山岸伸の「写真のキモチ」

第26回:野田会長と山岸さんと。その時代を輝かせたグラビアアイドルたち(後編)

山田まりやさん他、写真集の話

山岸さんがグラビアカメラマンとして飛躍したのには、この方の存在があってこそといっても過言ではありません。元イエローキャブの野田義治会⻑です。野田会⻑にご登場いただき、当時の貴重な話を語っていただきました。(聞き手・文:rinco)

ダブルファースト写真集

山岸 僕が撮影した山田まりやさんのファースト写真集。なのに、なぜか同じ月に、山内順仁さんが撮影した山田まりやさんのファースト写真集も同時発売されたんですよね。

野田 そうなんだよ! 当時、誰もやったことないことをこの書籍でやってみたかったんです。例えば、週刊ポストと週刊現代が同じ月に同じタレントの表紙写真はNGなんです。でもやった。ヤンジャンとヤンマガ、ヤンジャンとヤングサンデー、これもダメだった。でもこれも私は、同時掲載をやったんです。

写真集「MARIYA 1st」(コンパス)1996年

山岸 知っているのは野田さんだけだからね(笑)。出版社的に決まりがあって、一人の写真集が出版されたら、次の写真集は6カ月とか1年経たないと発売されないとか、色々と決まり事があったんです。そういう契約上のことを野田さんは嫌で、ある意味、それを壊したというかね。

野田 「なんで? ウチのタレントを出すのに、そんな決まりでやらなきゃならないんだ!」って。1冊目より2冊目が売れた方が良いわけでしょ。絶対売れると思うし、売る! って言ったの。全体が売れ行き良かった時でしたし、だから月刊写真集にしたんです。とにかく、なんとかして話題にしたかったんですよ。

写真集「II Wild & Free!」(近代映画社)1997年

バラエティーブームの先駆けだった

山岸 写真集は全部で、3冊。まりやちゃんは写真集のブームがそろそろ終わり? って頃にデビューしたんだよね。その頃までは水着で良かったんだけどセクシーなラインに入っていったというかね、時代が。もっと大人な内容な撮り方になっていったんだ。ランジェリーとかそういうふうに。

野田 それはあまりできなかったから。

山岸 まりやちゃんはまだ子供だったしね。

写真集「MARIYA 1st」(コンパス)1996年

野田 それに、彼女はバラエティで忙しかったから。ある時期、あるプロデューサーが「この子、しゃべらせた方がいいよ」って、それからなのよ、彼女がバラエティに出るようになったのは。バラエティーブームの先駆けだったから。

山岸 うるさいぐらいしゃべったものね(笑)。

野田 本当に、黙らせろ! って言われるくらい喋っていた。

山岸 まぁ、だけど、天真爛漫。彼女は、天真爛漫だよ。

野田 天真爛漫すぎる。今でもそう。本当に……。

女の子が水着になって恥ずかしくないところ

写真集「MARIYA 1st」(コンパス)1996年

山岸 これはロサンゼルスで撮影。この時寒かったからね、僕のジャンパー着てるんだよ。こっちは砂漠。今度は暑くて、日焼けが半端じゃない。でもまりやちゃんも初めての海外だから、大喜びだったよ。それも行ったところは、ロサンゼルスとかマリブだからさ。

写真集「MARIYA 1st」(コンパス)1996年

山岸 この時、撮影場所に狼が出たんだよ。本物。それぐらい遠いところなの。そういうところにロケ場所を決めたのは、色々なところも行かないとカメラマンも楽しくないでしょ。だから撮影に行ったんだ。

野田 私はロケ場所は、女の子が水着になって恥ずかしくないところ、ってリクエストをしていたんだ。スタッフも大体似たような格好をしているところ、っていうのがベースにあったから。

山岸 大切だよね、それ。それが原点。

野田 だから、海。海だと、普通にみんな水着になっているからね。

写真集「II Wild & Free!」(近代映画社)1997年

山岸 彼女は、本当に表情が豊かな子だったよ。明るいし、きゃっきゃしている。楽しい子だったから、写真は撮りやすかった。逆に落ち着いて欲しいって思うくらい(笑)。今のカメラだったら、彼女の動きにも追いついてゆけるから、また全然撮り方が違っていたと思う。

写真集「II Wild & Free!」(近代映画社)1997年

写真集「II Wild & Free!」(近代映画社)1997年

山岸 僕はこの子は好きな子だった。今、自分の写真見ると望遠レンズで撮影しているから、すごい距離感がある。密着感が感じられない。あと周りが全然写っていないんだ、本人しか写っていないんだよ(笑)。

今なら多分、背景も大きく入れて、本人小さく写っていても、それを採用するんだけど、この頃は僕もやっぱり女の子しか見ていないし、女の子だけ写っていれば良かった。女の子より綺麗なもの写していたらダメだったからね。

なんで僕の名前じゃないのか

写真集「POP」(コンパス)1997年

山岸 これは不思議。この写真集を撮影したのはもちろん僕なんだけど、なんで僕の名前じゃないのか。ここにある名前、藤井衍士は僕のアシスタントだった人。こういうメイキングとかのページは、僕は行けないから藤井に撮影を頼んだんだ。

