熱田護の「500GP-Plus」
第19回:記憶に残る1993年を振り返る
2021年9月1日 12:00
前回に引き続き、僕の記憶にも強く残っている1993年を振り返りたいと思います。この年、ウィリアムズ・ルノーに乗るアラン・プロスト選手が圧倒的に速く、自身4度目のチャンピオンを獲得しました。ランキングで2位に食い込んだのはアイルトン・セナですが、ウィリアムズのマシンとの性能差は圧倒的で、セナ選手が勝てるレースは雨がらみのみとなりました。
この写真は、レース後のパルクフェルメ。汚れはオイルとホコリです。現代のPU(パワーユニット)の排ガスはクリーンですから、こうはなりません。
この当時の排気ガスの匂いは強烈でした、なぜなら、燃料の成分に制限がなかったのでいろんなものを入れて、少しでも馬力が出るように開発したガソリンを使用していました。その排ガスの匂いは、体に悪いと直感できるものでした。
でも、懐古趣味にもなりますが、そんな時代の開発競争もF1の醍醐味の大きな魅力の1つだったことは確かです。
ブラジルGPのこの時の雨は、本当に綺麗な光でした。ドシャ降りになったのは5分ほど。すぐ小雨になっていきました。
セナは真っ先にピットインしてレインタイヤに交換。雨が降る母国で劇的な勝利を達成し、この勝利でマクラーレンはF1通算勝利数が100勝に達しました。
こちらの写真も同じくブラジルGP。このレースを見に来ているお客さんは、ほぼ全員がセナ選手の応援に来ています。突然の大雨でセナ選手の宿敵だったプロスト選手は1コーナーで破片を踏み、コントロールを失ってスピンして、独走状態からリタイアとなってしまいます。
この背後にいる満員のグランドスタンドからは、やんや、やんやの怒号が飛び交っています。その声を聞いて、プロスト選手は何を思っているのでしょう? 残念ながら我らが日本人ドライバーの鈴木亜久里選手と片山右京選手も、ホームストレートで相次いでクラッシュしてしまいました。
フットワーク・アロウズに所属していたデレック・ワーウィック選手。渋い大人の雰囲気ある選手でした。
第4戦、イモラで開催されたサンマリノGPの最終コーナー。ロータスに乗るアレックス・ザナルディー選手のマシンが燃えています。
マシントラブルが今と比べると多かったんですよね、だから意外な選手が上位に来ることもあったのですが、現代のマシンの信頼性は凄まじく向上しました。どちらがいいのかわかりませんが、大きな火が出たまま走るような写真は撮れなくなったことは確かです。
イギリスGPのシルバーストン・サーキットで雨の中を走る、ジャン・アレジ選手。フェラーリのV12気筒の音は最高にセクシーでした。写真では、その音が表現できないのがとても残念です。
1993年は同じフェラーリに乗るゲルハルト・ベルガー選手。男っぽくて、雰囲気ある選手でした。人望があることでも知られていて、“孤高の天才ドライバー”と称されたアイルトン・セナの最大の友人とも言われていました。
第10戦、ドイツGPはホッケンハイムリンク。現在は使っていないロングコースです。「黒い森」と称される深い森に囲まれているので、舞い上がった水飛沫が漂う時間が長いという話を聞いたことがあります。
往年の名ドライバー、ジム・クラークが事故で亡くなってしまったことで、安全性向上のために長いストレートにシケインが設置されました。今はなきリジェに所属していた、マーチン・ブランドル選手。
※23時45分追記:記事初出時にマーク・ブランデル選手と記載していましたが、マーチン・ブランドル選手に修正しました。
こちらはシルバーストンサーキット。ブリッジコーナーの立ち上がりでクラッシュしたマーク・ブランデル選手。
第12戦、ベルギーのスパ・フランコルシャン・サーキット。ゼッケン3番は、ティレル・ヤマハの片山右京選手。この年、ティレルは残念ながら序盤からリタイアが続き、ノーポイントに終わります。それでも、片山選手の日本における人気は凄かった! すぐ後ろを走るのは、セナ選手。
もう1人の日本人ドライバーだった鈴木亜久里選手。フットワーク、無限ホンダ、日本人ドライバーという組み合わせに期待をせずにはいられません。日本企業の元気が良かった時代ですね。しかし、1993年は亜久里選手もノーポイント、最高順位は最終戦オートラリアGPの7位でした。
フェラーリのメカニックさん。今はチームウェアもドライバーのレーシングスーツもスポンサーのロゴは印刷ですけれど、当時は刺繍で作られていて豪華な感じでした。
サーキットにはマルボロをはじめとした煙草の銘柄ロゴがとても目立っていました。今でも、そのイメージは僕の記憶の中に強烈に残っています。