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「安田菜津紀と行く東北スタディツアー」レポート
高校生11人がフォトジャーナリストとともに被災地を巡る
2016年8月26日 16:15
「第3回フォトジャーナリスト安田菜津紀と行く東北スタディツアー」が8月4日~8月6日にかけて開催された。
全国から参加した高校生11人がフォトジャーナリスト安田菜津紀さんとともに東日本大震災の被災地を訪れ、震災と復興、そして防災について写真を通して考えるというツアーだ。毎年夏に開催しており、今回が3回目となる。
安田さんといえば、テレビ、ラジオなどを始め、幅広いメディアでの活躍をご存じの方も多いだろう。これまでに世界各国を取材しているが、東日本大震災以降は被災地での取材を重ねるほか、こうしたスタディツアーも多く行ってきた。
その安田さんの「次世代を担う高校生に、被災地の今を知り、復興や発展について考えて欲しい」との思いに共感したオリンパスが、CSR活動の一環として協力しているのがこのイベントだ。
主催はオリンパスと安田さんが所属するstudio AFTERMODE。オリンパスはカメラなどの機材も含めてサポートしている。
このツアーの特徴は、安田さんが現地の取材で知り合った被災者や関係者から直接話を聞いて学べるという点。被災の体験から出てくる言葉の説得力に圧倒される。
参加者については作文による事前選考が行われた。定員10名に対して4倍近い応募があり、最終的に11人の参加が決まった。福岡県、広島県、愛知県など遠方からの参加者もあった。
「どの作文もクオリティが高く、驚きました。選ぶのに本当に苦労しましたが、自分の体験などを織り交ぜ、自分の言葉で書いるものから選びました」(安田さん)。
参加者の作品を展示する写真展「高校生が見た被災地の今」が2016年11月18日(金)~11月23日(水)にオリンパスギャラリー東京で、2017年1月5日(木)~1月12日(木)にオリンパスプラザ大阪で開催されます。
また、「フォトジャーナリスト安田菜津紀ギャラリートーク」が2016年11月20日(日)の13時からオリンパスギャラリー東京で行われます。
前回の様子はこちら
http://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/720170.html
初日:南相馬市で家族を亡くした被災者の声を聞く
参加者は初日の9時過ぎに仙台駅に集合。貸切バスで最初の目的地である福島県南相馬市に向かった。
車内でのオリエンテーションでは2人1組で他人を紹介し合う“他己紹介”を行い親睦を深めた。その後、安田さんは今回のツアーで心掛ける点を3つ話した。
1つ目は“時間をとって頂く”、“話を聞かせて頂く”、“写真を撮らせて頂く”など「頂く」という気持ちを持つこと。「ツアー中は頂きっぱなしになる。それへの感謝の気持ちを持つことが大切」。
2つ目として、更地であっても誰かが亡くなった場所かもしれないので、「悼む」という気持ちをもち、「シャッターを切る前には心の中で手を合わせる時間を大切にしてほしい」と説明した。
「奇跡の一本松は『7万本の中で1本残ったのだから凄い』と思うかもしれませんが、震災前の景色を知るある被災者は『7万本あって、たった1本しか残らなかった』と言いました。シャッターを切る前にどれだけ思いを馳せることができるのかも重要です」。
最後に、1人の「取材者」として気を引き締めることを伝えた。「私たちに話すということは、私たちに思いを託したいということ。メモを取ることや質問することは『もっと知りたい』という意思表示にもなります。後から伝えることができるように力を入れましょう」とアドバイスした。
今回は、オリンパスから参加者全員にミラーレスカメラ「OLYMPUS PEN-F」が貸し出された。
レンズ交換式カメラを使うのが初めての参加者も多かったが、車内ではオリンパス社員の菅野幸男さんがカメラの使い方をわかりやすく説明。参加者はすぐに使い方を覚えたようだった。
