イベントレポート
荒木経惟×ギメ東洋美術館「東京墓情」レポート
パリ大規模個展の作品を日本初公開
2017年6月23日 14:44
「ある時期から東京は墓場みたいだと思っていた」
荒木経惟さんの言葉は時として直裁で、露悪的になりがちだが、氏の本来の表現手段は写真であることは言うまでもない。
「言葉より、アタシの写真の方が通じるんだ」
昨年4月から約5ヵ月間に渡り、パリの国立ギメ東洋美術館で大規模な個展「ARAKI」が開かれた。400点余の写真で、半世紀を超す写真活動を展観するとともに、そこに日本の19世紀の古写真をはめ込んだ。
「古写真にコンテンポラリーアートのルーツを見ることもできるし、過去と現在を並列に見ることで、そこから浮き上がってくる未来もある」と同美術館 写真コレクション主任学芸員・ジェローム ゲスキエール氏は言う。
そこから厳選された写真が「東京墓情」と名付けられ、銀座の空間に並んだ。
東京墓情 荒木経惟×ギメ東洋美術館
会期:2017年6月22日(木)〜7月23日(日)
時間:12時〜20時(無休)
会場:シャネル・ネクサス・ホール(東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4階)
生と死とその狭間に
荒木さんのトークは感覚的なひらめきで言葉が矢継ぎ早に繰り出される。そして突然、照れたようにインターバルを置く。その緩急の妙にも人は魅了されるのだろう。そして撮影現場もきっとそんな感じなのだろうと思わされる。
荒木さんが東京を墓場のように感じ始めたきっかけの一つは東日本大震災だ。未曽有の天災が引き起こした光景に写真家として強く惹かれたが、敢えて行かない選択をした。悲惨な場の中に必ずや美を見出し、それを撮ることに没頭してしまうことが分かっていたからだ。
「ただ行かなかったことをほんの少しだけどね、引きずっているんだ」
オープニングレセプションがあったこの日、会場に来る途中、自動車事故の現場に遭遇したそうだ。その光景に無条件に惹かれ、シャッターを切った。
「非難されるだろうけど、それはどんな彫刻作品、オブジェより良いんだよ」
そこに人の意図は介在せず、生と死が暗喩として濃厚に存在する。その現場自体は悲惨な出来事でしかないが、荒木さんの手で写真になった時、違う存在になる。その行為を荒木さんは「翻訳しているような感じ」とも表現する。
墓場的なイメージを感じるのは東京だけではない。日本やヨーロッパにもその幻影を見る。
「以前は千手観音とかいう感じでいたけど、今はそれとは違う。三面の顔を持つ阿修羅だね」
生と死、そしてその狭間にあるもの。それを結界と言葉にするとどこか理に落ちてしまうが、そのあたりを無意識で探っているようだと話す。
2017年、最初の展覧会はライカのフィルムカメラで撮った「LAST BY LEICA」でスタートした。
「写真は終わった。デジタルカメラで撮れるものは写真とは違う。また別の名前を作らなくちゃいけないんだ」
デジタルイメージは表層を克明に写し出すが、銀塩写真はその裏側に潜む何かを予感、想像させるものなのだ。
足が悪くなったことで、外出先では専ら車から見える光景を撮り、家では花やフィギュア、空などを好んでモチーフに選ぶ。
「要するに老いて行っているわけだ。ただ老いや豊富な人生経験は人の美しさを増長させるものだと思う。だから否定しないで出していく」
横綱白鵬と同部屋の力士たちを撮った1枚がある。稽古の後で、身体は泥まみれだ。この時、白鵬関は双葉山が持つ歴代1位の69連勝に迫っていた。
「アタシの写真が横綱に土をつけちゃった。それで63連勝で止まった。アタシの写真の失敗は唯一これだけ」
ボンデージヌードが話題になったレディー・ガガの撮影は、先方から依頼があったと明かす。
「彼女が言うことが良いよ。縛って撮ってって。アタシの縛りは愛撫だからさ。きちんと見抜いているんだね」
主催でもあるシャネル株式会社のリシャール・コラス代表取締役社長は「昔からアラーキー先生の大ファンで、いつかネクサス・ホールで写真展をやりたかった」と話す。そして彼の写真を見せる際、「時々、勇気が必要なことがある」と言って来場者の笑いを誘った。
自分の写真を見るのが大好きだと荒木さんは言う。
「アタシの写真はおしゃべりだから、よく見て。隅っことか、細部にあるんだ。これで意外と繊細居士でいいんだからさ」
ただ「写真を完成させてはいけない」とも話す。不十分さや、汚れをどこかに潜ませる。
「今、自分の足が頂点にかかっているのを感じるから気を付けないとと思っている」
今年、展示の締めくくりは12月から丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開かれる「私写真」展だ。
「気合も入っているし、終わりにならないように、オープニングのテープカットは切らずに飛び越えようかと考えている(笑)」
本展は写真家アラーキーの新たな始まりを告げるレトロスペクティブ展だ。