新宿ニコンサロン、小林惠写真展「セイダッカ族・昭和の記憶 櫻と川中島 二つの村で」


(c)小林惠

 新宿ニコンサロンは、小林惠写真展「セイダッカ族・昭和の記憶 櫻と川中島 二つの村で」を8月10日から8月23日にかけて開催する。

 清国から割譲を受けた台湾統治は、幾多の小競り合いも武力で制圧しながら山地資源(木材、樟脳)を求めて原住民の居住区山間部に進展していった。植民地政策も順調に思えた1930年10月、中央部の高地・霧社で抗日事件が起こった。マヘボ社(部落)の頭目モーナ・ルダオ率いる武装した壮丁が警察派出所を襲撃、そして日本人学校の運動会に乱入し日本人134名を殺害した、いわゆる「霧社事件」である。

 この一帯に居住するセイダッカ族は3群(タックダヤ・タウッア・トロック)に分かれ、その中のタックダヤ群(霧社周辺11社)のマヘボ社を含む6社が周到に準備して蜂起した。その理由は、日本人警察官への不満、労役不振などが要因だったといわれている。(警察官が、行政・教育すべて担っていた)

 鎮圧には警察・軍隊が出動、空からは毒ガスが投下された。また蜂起した「兇蕃」を良く思っていない社の壮丁を「味方蕃」として、投降者とその家族の収容所を襲撃させ、殲滅をはかる「第二霧社事件」があった。蜂起6社の人口1236名中、残ったのは女・子供・年寄りでわずか298名だった(日本機関紙出版センター『抗日霧社事件の人々』トウ相楊著のデータ)。抗日遺族は山を越えた川中島に隔離移住、蜂起6社の土地は『味方蕃』に褒賞として分配され、櫻(ホーゴ社)にはタウッア社の衆が移住した。

 時代が過ぎ、太平洋戦争が勃発すると櫻、川中島からも多くの志願兵が皇軍兵士として南方へ出征した。

 これらの記録は、移住地清流(旧川中島)部落と、かつてのタッグダヤの故郷だった春陽(旧櫻)部落を訪ねた、それぞれに語り継がれる歴史のシークエンス、日々の光景である。モノクロ約60点。(写真展資料より引用)

  • 名称:小林惠写真展「セイダッカ族・昭和の記憶 櫻と川中島 二つの村で」
  • 会場:新宿ニコンサロン
  • 住所:東京都新宿区西新宿1-6-1新宿エルタワー28階
  • 会期:8月10日~8月23日
  • 時間:10時~19時(最終日16時まで)
  • 休館日:8月15日、8月16日

(本誌:鈴木誠)

2010/7/27 00:00