最初に向かった南相馬市の小高区は7月に福島第一原発の事故による避難指示が解除されたばかりの地域。近づくにつれて、汚染土などを詰めた土嚢が積まれた場所が目に付くようになる。
海岸の近くでは、津波の被害を受けたまま手つかずの民家を多数目にした。今回のツアーで見る初めての被災の風景に、車内からは早速シャッター音が聞こえ始め、参加者は生々しい姿に驚きつつ写真に収めていた。
バスは小高区角部内の海岸で停車。一行は堤防や砂浜を写真に収めた。この辺りは震災前はサーフィンのスポットとして知られていたが、今その賑わいはなく、波の音が聞こえるだけだった。
参加者は砂浜でしゃがんで撮影したり、レンズを交換したりと、早くも工夫を凝らし、どうしたら伝わる写真が撮れるかを模索している姿が見受けられた。
その後は、このツアーで最初の語り部となる南相馬市原町区萱浜の上野敬幸さんに話を聞いた。上野さんは津波で両親と長女、長男を亡くした。福島第一原発から20km圏の近くだったため、すぐに捜索隊が入れなかったことや1カ月以上もときには自分1人で捜索したことなどを説明した。
上野さんが、「鬼怒川が氾濫したときも避難せずに亡くなった人がいました。熊本地震の後の大雨の時も同じ。これでは大震災が教訓になっていません。震災で亡くなった人を思う気持ちがあれば、災害の時には必ず避難してください」と話すと、参加者は真剣にメモを取っていた。
このツアーで福島県を訪れたのは今回が初めて。これまでは陸前高田市などから距離があるためルートに入っていなかったが、以前に上野さんを取材した安田さんがどうしても上野さんの話を聞かせたいと考えて実現した。
安田さんは、放射能の影響が“地元に戻る人”と“戻らない人”という分断を生んでいる、といった背景も説明。「ふるさととはなんだろう? と考えてみよう」と参加者に問いかけた。
初日の取材はこれで終了し、宿泊地である石巻市の旅館、追分温泉に向かった。ここで初日に見聞きしたものを振り返るミーティングが行われた。
この日はちょうど写真家の清水哲朗さんが同じ宿に宿泊していたため、急遽ミーティングに参加してもらうことになった。
清水さんは震災以前からこの場所を撮り続けており、「実家よりも多く通っている」とのこと。
「震災後に来て感じたのは、写真を撮る者として地元の人の目の代わりになると言うこと。怖くて海に近づけない人のために写真を撮って、間接的に見せることもこの地の人への貢献になる。シャッターを押さないのは僕にとって逃げ。なんでも撮ることが大切と感じた。写真のメッセージ性は強く、感じたことを皆さんの目で切り取って伝えて欲しい」(清水さん)と話した。
また、ミーティングには宿のオーナーや地元の方も参加。当時の様子や避難することの大切さを語った。
安田さんからは、「上野さんのところで写真を撮ることは勇気がいったと思います。他人の写真を撮る時は後ろめたさもあると思いますが、その気持ちを持ちつつも、そこから逃げないようにして欲しい」との心構えが伝えられた。
参加者からは……
「被災地にいる人は特別な人のように報道されているが、なにも特別な人ではないことがわかった。被災地の人といってもみんな違う。相手を1人の人として話を聞きたい。被災者と一括りにすることには抵抗がある」
「最近は地震が多くて、かえって危機感が無くなっているのではないか? これでは他人はもとより自分も守れないのではないか」
「今までカメラはコミュニケーションの道具と思っていたが、人を傷つけてしまうこともあると気がついた。相手を傷つけずに撮ることの難しさを感じた」
「伝えることの難しさを感じた。被災者から本当に伝えたいことがこれまで伝わっていないのではないか。上野さんが言っていた教訓はとても大切なこと。それだけは必ず伝えていきたい」
といったコメントがあり、参加者それぞれの視点でどう伝えればよいのかを考えている様子が感じ取れた。
安田さんは、「それでも、わかり続けようとすることが大切です。そのときの葛藤は持ち続けるべきものです」、「私が5年間の取材を通して最も言いたいことは『復興は街作りよりも人作り』ということ。このツアーでは“教訓”“防災”が重要なキーワードになるので意識していてください」と応えた。
