赤城耕一の「アカギカメラ」
第80回:標準レンズに“コンマ9”の衝撃。「NOKTON 35mm F0.9 Aspherical X-mount」
2023年10月20日 09:00
開放F値が“コンマ9”すなわちF0.9の超大口径APS-C標準レンズ「フォクトレンダーNOKTON 35mm F0.9 Aspherical X-mount」は登場時から筆者も気になっていたレンズです。“コンマ95”よりも明るいってどういうこと! とびっくりしました。
コシナ・フォクトレンダーの富士フイルムXマウント用35mm標準レンズは、本レンズを含めて現在3本のラインナップです。他には「NOKTON 35mm F1.2 X-mount」「MACRO APO-ULTRON 35mm F2 X-mount」があり、いずれもそこそこの大口径レンズです。
おいおい、また“標準レンズ”の話かよーとうんざりされる読者も多いと思うのですが、本レンズはスペック的にも無視することができない存在であることは確かです。
本誌をご覧になる読者の中で、標準レンズは1本でいいではないかという方がいらしたら、お会いしてみたいものであります。私の目をまっすぐ見て、「レンズは1本だけで十分だ」と土門拳みたいに断言することができるでしょうか。できる方は以降はお読みにならなくても大丈夫。今後の人生も問題なくやっていけることでしょう。
筆者は街中ではスナップ派ですし、大口径レンズだろうがズームだろうが、絞りは条件や表現によって必要とするならガンガン絞り込みます。被写界深度のコントロールが表現の一助になると信じているからであります。
それに大口径レンズの大きなボケのために写真制作してしまうと、おのずと被写体とか光線状態を選ばねばならなくなります。これでは何のための撮影かわからなくなるわけです。この種の大口径レンズの使用方法で、いつも申し上げている話ですが、絞り開放の描写だけを追求するという“縛り”が逆に表現領域を狭めてしまっては元も子もないということです。
とはいえ、これまでにないスペックのレンズというのは気になるところですし、こうみえても、筆者は日本作例写真家協会の会長ですから、レビューワーの責務として、本意ではありませんが、レンズの特性を活かしてなるべく開放絞りに似合う被写体を探しました。偉いよなあ(自分で言いますね)。
今回使用したカメラはX-T5で、F0.9の開放絞りをストレスなく使うために、電子+メカシャッターを選択しとります。正直、年寄りなんでそこまでして開放で撮るのかよと思わないでもありませんが、仕方ありません。
あ、関係ないけど、X-T5の電子シャッターは音色は選べませんよね? ニコン Z 9のように。なんかX-T5のそれは……。ま、本題ではないから、これでヤメときます。
まずは第一印象なんですが、X-T5を通じたF0.9の世界は思ったより馴染みやすい感じがしました。超大口径によるファインダーへの影響は明るさとは関係なく被写界深度のみなので、一眼レフに大口径レンズを装着した時の感動と比べると、ああやっと手に入れたぜF0.9を! みたいな感動が薄いわけです。ミラーレス機特有の贅沢な不満であります。
X-T5はグリップがしっかりしているために、ホールディングバランスは良好です。レンズの自重は492gです。スペックにしては間違いなく軽いですね。デブですが非力な筆者なので携行時には少々重たいかと感じるところも正直ありましたが、撮影中はほとんど気になりませんでした。
X-T5と組み合わせたときのデザインバランスは見事であります。もう感激です。その佇まいを見ているだけで、ハイボール3杯は間違いなくいけます。時としてF0.9という特別なレンズを持ち歩いているという感覚が希薄になるサイズ感がいい。これはとてもよいことかもしれません。レンズを見せながら「ふふっ、絞り環を見てごらん」とさりげなく仲間内の酒宴でF0.9であることを自慢することができますね。
