写真を巡る、今日の読書
第52回:「写真論」の世界を身近にしてくれた『大辻清司実験室』
2024年2月7日 07:00
写真家 大和田良が、写真にまつわる書籍を紹介する本連載。写真集、小説、エッセイ、写真論から、一見写真と関係が無さそうな雑学系まで、隔週で3冊ずつピックアップします。
写真家の大辻清司
昨年末から今年にかけて『「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容』という展示が千葉、富山、新潟、渋谷へと巡回しています。写真展としては、ずいぶん注目を集めた企画になったのではないでしょうか。
詳細については、是非カタログ『「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容』を参考にして頂きたいのですが、1920年代にフランスで活発になったシュルレアリスムの波が日本に渡り、その他の抽象芸術や哲学も含めて広がりを見せた運動が「前衛」と呼ばれたものです。
特に中心的な人物として知られたのが、美術評論家の瀧口修造でしたが、そのすぐ横で並走しながら制作を実践していた人物に、写真家の大辻清司がいます。畠山直哉などの優れた後進を育てた教育者としても知られていますが、前衛写真という中に、ストレート写真や日常の概念を豊かに取り入れ、写真の新たな美学を築き上げた初期作品群に、多くの傑作が挙げられる写真家です。
私自身、写真学生だった時分にずいぶん影響を受けましたし、デペイズマン(全く関係のないものを組み合わせるコラージュ的手法)などのあからさまなシュルレアリスムではなく、日常の写真という「なんでもないもの」に超現実的なイメージを連結させるその考え方は、今も深く心に根付いているように思います。
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『大辻清司実験室 Kiyoji Otsuji's Laboratory of Photography』大辻清司 著(東方出版・2023年)
初めて大辻作品に触れてから、私はずいぶん関連書籍を読むようになりました。今では絶版になっている『写真ノート』(美術出版社・1989年)などは、その中でも何度も読み返した本のひとつです。古本屋などで見かけたら是非手に取ってほしいのですが、その中でも扱われているコンテンツのひとつに『大辻清司実験室』があります。
1975年にアサヒカメラで連載していた記事をまとめたものですが、今回紹介する本書は、その連載を再現した一冊になっています。自身を被験者として、「写真とはなにか」という論考と「実際写されたものはなにか」という実践との差異や共通点について、毎月様々な角度から試行錯誤を繰り返す連載なのですが、私にとっては写真の難しさや、写真の自由さというものを目の当たりにした最初の写真論だったと言って良いと思います。
また、それまでなんとも付き合いにくい難解なものだという印象だった「写真論」という世界を身近にしてくれたものでもあります。撮るだけでなく、写真そのものについて少し深く考えてみようという方には、最良の入門書になるのではないかと思います。
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『石元泰博 生誕100年』東京都歴史文化財団 編(平凡社・2020年)
大辻清司と関係の深かった写真家として名前が挙がるのが、石元泰博です。シカゴのニューバウハウスで、ハリー・キャラハンをはじめとする作家たちから写真教育を受け、『桂離宮』(六耀社・2010年)や『シカゴ・シカゴ』(美術出版社・1969年)などの名作を残した写真家です。
極めて優れた造形教育を米国で受けた石元は、日本へ戻った後、大辻清司をはじめとする「前衛」や「モダニズム」界隈の美術界、写真界で注目されます。私も、建築の写真を撮影するときには必ず石元作品を参照しますし、その視点や考え方には影響を受けていると思います。
ここで取り上げる『石元泰博 生誕100年』は、2020年から各地を巡回した同名の展覧会のカタログになりますが、石元の代表作を網羅した上で、その詳細な解説が盛り込まれた一冊になっています。
石元作品を収めた写真集は、どれも非常に高額で取引されているため、一目で見渡せる本書は資料としても非常に有用なものとなるでしょう。均整の取れたグラフィカルな構図や、卓越したスナップなどを見ていると、写真家としての自らの目が磨かれるような思いがあり、いつ眺めてもなにかを教えられる気がします。
『みすず書房旧社屋(SERIE BIBLIOTHECA)』潮田登久子 著(幻戯書房・2016年)
今日最後に紹介するのは、大辻清司、石元泰博の教え子でもある、潮田登久子の『みすず書房旧社屋』です。
先に紹介した『大辻清司実験室』でも、「間もなく壊される家」という自宅の解体をテーマにした回があるのですが、本書で潮田が捉えているのは、編集部が機能していた当時から、移転前までの「みすず書房」の風景を記録したものです。
そこには、かつてあったものがなくなるというセンチメンタルやノスタルジーといった言葉でまとめられてしまうものだけでなく、痕跡の集積である一枚の画像がもたらす、写真の不思議な物語性や機械性のようなものが感じられるようです。
章ごとに寄稿されている様々なテキストも読み応えがあり、「なんでもないもの」に潜む写真の不思議が読み解かれるようでもあります。