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レンズマウント物語:(第6話)マウント変更の各社各様 [前篇]

Reported by 豊田堅二


社運を賭けたマウント変更

 以前にも触れたが、一眼レフなどのレンズ交換カメラのメーカーにとって、レンズマウントを変更するということは、社運を賭けた一大事なのである。露出制御やオートフォーカスの技術開発が一段落した現在ではそれほどでもないが、それらが発展途上のころは新しい技術が出現するたびに新たな情報通信をレンズマウントを介して行なう必要が生じる。メーカー側はそれまでのマウントを変更せずになんとか対応しようとするが、それが続くとだんだん矛盾が蓄積してくる。どうにもやりくりできなくなってくると、たまらずマウントを変更するというわけだ。

 一方ユーザーにとっては通常はまず標準レンズ付きのボディを買い、だんだんと交換レンズを買い足して行く。新しいボディが出ると買い換えたり買い足したりする。その際に手持ちのレンズを活用するには同じマウントのボディ、多くの場合は同じメーカーのボディを買っていく。他社のもの、つまりレンズマウントの違うカメラボディを買うと、また最初から交換レンズを揃え直さなくてはならないからだ。こうして独自のレンズマウントを維持するということは、メーカーがユーザーをつなぎ止めておく強力な武器となっているのだ。

 従ってレンズマウントの変更はこのユーザーをつなぎとめていたものを自ら断ち切ることになり、できるだけ避けたい。しかし、マウントを変更しないと新機能を製品に盛り込むことができず、技術の進歩から置いていかれる。そこで、どのタイミングでどのような形でレンズマウントを変更するかが、非常に重要なこととなり、その対処のしかたは各社各様のものがあった。


寄らばM42の陰

 1960年前後に一眼レフの基礎技術が固まると、それから1970年代の初頭まで新規参入が相次いだ。ヤシカ、ペトリ、マミヤ、リコー、オリンパス、富士フイルムなどのカメラメーカーが一眼レフを造り始めたのである。

 その際の参入障壁はいくつかあるが、最大のものはレンズ資産の整備であった。レンズ交換カメラを出すからには、広角から望遠まである程度の交換レンズを揃えないことには意味がない。しかし、カメラボディと同時進行で何本もの交換レンズを開発するのは、かなりの金と人材を投入することになり、リスクも大きい。

 そこで、多くのメーカーがM42マウントを採用した。M42マウントならば世界中に膨大な交換レンズが存在し、しかもパテントなどで縛られていないので気軽に使える。参入時には最低限の種類のレンズを揃えておけば何とかなる。独自マウントでユーザーをつなぎとめたり、利益率のよい交換レンズビジネスのうまみを享受できないまでも、ともかくも低いハードルで一眼レフ市場に参入できるのだ。

 こうしてM42マウントで一眼レフに参入したメーカーが、1970年代以降岐路に立たされる。時代がTTL開放測光から自動露出、そしてオートフォーカスへと進んでくると、M42マウントではもはや対応しきれなくなってくるのだ。


ペンタックスはKマウントへ

 そんな状況の中、1975年にM42マウントの宗家ともいえるペンタックスはK2、KX、KMの3機種を発売し、Kマウントというバヨネットマウントに移行した。第4話で紹介した「追いかけ方式」の絞り連動機構は、結局ペンタックスES、ESIIおよびSPFの3機種で終わってしまったわけだ。


ペンタックスはM42マウントからバヨネットマウントのKマウントに移行した(写真はKAマウント)

 Kマウントは自動絞りレバーと設定絞り値伝達レバーとを備えたオーソドックスなバヨネットマウントで、Ai方式のニコンFマウントの装着時回転方向を逆にしたようなものである。興味深いのは同時に純正のマウントアダプターを出して、それまでのM42マウントのレンズも装着して使えるようにしたことだ。ただし、自動絞りや開放測光の露出制御は働かず、かなり不便な使い方となる。


ペンタックスはM42マウントがKマウントで使える純正のマウントアダプターを出したが、自動絞りや絞り値の連動機能は使えず、使い方は煩雑なものとなる。

 ただ、このユーザーつなぎとめ策は、あまり成功しなかったようだ。この時に出た3機種の新製品としての魅力がいまひとつであったこともあり、このマウント変更を機にかなりのユーザー離れを起こしたと聞いている。これは翌1976年に一段と小型化したMXとMEを出してなんとか挽回することができた。

 このKマウントもその後新技術の登場に対応するために、いくつかの小改造を経て現在でも生きている。1983年には絞り自動制御機能に対応したKAマウント、そしてオートフォーカス時代になるとKAFマウント(1987年)、パワーズームに対応したKAF2マウント(1991年)と進化してきた。また、レンズ側もそれに合わせてさまざまなシリーズが出され、現在ではボディ側で絞り値を設定することで絞りリングを省略したものが大勢を占めている。このあたりはニコンFマウントのたどった経過に似ている。


