赤城耕一の「アカギカメラ」

116回:25年前のハイエンド機、ニコンCOOLPIX 990で楽しむ“発展途上感”

搭載レンズにNIKKOR銘があるだけでも本気な感じがするわけです。ワイド端とテレ端の開放Fナンバーは1段ほどの違いがあります。ワイド・テレのコンバージョンレンズも用意されました。

このところ、各社のフラッグシップ級のカメラをあれこれ試す機会があったのですが、あまりにも超絶高性能であることに驚いたと同時に、少しだけ疲れてしまいました。

これらのカメラについても本連載で、そのうち感想などをご報告する機会もあるかもしれませんが、正直、年寄りには持て余し気味であります。筆者には絶対に必要としない機能が満載されていたということもあります。

若いころのように、地球上のあらゆる事象を撮影するのだ、と貪欲だったころならおおいに喜んでいたはず。実際に報道畑から広告まで、広範な分野から仕事依頼もありましたし、今のように鈍重ではなくフットワークも軽かったので、こうした超絶性能のカメラがあったらさぞかし感激したに違いありません。

この反動というわけではないのですが、本連載で以前取り上げたオリンパスE-500のように、このところ古いデジカメを引っ張り出してきては遊んでおります。

原稿に詰まっての気まぐれの遊びだろ?

はい。まったくそのとおりなのですが、もう少しまじめな理由がいくつかあります。1番の理由は、モノを簡単に捨てることができないからです。

これはたかだか20年程度(年寄りの時間軸だとそんな感じです)で、カメラを廃棄してしまうなんて、その当時に汗水、鼻水垂らして必死にカメラを作り上げた人にたいへん申し訳ない気持ちになるからで、懐古趣味ともまた少し異なるわけです。

うちでは戦前のライカIIIcなど今も絶好調で稼働しておりますから、いくら進化の早いデジタルカメラでもレンズ付きフィルムのような扱いで触れることはできません。

デジカメの進化のスピードだと、20年前は大昔のことになりますが、性能とか機能とか画質の優劣に関係なく、モノとしての価値、存在感が強いカメラは、不変の魅力を備えており、それを今日まで繋げているのではないかと信じている筆者なのであります。

別件の本業撮影の合間に軽くスナップ。ゴーストが出現したので木の陰に避難して撮影。「そのカメラ、カワイイですね」とモデルのひぃなさんに笑顔で言われ、現行のお仕事カメラを褒められるより、お爺さんは嬉しかったり。でもごめんなさい、画像はなぜかモヤってます。エモいとは違います。モデル:ひぃな
ニコン COOLPIX 990/19mm/絞り優先AE(1/150秒、F3.6、+0.7EV)/ISO 200
FINE設定で2,048×1,536の解像度。フツーによく写ります。が、色再現にインパクトないですね。主張が薄いというか。コントラストが低いのはこの頃のデジカメに共通しとります。ああ、これも手を入れたいぜ、うずうず。
ニコン COOLPIX 990/8.2mm/プログラムAE(1/400秒、F7.0、−0.3EV)/ISO 100
テレ端だと開放Fナンバーは4。実焦点距離は24mmですからボケの大きさはこの程度になります。これはやむをえないところ。合焦点の鮮鋭性は良好です。
ニコン COOLPIX 990/23.4mm/絞り優先AE(1/1,000秒、F4.0、−0.7EV)/ISO 100

もうひとつはデザインですね。黎明期のデジタルカメラは現在のカメラよりも大胆なデザインのものも少なくありません。

むしろ現在のカメラのほうが保守的にみえるものがあるほどです。さらにヘリテージデザインがどうたらということになると、カメラデザインの進化とその本質は、はたしてどこにあるのだろうかと疑問を持ってしまうほどであります。

デジタルカメラの黎明期はデジタルカメラならではの、フィルムカメラの常識にとらわれない自由な設計や発想の転換が可能になったことで、従来の価値観にとらわれない新しいカメラを生み出すのだという気概が開発者にもデザイナーにも強くあったようにみえました。もちろん、これが受け入れられるかどうかはまた別の話になります。

今回取り上げるニコンCOOLPIX 990もそうです。2000年の発売当時、個人的に欲しかったコンパクトデジタルカメラでした。

スイバル機構を採用した初号機は1998年のCOOLPIX 900。おそらく本機で撮影する多くの人はこのスタイルで撮影したのではないかと。右手グリップで保持しつつ、レンズ側も横から握ることでカメラはものすごく安定します。外装の素材はマグネシウム合金です。

欲しかった1番の理由はデジタルカメラとしての機能よりも、スイバル機構と呼ばれるデザインにグラッときたということがあります。

スイバル機構は2つに分かれたボディの片方のレンズ部がくるくると回転します。このことで、それまで想像もつかなかった自由なアングルで撮影された写真を制作できる新時代のカメラに思えました。それまでなんとなく考えていたカメラのデザインの枠を超えたことに感激しました。実際に使うと思惑どおりにはいかない部分も多々ありますが、それは後述します。