2日目:被災者にかき氷を振る舞って交流
2日目は8時に宿を出発し、最初の目的地である石巻市立大川小学校跡に向かった。
途中、北上町にある釣石神社に立ち寄った。ここには崖の途中に御神体の巨石があり、これが“落ちそうで落ちない”ことから受験生に人気があるという。高校3年生の参加者が多いこのツアーにおける安田さんの心遣いだ。多くの参加者がお守りを購入していた。
この場所も津波に襲われ、崖を見上げる高さまで浸水した。本殿に至る階段の途中には津波の水位が記されており、参加者はそこまで登って津波の大きさを実感した。
その後、復旧工事が続いている新北上大橋を渡ると大川小学校跡が見えてきた。大川小学校では地震直後に適切な避難ができなかったことで、児童と教職員合わせて84名が津波によって亡くなった。
大川小学校跡には清水さんも同行し、安田さんとともにここで何が起きたのか、現在どのような状況にあるのかを説明してくれた。清水さんは写真を撮る意味についても触れ、「皆さんいろいろな写真を撮っていたが、価値の無い写真は無いと思う。自分にとって価値がなくても、誰かにとって価値のある写真になる」と話した。
東日本大震災の被害を物語る象徴的な遺構である、南三陸町の旧防災庁舎にも立ち寄った。現在は敷地内に入れないとのことで、今回は車内から見学した。
続いて、仮設商店街「陸前高田未来商店街」で昼食をとり、脇ノ沢漁港の近くの堤防に立ち寄った。
この堤防は津波で倒れたままになっているが、多くが海側に倒れている。安田さんは、津波は引き波の方が力が強いことなどを説明。それに耳を傾けつつ参加者はカメラに収めていた。
道中では、復興に携わるダンプカーがひっきりなしに往来する様子を目にした。未だ復興のただ中にあることを実感させられる光景だ。
続いては、陸前高田市立米崎小学校に向かった。この小学校はすぐ近くまで津波が来たが浸水は免れた。校庭には現在も仮設住宅が並んでいる。60世帯でスタートした仮設住宅だが、震災後5年を経ても約半数の31世帯がここでの暮らしを余儀なくされているとのことだ。
ここでは、仮設住宅の自治会長である佐藤一男さんが避難所や仮設住宅での活動などを話してくれた。佐藤さんは、家族は無事だったが自宅は津波で流されてしまった。佐藤さんによると、震災から時間が経ち、入居者の中には自分で自分をどうしていけば良いのかわからないといった人も増えているとのこと。また、経済的な理由から仮設住宅を出られない人がいる現状などの説明もあった。
「(災害に備えない、避難しないなど)同じことを繰り返してはだめ。それを考え、行動して周りに広めることは被災した者の義務。伝えたいのは『備えて欲しい』ということ。誰も死ななければ大震災とは呼ばれなかった」(佐藤さん)。
参加者からは、「どうやったら周囲の防災意識を高めることができるのか?」、「防災袋を玄関に置こうとしたら邪魔になると家族に反対された。どう説明したら良いか?」、「消防団に入る人が減っている中、これからも消防団に頼っていてよいのか?」など積極的な質問があり、佐藤さんが1つ1つ丁寧に答えていた。
参加者は、仮設住宅に住む人や米崎小学校に通う子どもたちにかき氷を振る舞うボランティア活動も行った。参加者が地元の人に話しかけて写真を撮る様子も見られ、良い交流ができたようだ。かき氷を食べに来た人々の笑顔が印象的だった。
2日目の取材はここまで。陸前高田市米崎町にある農家カフェ フライパンで夕食をとり、この日の宿泊先である陸前高田 箱根山テラスに向かった。
この日のミーティングでは、これまでの2日間をまとめた思いと自分が撮影した写真1枚を発表した。
「防災の意識は経験しないと生まれない、ということではだめだと思う」、「災害の時にどうなるのかを考えて行動したい。そして周りを変えたい」と多くの参加者が、今回の体験を今後の防災に繋げたいという考えを声にした。
