抜けたレンズを作ることで、「タムロンってこんなレンズも作れる」というところもみせたかったのです。

——今回の「SP 35mm F/1.4 Di USD」は、新しいF1.4シリーズの布石なのでしょうか。

中川健二氏(商品企画部 部長)

中川(商品企画):今、伝えられる情報はないのですが、色々と考えています。あとは、ミラーレス市場へのシフトというところも考えていまして、デジタル一眼レフカメラとミラーレスカメラという2パターンについて、慎重に検討しています。

またマウントアダプターさえ使えば、一眼レフ用でミラーレスに対応できるという考え方もあります。そういったところを含め、模索しているところです。


ミラーレスももちろん意識

——マウントアダプター経由でこのレンズをミラーレスカメラで使うことを想定して、設計上で何か考慮した点はありますか?

大橋(設計):設計面というよりは、制御の話になります。開発している段階で、すでに各社からミラーレスカメラが出そろっている状態でした。なので、各カメラでの使用を想定し、チューニング作業を行っています。

EOS Rに装着したSP 35mm F/1.4 Di USD。

平川(商品企画):「SP 35mm F/1.4 Di USD」の開発は2017年に始まりました。企画担当として、2018年のフォトキナ前後で発表された各社フルサイズミラーレスカメラは2019年のCP+で発表されると予想していました。予想は外れましたが、一眼レフカメラで使用してくださるユーザー様は多いでしょうし、アダプターを介せばミラーレスカメラでも使用できるはずだ……そういう進め方をしてきました。

大橋(設計):企画担当者の予想は外れたのですが、早く発売されたことで実機での確認を行えたので、Zシリーズに搭載されている「瞳AF」や、RFシリーズについても、一通りの動作チェックは行っています。安心してご利用頂けます。

画質と合焦精度への取り組み……良好なコストパフォーマンスも

——一眼レフカメラでの使用を前提とすると、ピントの精度や合焦スピードがシビアに求められると思います。

大橋純一氏(電子設計技術部 制御設計課 主任技師)

大橋(設計):弊社として初めてのF1.4のレンズですので、ピント精度が正しく出せるのかというのを開発の初期段階から意識していました。そこで、AFの制御を従来のものより細かく行っています。フィールドテストはかなり多めに行っていまして、そのフィードバックを得て、現実的なピントの追従性能を強化しています。

特に今回は、ダイナミックローリングカム機構という新機構を搭載していますから、今までの鏡筒の機械モデルとも大きく異なります。従来の制御方式で追従性を上げていくと、追従時の挙動がシビアになってしまいました。ですので、追従性とピント精度の両立に苦労しました。

また、F1.4の浅い被写界深度の中でピント精度を保証するために、基板のアナログ性能の部分で、超音波モーターの回路を改善しています。

電子回路を搭載した基板。

具体的には、従来機種では十分であった性能も、F1.4のレンズでより高精度に止めようとした際、超音波モーターを動かすための周波数を作る回路の微小なノイズの影響が大きくなり、安定した周波数が出せなくなりました。そこで、基板のパターン自体から見直し、安定性を高精度に保っています。

超音波モーターは、周波数を変えて速度を制御しています。従って、ノイズの影響で周波数にばらつきがあると、正確なピント精度に影響が出てきます。

——他社も35mm F1.4のレンズを出していますが、このレンズの強みはどこにあるのでしょうか。

平川(商品企画):やはり、解像性能ですね。そして、ボケにもこだわっています。自信を持って、トータルの描写性能が優れていると思います。

販売価格では、当初の設定ラインをちょっと超えたくらいに収まっており、性能を考えるとかなりお求め安い価格だと思います。

提供:株式会社タムロン

デジカメ Watch編集部