野田 なんかあったんだ。もう忘れた。

山岸 僕も覚えていない。よくあること。何か、あったんだな。

僕たちは、これが一番大切な物なんだよ

写真集「MARIYA 1st」(コンパス)1996年

山岸 だけどね、こうやって本人の思い出話ができるのが一番嬉しいし、僕のようにグラビア撮っているカメラマンは、この子が大人になって、結婚して、お母さんになっているわけじゃない。たまにどこかで会ったりしたとき、それも写真集があるから盛り上がるんだよ。ここにある写真集に全てが詰まっているから。僕たちはこれが一番大切な物なんだよ。

写真集「MARIYA 1st」(コンパス)1996年

写真集「MARIYA 1st」(コンパス)1996年

野田 私も今、また話をして、この時の最初の意気込みや、ダブルで発売したなとか、なんでそうしたかとか思い出すわけです。

森ひろ子さんのはなし

写真集「旬2」(コンパス)1998年

野田 ひろこは、非常にプロポーションもルックスもよくてね。

山岸 そうね、力強い顔していたよね。

野田 それと彼女は、歌がめっちゃうまかったの。それで歌、出したんですよ。

山岸 あ! 思い出した。僕も撮ったわ。彼女のジャケ写、撮った。エイベックスから出したんだよね。いかにも当時のエイベックス、っていう写真撮っているよ。

CD「OPEN THE DOOR」(エイベックス トラックス)2000年

山岸 昔は僕が「旬」っていう言葉が好きだったの。だから「旬」っていう写真集のシリーズで、第二弾で出したんだ。今だったら、この子も売れるね。

野田 うん、売れる。それに、とにかく、歌がうまかった。

写真集「旬2」(コンパス)1998年

写真集「旬2」(コンパス)1998年

グラビア系が最後に近くなってきた頃の写真集

山岸 根本はるみさんと小林恵美さんは、同じ場所で撮影。ロケ地のサイパンに二人、一緒に行ったの。もうグラビア系が最後に近くなってきた頃の写真集だったね。

写真集「Yellow」(コンパス)2002年

写真集「AI」(コンパス)2002年

山岸 だんだん、こういう風景の写真を写真集に入れるようになってきたんだよね。それは僕に余裕ができてきたからなんだ。

写真集「AI」(コンパス)2002年

写真集「AI」(コンパス)2002年

「何かやばい!」っていうとき、必ず来るんだよ。感じ取るんだ

山岸 野田会長は風のようにふっと来るんだよ。ある時、雛形あきこさんが着物で撮影していて、彼女が具合が悪くなって、倒れてしまい、慌ててみんなで介抱していたの。そしたら、いつの間に野田会長が来ていて、雛ちゃんの足揉んでいたんだ。「大丈夫かー!」って。その撮影時に居なかったんだよ、来ていなかったのに、なのに居たんだよ。アレは僕もびっくりしたね。会長は、空気感が、何かやばい! っていうとき必ず来るんだよ。感じ取るんだ。

山岸 一度、野田会長に言われたの。「雛形は山岸さんのことあんまり好きじゃないから。彼女の前で怒らないでよ」って。もちろん、雛ちゃんを怒るわけではないんですよ、助手を怒るから、それを聞いていてね。

野田 それは言ったね。どのタレントにも一番最初に言ったことは「山岸さんは、撮影時に怒鳴るから。でもそれは、アシスタントとかに怒鳴っているんだ。なんでかというと、撮影現場に緊張感を与えるために、怒鳴るんだ。だから、あなたがダラダラやっていると、その場面の空気を切り替えるために山岸さんのアシスタントが怒鳴られるんだよ。注意しなさいよ」って。

山岸 他のカメラマンもそういうのあったよね。今だったら、仕事来なくなるね(笑)。それぞれのカメラマンの特徴と役割ってあるからね。

野田 昔はカメラマンと残るタレントはお互い戦争してくれていたもの。タレントは、よく撮ってもらおうと思って、頑張っていたからね。

山岸 まぁ、今回まりやちゃんに連載に写真を使うよって連絡したら、「可愛いのにしてね~♪」って返事くれた。そう返事してくれるの、可愛いよねって。本当嬉しいよ。僕は撮った人が全て、僕の歴史だから。今は昔の写真を掲載するの、本当に難しいもの。

(やまぎし しん) タレント、アイドル、俳優、女優などのポートレート撮影を中心に活躍。出版された写真集は400冊を超える。ここ10年ほどは、ばんえい競馬、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、球体関節人形などにも撮影対象を広げる。企業人、政治家、スポーツ選手などを捉えた『瞬間の顔』シリーズでは、15年をかけて総撮影人数1,000人を達成。また、近年は台湾の龍山寺や台湾賓館などを継続的に撮影している。公益社団法人日本写真家協会会員、公益社団法人日本広告写真家協会会員。