安田さんは、「このツアーで“なにができるか”から“なにを出会ってきた人たちに返せるか”に考え方が変わると思う。誰かと会うこと以上に人が変われることはない。実際にあったことで思いを馳せることもできる。(後日提出するレポートでは)明日も生きていたいという思いを言葉を選びとって綴って欲しい」と話した。
3日目:カキ養殖を再開した漁師の船で海へ
3日目は7時30分に宿を出発。語り部の活動を行っている釘子明さんのガイドで陸前高田市の沿岸部をまわった。釘子さんも津波で自宅を失った1人だ。
バスの中では震災前の陸前高田市の様子を写した映像を上映し、どのような場所だったかを説明してくれた。「皆さんにこのこのことを伝えて欲しい。写真に撮って全国に発信して欲しい」(釘子さん)。
筆者が前回のツアー取材で訪れた際にあった、かさ上げ用の土砂を運ぶ巨大ベルトコンベアーは撤去されており、復興が進んでいる様子をうかがわせた。釘子さんは、ベルトコンベアーが無くなった陸前高田の姿もぜひ写真に収めて欲しいと参加者に語りかけた。
この震災では避難所が津波の被害に遭ったことから、住んでいる場所の避難所が本当に安全か、備蓄は十分あるのかを確認することが大切だと釘子さんは力を込めた。
釘子さんと一行は道の駅 高田松原TAPIC45跡にも立ち寄った。ここは14.5mもの津波に襲われた。この建物も震災遺構として保存が検討されている。参加者には、津波の高さを示す文字を見上げて驚く姿があった。
この日は8月6日、広島原爆の日。広島からの参加者の提案で、原爆が投下された8時15分に合わせて追悼施設で震災と原爆の犠牲者に黙祷した。
入居が始まったばかりの災害公営住宅も見学した。釘子さんからは、集合住宅におけるコミュニティー形成の難しさや、上層階まで届く梯子車がまだ無いといった課題の説明があった。
8月7日に行われる名物、七夕祭りの山車も間近に見ることができた。訪れたのは祭りの前日だが、関係者が山車をわざわざ倉庫から出して参加者に見せてくれた。さらに参加者は、山車に乗って地元の人と一緒に太鼓をたたくという貴重な経験もできた。
次は、いよいよこのツアー最後のプログラムである、漁船による海上からの陸前高田市見学となった。一行は脇ノ沢漁港で待機していた丸吉丸に乗船。カキやホヤの養殖を手がけている漁師の佐々木学さんの案内で港を後にした。
海上から見ると、陸地からは見えずらかった白い壁が見えてきた。これは建設中の防潮堤で、高さは12.5mとのこと。こうした姿を見ることができるのは海上からの見学ならでは。また、同じく建設中の巨大な水門も間近で見ることができた。
佐々木さんは、養殖するカキの筏からカキを引き上げて見せてくれた。カキの間引きをしたり、1つの筏に吊すカキの数を制限するなどして大きく育てる工夫をしているそうだ。珍しい光景とあって、参加者は興味深げに見入っていた。
佐々木さんは、「これからは新しい取り組みで付加価値を磨く時代。海は悲しいだけの場所ではないということを知って欲しい」と話した。
思いがこもった写真を安田さんも評価
参加者が撮った写真を見ると、自分の思いを見事に表現しており、なぜそれをそのように撮ったのかをきちんと説明できていたのが印象的だった。ここで全ての作品を紹介できないのが残念だが、11月から行われる写真展でぜひご覧いただければと思う。
今回も安田さんは具体的な撮影の仕方などは特にアドバイスせず、生徒が自由に撮るのを見守っていた。一方で、人と向き合う時の心構えは何度も話した。“大切なのは撮影テクニックよりも人を思いやる接し方”。そんな安田さんのメッセージが聞こえてくるようだった。
今回の参加者は、震災時は小学校4~6年生。当時、報道を見ても大人ほどインパクトを感じなかったかもしれない。しかし参加者全員が強い意欲、問題意識を持ってツアーに臨んでいることは、話してしてくれた人への質問やミーティングの発表など随所から感じられた。被災者の思いも少なからず伝わったのではないだろうか。
震災から5年以上が経過し、ともすると記憶の風化が心配されるが、こうした時期にこそ被災者の思いを若い世代に伝える活動はとても意義のあることだと思う。支援しているオリンパスにも敬意を表したい。
協力:オリンパス株式会社