ユニバーサルマウントになりそこなったKマウント

 ペンタックスはKマウントを公開してユニバーサルマウント化を目指した。バヨネットマウントにおけるM42マウントのような存在となることをもくろんだのである。実際にそれまでM42マウントを採用していたリコーをはじめチノン、コシナなどのメーカーが引き続きKマウントの一眼レフを出したが、時代が進んで絞りの自動制御やオートフォーカスなどが組み込まれると各社独自の仕様をマウントに付加したりして互換性が失われ、結局のところはユニバーサルマウントの地位を確立することはできなかった。

 そんな中でペンタックスのKマウントだけが生き残った形になっている。


Kマウントはペンタックスの他にリコー、チノン、コシナなどが追随したが、やがて絞りの自動制御機構などの導入によって互換性が確保できなくなったため、M42ほどの普遍性を獲得できなかった。写真は「サンキュッパ」で人気を博したリコーXR500。

新コンタックスマウントで脱皮に成功したヤシカ(京セラ)

 ヤシカ(後に京セラに吸収)の一眼レフの歴史は意外と古い。1960年にはヤシカペンタマチックという機種で参入し、その時は専用バヨネットマウントであった。ただ興味深いのは、自社でそろえた交換レンズの他に、M42マウントやエキザクタマウント用のマウントアダプターを出して「世界のレンズが使えます」と銘打ったことだ。しかし、このマウントも2機種を発売したのみで終わり、翌1961年にはM42マウントのヤシカペンタJを出して再スタートを切っている。それ以来1972年のヤシカTLエレクトロAXまでM42マウント時代が続いた。

 このヤシカTLエレクトロAXは、電子制御シャッターを用いた絞り優先AE一眼レフとしてはペンタックスESに次いで世界で2番目となった機種だが、M42マウント故絞り込み測光とせねばならず、通常とは逆にボディ前面のボタンを押しているときだけ絞りが開放となるような仕様になっていた。せっかくの自動絞り機構を放棄してしまったわけで、図らずもM42マウントの限界を示す結果となった。

 そのヤシカから1975年に突然コンタックスRTSが登場した。レンジファインダーの項で紹介した西独ツァイス・イコンのコンタックスはIIIa型とIIa型を最後に途絶えていたのだが、ヤシカがカール・ツァイス財団からブランドの使用権を取得して、最新のエレクトロニクスを搭載したAE一眼レフカメラとして再生したのである。

 レンズマウントはM42でも旧コンタックスマウントでもない、バヨネットマウントの新コンタックスマウントである。

 この新コンタックスはカール・ツァイスブランドの交換レンズの魅力にバックアップされて人気を博し、マウント変更は成功した。後にヤシカブランドの普及機も出し、共通の新コンタックスマウントとすることによって、深刻なユーザー離れを経験することなく、レンズマウント変更のリスクを乗り切ったのである。


新コンタックスマウントのその後

 このようにして一定のファンを獲得した新コンタックスマウントのボディとレンズだが、時代がオートフォーカスになると、その波に乗り遅れることになってしまった。これはあくまでも推測に過ぎないが、おそらくAF化に際してのさまざまな改変、フォーカシングを軽くしたり、レンズにモーターやエンコーダを組み込んだりというようなことに、カール・ツァイスが難色を示したのではないだろうか。なかなか新コンタックスマウントのAF一眼レフは実現しなかった。

 苦肉の策として、1996年にはコンタックスAXが出ている。これはバックフォーカシングといって、撮影レンズではなく撮像面を前後に動かしてオートフォーカスを行なうものだ。現在のようなデジタル一眼レフならば撮像素子のみを動かせばよいのだが、これは銀塩カメラなのでフィルム面をボディごと前後させる。ボディを二重構造にして内側のボディをフィルムだけではなくフォーカルプレンシャッターやファインダー光学系までまるごと動かすのだ。そのためボディがとんでもなく大柄となり、それでも望遠レンズの移動量をカバーできないので、レンズ側でのマニュアルフォーカスを併用するようなものになった。


コンタックスAXではボディを二重構造にして、内側のボディを前後させてオートフォーカスを行なう、バックフォーカシングを採用した。レンズ側でAFができないための苦肉の策だがボディが非常に大型となり、焦点距離の長いレンズではボディだけのストロークでは足りないなど問題点が多い(コンタックスAXのカタログより)。

 その後2000年にはやっとオートフォーカス機能を備えたコンタックスNマウントとなり、コンタックスN1、NX、それに2002年には初の35mm判フルサイズのデジタル一眼レフであるコンタックスN Digitalを出したが時すでに遅く、2005年には京セラのカメラ事業からの撤退に伴い、コンタックスも姿を消すことになった。


2000年になってやっとコンタックスはマウントをNマウントに変更し、通常の形のオートフォーカス一眼レフを実現したが、時すでに遅く終焉の時期が近付いていた。



豊田堅二
(とよだけんじ)元カメラメーカー勤務。現在は日本大学写真学科、武蔵野美術大学で教鞭をとる傍ら、カメラ雑誌などにカメラのメカニズムに関する記事を書いている。著書に「デジタル一眼レフがわかる」(技術評論社)、「カメラの雑学図鑑」(日本実業出版社)など。

2012/10/12 00:00