カメラ旅女の全国ネコ島めぐり

日本最西端、“どぅなんちま”猫が暮らす国境の島を訪ねて(与那国島・前半)

台湾にもっとも近い、日本最西端に位置する与那国島は、東京から直線距離にして約2,000km離れた沖縄県八重山諸島の一つで、国境の島です。石垣島よりも小さく、人口はおよそ1,700人ほど(平成30年12月時点)。

晴れた日には、島の西側からは台湾がうっすらと見えるそうです。

改めて、日本は、6,852の島々が織りなす“島国”です。人が暮らす有人島は、約420島。島を旅するようになって、一つひとつ島を歩くことは、日本を知ることではないかと思うようになりました。

どの島も、独自の歴史と文化があり、暮らしぶりも異なります。奥深く、色彩豊かだからこそ、旅する楽しみは尽きないのです。

その色とりどりの島の表情を、カメラを持って切り取れば、切り取るほど、島はミステリアスなその扉を少しずつ開いてくれるようなトキメキを感じます。

ところで、日本の琉球文化圏にあり、台湾にほど近い与那国島は、与那国方言が話されてきました。与那国島は、「どぅなんちま」と言うそうです。

時間を遡れば、いっそう異国めいた島だったのではないでしょうか。されど、今とかわらぬ存在として、猫が暮らしてきたのではないか……?

そんな期待を抱いて、カメラを掲げて、また新たな島旅が始まりました!

【これまでのねこ島めぐり】

日本最西端の島に到着

与那国島へは、沖縄本島か石垣島から飛行機で行くか、石垣島からフェリー「よなくに」で行くことができますが、フェリーは、日本で一番揺れる船だと旅人の間で囁かれているほど。特に冬場は海が時化て、欠航も多くなるので要注意。

私は石垣島から、午前中の飛行機を予約していました。冬場で、しかも強風の日だったので、条件付きのフライトでしたが、なんとか着陸して、無事最西端の島へと上陸できました。

東京の気温が5度を下回る寒さのなか、与那国島は18度と、さすが台湾の台北よりも緯度が南にあるだけあって、少し涼しいくらいの気候です。

空港からホテルに移動して、レンタカーの手配をしてから、島をめぐることにしました。小さな島ではあるので、天気が良ければ、レンタバイクを予定していましたが、あいにく強風日和なので、車で。

島には3つの集落があり、一番大きな祖納から散策を開始しました。真っ先に、見晴らしの良さそうなところを探して、集落全体をパチリ。

遠くに、岩山ティンダハナタが要塞のように集落を見下ろしていて、ポルトガルやスペインなど、どこか異国の村のような雰囲気がありました。

それから、集落のなかを散策。

島の方とあまり出会わず、とても静かです。コンクリートの背の低い家が多いのは、台風に備えた先人の知恵でしょうか。

青や赤、クリーム色といった、カラフルな家並みは、中米の島々にどことなく似ているかもしれません。

パシャパシャと街並みを取りながら、青色の崎原商店を曲がると、前方にひょこひょこと猫のシルエットを発見しました。

人懐こく、近づくと、猫たちのほうからも、とことこ近づいてきてくれます。

「こんにちは〜! あなたたちが、どぅなんちま・まゆちゃんね!」

与那国島の方言で、猫は“まゆ”。

“ね”も“こ”もなく、どちらかというと中国語の“まお“に近い言語かもしれません。

与那国島の方言を話せる人は年々減少しており、2009年にユネスコによって、消滅危機言語の「重大な危険」レベルに与那国島方言は分類されました。

たった少しですが、島旅を機に、与那国方言を覚えられて嬉しくなりました。

カメラが猫や島民との縁を結ぶ

人懐こく、おっとりとした猫(まゆ)たちは、私のカメラに興味津々で、レンズを覗こうと代わる代わるやってきます。

ふくふくとした猫たちは、人懐こいから、きっと誰かがご飯をあげているのだと推察します。

私が猫の撮影をしていると、島のおじちゃんに、ニコニコと見られました。こういうとき、露骨に嫌な顔をされる場合も当然あるので、そういうときは少し気をつけようと思うのですが、ニコニコされるとつい、「かわいいですね〜」なんて声をかけてしまいます。

カメラは出会いのきっかけをくれる相棒です。

キジトラや、サビ、黒白のハチワレなど、愛らしい“どぅなんちま・まゆ”たちと戯れ、写真を撮らせてもらったら、なんだかお腹が空いてきたことに気づきました。

与那国島のショップリストをホテルでもらったので、どこかでランチを食べようと眺めると、「国境(はて)」という名の居酒屋さんがランチ営業しているよう。

名前がいい。旅人の心をくすぐる、いい名前です!

