野寺治孝写真展「旅写+すべての空の下で」
(c)野寺治孝 |
※写真、記事、図表などの著作権は著作者に帰属します。無断転用・転載は固くお断りします。
写真には、写真家のライフスタイルが写し出される。野寺さんの写真を見ると、つくづくそう思う。その人の生き方、感性が、写されたイメージを通して伝わってくるのだ。そこで被写体は二の次。「見えない何か」が見る人の心を揺さぶり、モノを思わせる。
本展では最近出版された2冊の写真集「旅写・その先の風景」(2,310円、玄光社刊)、「すべての空の下で・写真が楽しくなる42の方法」(1,575円、PHP研究所刊)からの写真が並ぶ。それらは野寺さんが約30年間、撮り続けてきたすべてを総ざらいして、選び抜いたものだという。
「写真がなくても生きていける。だけどあったら少し楽しくなれるよね」と野寺さん。そんな滋味あふれる空間だ。
会期は2010年4月2日~18日。開場時間は12時~19時。会期中無休。会場のアップフィールドギャラリーは東京都千代田区三崎町3-10-5 原島第3ビル304。問い合わせは03-3265-0320。
なお4月10日15時からは会場でスライドショーを開く。こちらの参加費は500円(1ドリンク付)。予約不要。
野寺冶孝氏。野寺さんの事務所の名前はスローハンド。そう、エリック・クラプトンにちなんでいます | 会場には写真集の校正原稿も展示 |
■撮りたいのは心の内にあるアメリカ
野寺さんは当初、映画の道に進もうと日活TV映画芸術学院で学んだが、集団制作が合わずに、スチール写真を撮るようになっていったという。
「ただ身近にいい手本がなくて、きれいな風景や上手く逆光を使ったような写真が良いといった認識だった」
それが1980年、アメリカの西海岸を旅行し、気の向くままに撮った。被写体は野寺さんがずっと憧れ、心の中で描いていたアメリカナイズされたものたちだ。
「とにかく日本的なものが嫌でね。自分は浦安のあんちゃんなんだけどね。リーバイスにコンバースを履いて、ロックを聴き、ホットドッグを食べながらコークを飲む。そんな気分、風みたいな感じを写したかった。その頃から作風はずっと変わっていないね」
卒業後はデザイン会社に就職した。当時、おシャレな写真を使ったポストカードが流行っていて、自分でも作って行きつけの店に持ち込んだ。500枚か1,000枚ほどを印刷して制作費が25万円程度。3カ月で元がとれたら、もう一度、作ろうと思った。
「ぎりぎり到達し、次はポストカード会社が作り方のコツを教えてくれた。それで作ったら1ヵ月で80万円売れた。そこと専属契約をして、フィルムライブラリーからも声がかかり、写真家としてフリーでやっていくことにしたんだ」
学生時代は浅井慎平さんや片岡義男さんの世界に憧れたそうだ (c)野寺冶孝 |
■すべては勘が頼り
以来、仕事の傍ら、自分の作品制作のため、旅に出ては写真を撮影してきた。アメリカはもちろん、イギリス、イタリア、オーストラリア、中国など計12カ国。
「何かこの場所がいいなと、ひらめく時がある。勘みたいなものだよ。今年5月にはキューバに行くんだけど、それは友だちが撮ってきた写真を見てだった。彼らの笑顔が良くって、この人たちを撮りたいと思ったんだ。あとは映画のワンシーンからだったり、いろいろだね」
行き先を決めると、その場所について下調べる。知りすぎるとイメージが固まってしまうから、ちょうどいい頃合にとどめる。期間は1週間から3週間程度。ざっとしたコースを考えるが、これも勘。地図を見て、路地の多そうな街などを選ぶなどだ。その際、名所・観光地は興味がないので、全く候補に入ってこない。
「荷物はなるべく少なく、軽くしたい。だからいつもレンズで悩む。標準ズームとワイドズームに、何をプラスするか。200mmか、50mmマクロか。それも勘だね」
カメラはメイン1台と、故障したときのためにもう1台。それとコンパクトカメラだ。フィルム時代はミノルタSR-T101から始まり、コンタックスなどを使い、今はキヤノンEOS 5D Mark IIが主力機だ。
テキサスの海に面した町、コーパスクリスティ。こういった風景が野寺さんの心を捉えてしまうのだ (c)野寺冶孝 |
■一瞬の緊張感が醍醐味
以前は1人で旅に出ていたが、結婚してからは奥さんと2人だ。奥さんは写真に興味はなく、互いにマイペースで旅を楽しむ。
「スポーツ観戦をしたり、ライブを見たりするけど、何より写真を撮っているのが楽しい」と野寺さんは言う。
懐かしいもの、自分が美しいと思うもの、可笑しなもの……。心を動かす一瞬を撮る。撮影モードに入ると、強いエネルギーでモノを見始める。「考えているわけじゃないけど、撮る時は頭を使うから疲れる。若い時は、普段からいつもカメラを持って歩いていたけど、今はそこまでじゃなくなった」と笑う。
写真は一瞬の出会いの産物であり、その緊張感が醍醐味だという。
「例えば人物写真は相手の内面まで入り込んで撮れとかいうけど、そんなことは無理。撮りたい人に声をかけて、ぎこちなかったら、そのぎこちなさを大事に考えて僕は撮る」
ワンシーンずつ、これだと思いながら撮っていても、最終的に残る写真は100枚に1枚ぐらい。
「美しいだけ、構図が良いだけじゃダメ。写っているもの以上の何かを感じさせてくれるイメージを選ぶ。けれど99枚と1枚の違いが、なぜ生まれるのか。それはいまだに分からない」
インテリア雑誌の仕事で、ある家に行った時、3時間ほどかけて撮影を済ませた。帰りしなに、窓から入る光に惹かれ、コンパクトカメラでその光景を収めた。
「掲載になったのはその1枚だからね」と笑う。
■日常目線で旅をする
旅で嫌な思い、怖い思いもいくつもした。高校3年で初めてイギリスに行った時は、バッキンガム宮殿の前で、見知らぬ男に写真を撮られ、「プリントを送るから金を出せ」と言われた。
「嫌だというと、仲間が出てきて、結局、2,000円ぐらい払った。送るつもりもないくせに、プリントは大小どっちがいいって聞くんだ」
オーストラリアで島に渡る船に乗った時には、湾を出た時、大波に襲われた。
「甲板にいて、急に10mぐらい船が沈んだ。手すりにしがみつくと、今度は押し上げられ、次に波に洗われた。それでカメラは故障。行った島ではしょうがなくシュノーケリングで遊んでいたけど、撮れなかった風景って、鮮明に覚えているんだよね」
野寺さんは外国でも、日常目線でモノを見て、歩くという。そんな目が捉えた断片は……。見る人が何を感じるかは分からないが、少しだけ今生きていることが楽しみなものになることは間違いない。
イタリアでの一瞬のすれ違い (c)野寺治孝 |
2010/4/9 00:00