レンズをくるりと回せば、はい、いまふうに言う、セルフィー撮影もできますね。この状態で撮影するのは自分でもテレくさいですよね。
カメラ購入時にはこの状態ですね。お弁当箱みたいですが、もちろん撮影できます。星空撮影は難しいでしょうけど。

1999年に登場したニコンD1はレンズ交換式デジタル一眼レフという発展性や機能面、Fマウント採用などの実用面では魅力でも、正直、デザインはフィルム一眼レフとあまり変わらないように見えました。

COOLPIX 990は、この当時のCOOLPIXシリーズの中ではハイエンド機としての立ち位置になるようです。ただ、重量は390gほど(バッテリー除く)ですが、全体の大きさからみたらお世辞にも「コンパクト」の領域には当てはまりません。

仕様を具体的にみてみると、1/1.8インチ334万画素CCDを搭載。液晶モニターは1.8インチ低温ポリシリコンTFT、メモリーカードはCFカードです。

レンズはZoom-Nikkor 8-24mm F2.5-4(35mm換算で38-115mm相当の画角)。ニコンのフィルムコンパクトカメラでは一部を除いて、レンズには「Nikkor」銘を冠していませんでしたが、これには気合いを感じました。電源は単3アルカリ乾電池を4本使用します。

バッテリーは単3アルカリ乾電池4本を使います。そこそこ持ちがいいのですが、撮影画像をいちいち確認しないで撮るのが本気の粋な使い方です。これでいいんじゃないかな。
ボディ脇のカードスロットです。CFカードを使います。もう、何もかも懐かしい感じですが、なんだかその厚みが頼もしく見えたりします。

筆者はレンズとセンサーと液晶モニター、それぞれの自由な位置関係に、未来志向カメラであることを感じたわけです。このスイバル機構はビデオカメラの発想から誕生したようですが、デザインだけではなく、機能的にみえました。レンズのスペースに余裕を与え、光学設計の自由度が生まれ、高精度、高性能レンズの搭載を実現したということで、このことにも感心しました。

実際に本機を使用してみると、現代のデジタルカメラと比較すると、いや、比較するべきものでもありませんが、ちょっと独自の印象になります。

感覚的にはビデオカメラに近いホールディングになりますが、その安定感たるや素晴らしいものがあります。両手でボディをがっしりと掴むことができるからでしょう。実際に本機は40秒ほどの動画撮影もできますが、静止画でも、低速シャッターを切る場合にも有利に働きます。

ニコンF5が出てきた時でしたか、グリップ部の滑り止めを担う赤いラバーを通称「タラコ」と言っていたことを思い出しました。本気では紫色ですが、縁起を担いだのでしょうか。
電源ダイヤルですが、ここに「PLAY」機能を持たせてしまうというのは、再生ボタンをケチったのでしょうか。

シャッターボタンも頼りない押し心地ゆえに、キレのよさはありませんし、この時代のカメラに共通するもっさり感はありますが、起動時間なんかうちのLUMIX S5IIxと大して変わりません(笑)。

液晶モニターは1.8型ですから表示画像は小さく、しかも少々暗く、見る角度によっても、大幅に視認性が変わります。画像どころかメニューの文字も小さいし、その解像度もいまひとつですから階層を探るだけでも疲れます。もう普段使いのiPhoneの方が100倍視認性がいいわけです。

液晶モニターに表示されたファインダー像です。ざらざらですね。室内から屋外にカメラを向けないとモニターが暗すぎて撮影できないんです。
カメラ上部の液晶パネルですが、ニコンデジタル一眼レフのそれに合わせているようですね。経年変化でのシミもなく視認性は良好です。

日中晴天下で観察するに厳しく、フレーミングも困難でフォーカスのチェックも厳しいものがあります。今回スイバル機構の特性を利用して、超ローアングル撮影もしちゃうぜ、と考えたのですが、モニターが暗くて、確実なフレーミングすることができません。

かといって光学ファインダーも視野率が85%程度と高くないので正確ではありません。でも今回はバッテリーの持ちも考えて、光学ファインダーを主に使用して撮影してみました。

光学ファインダーのアイピース部分です。AF合焦とスピードライトのチャージ完了ランプが縦に並びます。ファインダーから目を離さずとも確認できるのがウリだったのか。でもフォーカスが完全に合焦したかどうかは神のみぞ知るという感じです。

まあ、いいのです。こういうことも考え方次第です。25年前のカメラの液晶モニターやファインダーの性能に怒っても意味はなく。逆にテキトーに撮影して、それが自分の考えるフレーミングと合致した時の喜びはまた格別であります。トシをとると“心眼”で撮影することができるようになるわけです。本当です。それなりに楽しいんですよ。

