東京エッジ~首都辺境を巡る写真紀行

第10回:昔も今も下町をつなぐ足——都電荒川線

停留所番号17「飛鳥山」の近く。ここは桜の名所でもある。
X-H1 / XF16-55mmF2.8 R LM WR / 53.3mm(80mm相当) / 絞り優先AE(1/210秒・F9.0・+0.3EV) / ISO 200

数年前から桜を撮っている。東京には桜の名所が多い。北区にある飛鳥山公園もそのひとつ。昨年の春、その辺りに撮影に行こうと、久しぶりに都電荒川線に乗ることにした。するとあの都電荒川線が“東京さくらトラム”とハイカラな名称に変わっているではないか。「なんじゃこりゃあ」と、伝説的刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で松田優作が演じたジーパン刑事の殉職シーンばりに驚いた。

使い勝手のよい路線

20代半ばの3、4年間を、豊島区北池袋4丁目で過ごした。池袋から王子へと向かう北に向かって伸びる明治通りから左に100mほど入った辺り、住宅とマンションが立ち並ぶ主にコンクリートの街並みだったけれど、とても便利な場所だった。それ故に使える路線も多かった。

一番近かったのは、東武東上線の北池袋駅で歩いて5分程度。次に近かったのはJR埼京線の板橋駅で7分ぐらい。その次が地下鉄都営三田線の西巣鴨駅で7、8分ぐらい。通常はあまり使わないけれど、JR山手線の外回りで上野や東京に行く場合などに利用していたのが、山手線の大塚駅で歩いて15分くらい。呑んで遅くなった時などは、山手線外回りの終電、池袋駅止まりに乗って、池袋駅で降りてそこから歩いて帰ることもあった。30分ぐらい。

普段利用していたのは、日本どころか世界で最も乗降者数の多い駅上位3つである池袋、新宿、渋谷に乗り換えなしの1本で行けるJR埼京線の板橋駅。それぞれに3分、9分、15分で到着できてとても便利だった。ただ乗客があまりに多く混雑が半端ない故、痴漢が多い電車No.1との不名誉な称号を得る電車でもあったが……。最近はどうなのだろう? その称号はきちんと返上できたのだろうか。

そしてもうひとつ使える路線があった。今回の主役である、“東京さくらトラム”こと都電荒川線である。最寄駅は「巣鴨新田」か「庚申塚」で9分か10分程度。都電荒川線は1駅間が短いので、どちらを利用しても大して変わりはなかった。

東京さくらトラム沿線、荒川自然公園にて撮影。
X-Pro2 / XF35mmF2 R WR / 35mm(52.5mm相当) / 絞り優先AE(1/6,000秒・F2.0・±0EV) / ISO 200

東京さくらトラムは愛称だった

私が北池袋に暮らしていた当時はまだ「都電荒川線」と呼ばれていた。

東京さくらトラムを運営する東京都交通局のサイトによると、どうやら都電荒川線の名称は変更されたのではなく、東京さくらトラムというのは愛称らしい。一応「都電荒川線」という名称も生きているようである。利用者増と沿線活性化、及び外国人向けに、より分かりやすくアピールするために愛称をつけようというのが狙いのようだ。

都電荒川線の愛称は、平成29年3月17日(金)から4月7日(金)まで、交通局特設Webサイトや、都営地下鉄各駅に設置した応募箱、並びに郵送での応募で受け付けたという。

愛称案は、あらかじめ決めてあった形式『東京○◯トラム』の○○に入れる言葉の候補である「さくら」「レトロ」「ローズ」、「フラワー」「クラシック」「ノスタルジック」「レガシー」「ブルーム」の8つの中から選ぶというもの。

その結果、応募者数2,218人(Webサイト73%、応募箱17%、郵送10%)、総支持数3,459件(1人につき2つまで選択可)の中から、約25%である854票を獲得した「さくら」が選ばれた。(次点はレトロの628票、3位はローズの475票だった)

選ばれた理由としては「沿線に(桜の)名所が多く、イメージに合っている」「日本と東京を象徴する花で、外国人にも親しまれている」「日本語・ひらがなで、日本らしさが感じられ、語感も良い」などの声が多かったとしている。

これにより2017年4月28日から、東京さくらトラムと呼ばれるようになった。

背景として路面電車と桜は絵になるためか、中国人と思しき観光客のカップルが、彼女をモデル風に立たせて撮影しているのを2度ほど見かけた。
X-H1 / XF90mmF2 R LM WR / 90mm(135mm相当) / 絞り優先AE(1/1,500秒・F2.0・+0.3EV) / ISO 200
停留所番号29「面影橋」近くを流れる神田川の桜。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(52.5mm相当) / 絞り優先AE(1/7,000秒・F1.4・+0.3EV) / ISO 100

東京に唯一残った“路面”電車

東京さくらトラムは東京に残る唯一の都電で、都電とは東京都(交通局)が運営する路面電車のことである。荒川区の三ノ輪橋停留所と、新宿区の早稲田停留所の区間12.2kmを約1時間かけてはしる。その間に止まる停留場の数は30。

都電は最盛期の1955年頃には営業キロ数約213km、40の運転系統を擁し、1日約175万人が利用する日本最大の路面電車だったが、その後の車社会への移行と地下鉄の発達により採算性が悪化し、次々と廃線になった。そんな中、沿線住民からの強い要望により荒川線は残った。

車体には地元企業の広告が掲載されているものもある。
X-H1 / XF16-55mmF2.8 R LM WR / 16mm(24mm相当) / 絞り優先AE(1/60秒・F8.0・+0.3EV) / ISO 200