国境では、八重山そばを注文しましたが、なんと味噌味。ソーキそばと味噌がコラボした味で、意外とイケるし、太い麺とよく合って美味しい!

島の東側にあったものは

満腹で、いざ、島を探索開始!

一刻も早く「最西端」の西側へと行きたい気持ちをなだめて、東寄りに祖納があることだし、1日目はゆっくりと島の右半分にあたる東側をめぐることにしました。

祖納の集落をすぐ出た東側に、浦野墓地群があるので、降りてみました。

「なにこれ、お墓というか、お家みたい」

いやいや、お家というか、古墳みたいな、一つひとつが大きなお墓です。

沖縄や奄美地方で、たびたびこのようなお墓をみかけますが、大きなお墓が点在する規模感は、遺跡のようです。

各故人のお墓というよりは、亡くなった方々は、この遺跡のような場所に移り住んで、今も“見えない集落”で生活しているような気がしました。

さらに東へ進むと、島の最東端である東崎(あがりさき)に到着。

東牧場と一体化されていて、そこは観光地というふうでもなく、与那国馬がのんびりと放牧されている気持ちのいい場所です。

風力発電や、最東端に佇む灯台と与那国馬のシルエットを写真に撮ると、どこまで、“果て”にやってきたのだろうと、異国情緒さえ感じました。

島に眠る遺跡や信仰の足跡

東崎では、与那国馬は自由に行動できるので、道のど真ん中にいたり、急にのほほんと道を横切りはじめることも。

この日は強風のため、防風林に守られて、みんなが整列している姿に出会いました。

誰かに言われるわけでもなく、与那国馬たちの意思で並んでいる光景は、微笑ましいのひとことに尽きます。

写真撮影のために待っていてくれたかのような、ゴレンジャーのような並び。何度シャッターを切ってしまったことでしょう。

あとから島の人に聞いたところ、中心の白い馬は、ポニーだそうです。

「なんでかわからないけど、島に一頭だけポニーがいる。白いから、すぐわかるよ」と言っていました。

東崎をさらに東へ進むと、東南部に軍艦のような形をした軍艦岩や、高さ約30mの立神岩があります。

軍艦岩
立神岩

立神岩は、古来島の人が「神の岩」と呼んで信仰してきたそうです。近くには、謎に包まれた海底遺跡も見つかっており(現時点では人工物かまだ断定できていない)、島の人曰く、何かしらの繋がりがあるのではと考えられているそうです。

なんて、ミステリアスな島!

島に流れる時間を感じる

ゆっくりと島の東側を探索したので、ふたたび祖納へ戻ってきました。

祖納を歩くと、可愛らしい理容室を発見。写真を撮ろうとすると、

「これ、もう島に一軒しかない床屋さん」

声をかけてきたのは、こちらのご主人でした。

「もうみんな、店をやめちゃってね、ここだけなの」

少し寂しそうに、でも、すっきりと割り切ったような感じで、お店の中に入っていかれました。

与那国島の郵便局が可愛らしいのでパチリ。

いっとき、異国の旅先から絵葉書を家族や友人に送っていましたが、ふたたび、そんなことをしたくなりました。

ふらふら歩いていると、猫ちゃんとひょっこり目が合いました。

ひっそりと、こっそりと、見ず知らずの旅人が集落内を闊歩している姿を、見張っているみたい。

「いやいや、今日何をしていたか、ぜ〜んぶわかっているんだにゃ」

島の草木や、与那国馬たちが、ひゅーひゅーと吹きわたる風にのせて、旅人の様子を猫たちに知らせているのかもしれません。

2日目は、西側をめぐろうと思います!

つづく

小林希

旅作家。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後、『恋する旅女、世界をゆくー29歳、会社を辞めて旅に出た』で作家に転身。著書に『泣きたくなる旅の日は、世界が美しい』や『美しい柄ネコ図鑑』など多数。現在55カ国をめぐる。『Oggi』や『デジタルカメラマガジン』で連載中。