AFはニコンD1に搭載された5点測距エリアを有するAFを採用しており、大きくフォーカスを外すということもありませんでした。これ、けっこう驚きました。もちろんレンズの実焦点距離が短く、極端に被写界深度が深いものですから、絞らなくてもパンフォーカスになるという救いもあるからです。それでもMFでの距離設定もできるようになっているのですから真面目ですよね。

撮影モードもP、A、Sと、Mモードまでありますからベテランも満足の本格派。もっともマニュアル露出やMFを本機で有効に駆使して、表現に繋げた人がいたとはいささか信じ難いですが、D1のサブ機的な役割も担わせるために、多機能にしたのかもしれません。

風景写真など、インフで撮影するような条件では細かい部分までの解像力は望めません。でも、雰囲気のある描写はしますね。緑はともかく青空はもう少し綺麗だったので盛ってもらいたかったですね。
ニコン COOLPIX 990/8.2mm/絞り優先AE(1/400秒、F7.0、−0.7EV)/ISO 100
鉄塔の質感描写はよい線をいってます。ただ、これも青空の色再現がいまひとつですねえ。もしかすると黄砂の影響もあるのかもしれません。
ニコン COOLPIX 990/8.2mm/プログラムAE(1/750秒、F7.0、−0.3EV)/ISO 100
背景が暗いので、白いオブジェは浮き立ちます。でもなんか色カブリがありますね。ああ、補正したいぞ。
ニコン COOLPIX 990/16mm/プログラムAE(1/400秒、F9.1、−0.7EV)/ISO 100

聞くところによれば、最近では一部若者に、フィルムカメラと並んで黎明期の古いコンパクトデジタルカメラも人気のようですね。

画素数が低く鮮鋭でないことや、階調再現性がいまひとつだったり、ヘンな色に転んだりすることで、画質が悪く“エモい”写真ができるのがウケるというではありませんか。

そうなの?

現行カメラはどのメーカーのどの機種を使おうとも、失敗なしの鮮鋭で美しい写真を制作することができます。だから、そのエモさとやらを求める気持ちはわからなくもありません。

いや、正直わからないですね。

エモいといえばエモい再現ですかねえ。どうなんだろう。日陰の条件ですが、独自の色ですね、いや、本機独自の解釈かもしれませんねえ。これもレタッチすれば生まれ変わると思いますが、このままにしておきます。
ニコン COOLPIX 990/13.4mm/プログラムAE(1/125秒、F4.2、−0.7EV)/ISO 400

筆者は、こうみえても、いちおう職業写真家かつ、真実を追求するジャーナリストですから、黎明期のデジタルカメラを使う場合にも、エモさにキャーキャーいうことはありません。

エモさをどうごまかす、じゃない、どう表現に応用するかに腐心するか、少しでも高画質に見えるように設定し撮影に挑みます。

このことを踏まえていうと、黎明期当時の低画素のコンパクトデジタルカメラのポテンシャルを生かすために、マクロ撮影に使うことにこだわりました。

マクロモードに切り替えて、とにかく被写体に寄ってしまえば、鮮鋭にみえてしまうのは、この時代のデジカメに共通するマジックなわけですね。
ニコン COOLPIX 990/16.2mm/絞り優先AE(1/140秒、F3.3、−0.3EV)/ISO 100
マクロモードですが、どこまで近づけるかあれこれ試しました。本当はテレ端で撮影したかったのですが逆に寄れなくなります。この条件の色再現は肉眼に近いですし、合焦点はかなり鮮鋭です。
ニコン COOLPIX 990/17.1mm/プログラムAE(1/115秒、F4.7、−0.7EV)/ISO 100
これもマクロモード。日陰の条件ですが、色はあっさり気味です。後ろに直射光が入りましたが、そんなに気になりません。
ニコン COOLPIX 990/11.9mm/プログラムAE(1/105秒、F4.7、−0.7EV)/ISO 100

フィルムコンパクトカメラでは不可能なマクロ領域の撮影を可能にした機種が多く、その手軽さと面白さに感動したこともありますが、至近距離撮影で、被写体を大きく写すと、低画素機でも画質の粗さはあまり気にならないものです。

ちなみに本機で撮影した画像をみると、エモくはありませんでした。筆者の使い方が悪いのか、もしくは画素数が多すぎることもあるのでしょうか(笑)。

ただ、液晶モニターに表示された薄暗くて緑がかったぼんやりした撮影画像とPCに取り込んでみた画像の再現性の大きな乖離には驚きました。

デフォルトの画像は色再現も地味でコントラストも少々低めですが、意外なことに鮮鋭です。レンズが優秀ということもあるのでしょう。画像をノートリミングのまま。A4サイズくらいのプリントをするなら、実用的に問題なさそうです。