フォーカシングはフォクトレンダーシリーズですから例のごとくのMFです。しかし、フォクトレンダーのXマウントレンズは電子接点が内蔵されているため、フォーカスリングの回転と表示画像の拡大を連動させることができたり、Exifを記録できるなど、使用にあたってのストレスが少ないのが魅力です。さらにフォーカスリングのロータリーフィーリングが官能的であることも、違和感なく使用できる理由になっています。この工作精度はそう簡単に真似できるものではないでしょう。
もちろんMFで、かつ超大口径とならば、撮影条件や撮影方法にもよりますが、開放絞り撮影においては、成功のコマ数よりも失敗のコマ数のほうが多くなるかもしれません。このことを納得の上、潔しとできるかどうかに、本レンズを使用する意味があるかどうかがかかってくるところもあります。
どのみちフォーカスのしくじった写真を他人に見せるわけでもないので、いいかと思うのですが、フォーカスの合っていない写真は写真じゃないという潔癖症の方も稀にいらっしゃると思います。効率を求める方は本レンズは向いていないと思います。
本レンズは標準レンズと申しましても焦点距離は35mmであって、それなりに被写界深度は深めですよね。ですので、じつはスナップ用レンズとしても適しております。しかもフォーカスリングには距離目盛りがありますので、絞り込める状況ならば目測撮影することも可能で、実際にはそのほうが撮影速度が速い場合があります。
思えば、理屈というか表現の多様性を求めるならば、フォーマットサイズが小さくなるカメラシステムになればなるほどF1を割るような大口径レンズの用意は必然なんじゃないかと思います。用意されている焦点距離が必然的に短いですから、大きなボケを求めるには間違いなく大口径レンズの用意は必要ですし、加えて絞りの設定域が広がるからでありますね。コシナはこのことにいち早く気づいていたのではないでしょうか。マイクロフォーサーズマウントでもF0.95シリーズを用意していることもそんな理由があるのでしょう。
富士フイルム純正XマウントレンズでF1クラスの大口径レンズには「XF50mmF1.0 R WR」があるのですが、これだと画角は中望遠レンズということになります。開発当初はこれも標準レンズとしたかったとするような話もありましたが、理由は知りませんが見送られて50mmになったんでしたっけ?
もっとも、より大きなボケを求めるなら35mmよりも焦点距離の長い50mmのほうが有利ですが、画角の違いによって使い方が根本的に変わってきますし、しつこいようですが、ボケの大きさが勝利となる写真作品って稀だと思いますよ。
さて、本レンズの実際の描写性能ですが、結論からするとすばらしく優秀です。正直、これだけの大口径レンズですと開放では合焦点を含めて、すこしボワボワくらいがいいんじゃないかと年寄りは思うわけですが、光学技術の叡智の結集みたいなレンズであります。レンズ構成は8群10枚、第一面にはGA(研削非球面レンズ)を使う豪華さであります。レンズ構成を見ますとMマウント互換の「NOKTON 50mm F1 Aspherical VM」に似ていますが、構成レンズが1枚増えています。
厳密に画質を観察すると、至近距離0.35mあたりで少し線が太いかなという程度ですね。ボケ味は水性の絵の具を水面に流したかのごとく。高周波成分の多い背景でも、クセのないボケをみせることも評価対象です。
逆光にも強く、極端な明暗差のあるところではフリンジも観察できますが、相当拡大しないとわからない程度で、もちろん画像処理でコントロールできるでしょう。
プライベートな写真制作ではスナップ派の筆者なので、標準前後の焦点距離のレンズは肉眼の観察の記録として、がっちり絞って撮影することもままあるのですが、本レンズで撮影された画をみますと、そうだ、写真世界と肉眼世界は必ずしも統一する必然はないのだと、このあたりまえの事実に気づかされるわけです。
でも、どこかで「F0.9の世界」を体裁よくまとめてしまおうと、自ずからこのレンズに合う被写体を探していることに反省する自分もいたりします。
本レンズの存在はとても有益であることは間違いありません。非才な筆者には難しいですが、優秀な写真家が使えば“コンマ9”による新しい世界を生み出すことができるかもしれません。