実は東京にはもうひとつ路面電車がある。東京急行電鉄株式会社、いわゆる東急が運営する世田谷線である。とはいっても世田谷線は、実際はほぼ専用軌道をはしる電車であり、それに対して、東京さくらトラムは停留所の「王子駅前」〜「飛鳥山」間や「面影橋」〜「早稲田」間では路面もはしる。そういう意味では車と並んで道路上をはしる路面電車としては、東京で唯一と言ってもいい。つまり東京さくらトラム自体がエッジの存在なのである。

飛鳥山付近は文字通り路面をはしる。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(52.5mm相当) / 絞り優先AE(1/5,400秒・F1.4・+0.3EV) / ISO 400

下町を撮り歩く楽しさ

私は24歳と写真を始めたのが遅かったので、北池袋4丁目に住んでいた時は、ちょうど写真を始めた頃で、暇を見つけては当時の相棒、初めて購入したカメラ「キヤノンEOS5 QD」と共にブラブラと街を散策した。

写真を始めた頃の私。1990年代中盤、オウム真理教が世間を騒がせていた時代でもあったため、このような出で立ちで路地裏に入り住宅街をうろうろしていた私は警察に通報されたことも何度か。

そのカメラ散歩に都電荒川線はぴったりだった。向かうのは大概、早稲田方面ではなく、三ノ輪橋方面の下町だった。停留所番号1に当たる三ノ輪橋は荒川区の南千住1丁目にある。

停留所番号1「三ノ輪橋」周辺。レトロな雰囲気が漂う。
X-Pro2 / XF35mmF2 R WR / 35mm(52.5mm相当) / 絞り優先AE(1/7,000秒・F2.0・±0EV) / ISO 200

上京してきて最初に暮らしたのは、東京の西に広がる武蔵野台地の一角、小平。次に移り住んだのが北池袋で、郊外の景色に馴染んだ身にはことさら下町は新鮮だった。写真にも合う。絵になる。実際下町は多くの写真家達によって撮影されている人気の題材である。

明確な行き先を決めず、その日の気分で降りて、路地裏に入り、しばらく歩いて、また荒川線に乗る。その繰り返し。写真を撮りながらのこういう散歩は、写真を始めたばかりの身にはこの上なく楽しいものだった。

単純に東京に路面電車があることにも驚いたし。思えばこの頃から、東京の多様性に気づいていたのだろう。『東京エッジ』に通ずる感性はこの頃に育まれたものだと思う。キャリア20数年を経ても未だに思うが、カメラ片手に見知らぬ街を歩きながら行うスナップ撮影は、写真を撮るという行為において、最も基本で、最も楽しいものだと思う。あの路地を曲がった先で出合う見知らぬ景色、光。未知との遭遇は、写真の醍醐味である。そうやって写真にはまり、写真の腕を磨いていくのだ。

東京さくらトラム沿線には魅力的な路地裏がたくさんある。
X-E3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/1,900秒・F2.0・±0EV) / ISO 200

1日乗車券も下町プライス

今年の春、1年ぶりに東京さくらトラムに乗り写真を撮りに出かけた。何回も乗り降りするだろうと思って、初めて1日乗車券を買うことに。値段はなんと驚きの400円。通常の運賃は170円なので格安である。3回乗ればもう元が取れる。東京都の観光客誘致の本気ぶりを感じた。

東京さくらトラムと桜を同時に入れる典型的な写真も狙ってみた。車体のカラーバリエーションは豊富。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(52.5mm相当) / 絞り優先AE(1/400秒・F5.6・±0EV) / ISO 200

東京さくらトラムは1両編成の電車で、料金前払い。前から乗って後ろから降りるシステム。6〜7分に1本ぐらいの頻度で運行していて、逃してもすぐ次のが来るので便利である。

他線に乗り換えられる「町屋駅前」「王子駅前」「大塚駅前」停留所で乗り降りする人が多く、車内は概ね混み合っている。外国人観光客もちらほら見かけたので、東京都の思惑は上手くいっていると思われる。

停留所番号23「大塚駅前」に停車中の東京さくらトラム。前から乗車する。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(52.5mm相当) / 絞り優先AE(1/900秒・F1.4・+0.3EV) / ISO 100

その土地の在り方を記録する

連載第7回で書いた「葛飾区立石」もそうだが、下町はなんだか、昭和の匂いがする。執筆中、もはや昭和どころか平成を通り越して令和になったが、東京さくらトラム沿線の景色はまだまだ30年、50年と変わらない気がする。大地震でもくれば別だが……。

ただ、地震がこようとこなかろうと、そんなことは関係ない。写真家はただ記録するのみ。自分の周りに零れ落ちている小さな物語を。それは自分と家族、仲間、ひいては社会へと繋がるドキュメンタリーでもある。延々それを続けること。それが写真家の使命。

停留所番号30「早稲田」には名門“早稲田大学”がある。この日は入学式が行われていた。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(52.5mm相当) / 絞り優先AE(1/240秒・F8.0・+0.3EV) / ISO 800

最後に一言。どうしてもまだ“東京さくらトラム”という愛称に馴染めない(笑)。ここまで長々と書いておいてなんだが、やはり都電荒川線だろ!

井賀孝

1970年和歌山生まれ。写真家。ブラジリアン柔術黒帯。主な著書に富士山写真集『不二之山』(亜紀書房)、修験道の世界に身を投じて描いた『山をはしる』(亜紀書房)などがある。最新作は『VALE TUDO』格闘大国ブラジル写真紀行(竹書房)。