これでRAW設定で撮影することができれば、高レベルのプリント作成もできるでしょう。今回はガマンしてFINE設定の未調整のJPEG画像をそのまま掲載しています。

フラッシュ発光部です。本当は外観から発光部がみえるカメラは嫌いなんですが、本機ではそんなに不自然に感じません。配光特性はなかなか優秀です。
逆光条件だと、モニターは真っ黒になり、人物の輪郭くらいしか見えません。そこで適当にフレーミングして、日中シンクロして人物を浮き上がらせてみました。配光特性やバランスは意外とよい感じで頑張っています。
ニコン COOLPIX 990/19mm/絞り優先AE(1/560秒、F3.6、±0.0EV)/ISO 200
再度日中シンクロ撮影したら、ゴーストがガツンと入りました。エモいとはいいませんよ。きちんとハレ切りして撮影しろよ、と怒られてしまう案件だと年寄りは考えてしまいます。
ニコン COOLPIX 990/19mm/絞り優先AE(1/560秒、F3.6、±0.0EV)/ISO 200

先に述べたように本機登場時、筆者は本機が欲しくてたまりませんでした。夢のあるカメラにみえましたし、開拓精神すら感じました。

本機が好きだったことを、当時周りに隠していたのですが、その時にガマンした理由は10万円を超える価格と、その当時まだまだフィルムカメラで頑張らねばと考えているところに、デジタルカメラが面白くなって、創作意欲に自分で水をさしてしまわないかと不安になったこともあります。単純な言い訳ですけど。

デジタルカメラ黎明期はそんな感覚で毎日を過ごしてきましたが、いま、それらの当時欲しかったカメラを入手し、あれこれいじり回して、戯れながらニヤニヤしているということは、若者とは違うところにエモさを求める、立派なヘンタイジジイになってしまったからかもしれません。でもね、今回のCOOLPIX 990、けっこう使って楽しかったですね。酒宴でもネタにできますし、この出来損ないの発展途上感が面白いわけです。

ウィンドウディスプレー。明暗差のある金属のエッジに偽色がみられますけど、この程度なら補正はできちゃいますね。周辺のタル型の収差が目立ちます。カメラ内では補正してもらえないわけです。
ニコン COOLPIX 990/8.2mm/プログラムAE(1/470秒、F7.0、−0.7EV)/ISO 100
光線状態や撮影距離で若干描写性能が異なりますね。この条件では、意外にコントラストもディテール再現はよい感じです。その理由はなぜかよくわかりません。
ニコン COOLPIX 990/17.4mm/プログラムAE(1/350秒、F9.5、−0.3EV)/ISO 100
タイムラグはそれなりにありますが、慣れてくると、あらかじめ遅れを予想してシャッターを切ることができるようになります。これも考え方次第です。
ニコン COOLPIX 990/8.2mm/絞り優先AE(1/850秒、F7.0、−0.3EV)/ISO 100

もし、今の技術で35mmフルサイズとは言わないまでも、APS-Cのセンサーを搭載して、このCOOLPIX 990と似たようなデザインのカメラが出てきたら欲しいと思うんですが、どうでしょう。ダメか。

COOLPIX 990登場から、すでに25年を経過しております。四半世紀ですね。これから25年後、いまの現行カメラたちはどのように見られるのでしょうか。今回、そんなことを少しだけ考えてしまいました。

もっとも筆者は25年後には遠い宇宙の星の彼方にいるでしょうから、知ったことではないのですが(笑)。

街角で見つけた花。なぜかコンクリートブロックの中にあり。スイバル機構を応用したのでラクな姿勢で撮影できます。年寄りには助かります。
ニコン COOLPIX 990/8.2mm/プログラムAE(1/140秒、F4.4、−0.7EV)/ISO 100
モノクロで撮影するには「階調補正」から切り替えます。色の要素を削ぎ落としたので、鮮鋭性が高く見えます。
ニコン COOLPIX 990/8.2mm/プログラムAE(1/320秒、F7.0、−0.7EV)/ISO 100

モデル:ひぃな(@okw_hi_)

赤城耕一

1961年東京生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒。一般雑誌や広告、PR誌の撮影をするかたわら、ライターとしてデジカメ Watchをはじめとする各種カメラ雑誌へ、メカニズムの論評、写真評、書評を寄稿している。またワークショップ講師、芸術系大学、専門学校などの講師を務める。日本作例写真家協会(JSPA)会長。著書に「アカギカメラ—偏愛だって、いいじゃない。」(インプレス)「フィルムカメラ放蕩記」(ホビージャパン)「赤城写真機診療所 MarkII」(玄光社)など多数。