楢橋朝子写真展「2009/1989『近づいては遠ざかる』」
楢橋さんはデビュー以来、目の前にある光景を被写体に撮影してきた。撮る時に「テーマはない」というが、そこに一貫しているのは、当たり前な見え方から逸脱しようという明確な意思だ。
彼女の写真には現実が写し込まれているのだが、いつも見ている光景と違う肌触りがある。そんな日常のアナザー・サイドを見ていると、自分がこれまで世界を一つの視点でしか見ようとしていなかったことに気づく。
今回の写真展では、20年前に発表した最初期のモノクロシリーズと、最新のカラー作品からセレクトされた作品が並ぶ。そこには、東京アートミュージアムという来場者が多彩な視点を獲得できるギャラリー空間の中で、時間と街という2つの要素を対比させた作者の仕掛けも凝らされているのだ。
「近づいては遠ざかる」は東京アートミュージアムで開催中。会期は2009年9月5日~12月27日。入場料は一般300円、大高生200円、小中学生100円。開館時間は月・木・金曜が11時~18時半、土・日・祝日は10時~18時半(入館は18時まで)。所在地は東京都調布市仙川町1-25-1。問合せは03-3305-8686。
会期中、作者とゲスト(森山大道氏、石内都氏ほか)を招いてのフロアトーク(入館料+500円、予約不要)も開催。詳細はこちらを参照。
楢橋朝子さん。デジタルは「無駄が省けてしまうことがちょっといや」で使っていないとか | 展示では紙の物質感を出すことと、点数のメリハリを特に意識したという |
会場は細長く、来場者は3つの高さのフロアから作品が見渡せる | 会場の東京アートミュージアム。設計は安藤忠雄氏 |
■出かけて撮ってプリントする
楢橋さんは大学で美術を学び、当初は、映画や、フォトグラムといった暗室で行なう表現に興味があったという。それが次第に気持ちが外に向き始め、1986年、雑誌「写真時代」が呼びかけたフォトセッションに参加することになった。講師の森山大道さんには2年間、毎月写真を見てもらったという。
大学を卒業した89年に、友人がいる沖縄・竹富島に向かった。20日間ほどをかけ、本州から九州を鉄道で移動し、撮影しながら旅をしたのだ。
「そのほか、あちこち出かけていました。何かを探していた感じで、それは自分探しのような内面に向かうものでなく、行く先々で見るものが珍しく、何でも撮れる時期でした」
どこかに出かけ、撮って、プリントする。人に見せるという行為を明確に意識しないまま、小さなギャラリーで個展を開いていった。それが今回、一部を展示した「春は曙」だ。
桜島、1989年「春は曙」より (c)楢橋朝子 |
「当時は人に見せるより、自分が見たいものを展示していた感じでした。今のように展示情報が雑誌に載るわけでもなく、来る人も限られていたし、プリントを売るなんて発想もなかった。今、思うと、あれは何だったんだろうって不思議な気になったりもしますね。ただ撮って、プリントして、見ることを繰り返すことで、運動選手が50mダッシュを繰り返すように、基礎体力をつける行為だったのでしょう」
■わからない何かが面白い
楢橋さんが狙う光景は、一般的なフォトジェニックさとは異なる。
「人の手が加わっているもの、人の痕跡があるものですね。それが悪意であれ、人の意思が見え隠れする光景は、特に気になっていました」
その後、「NU・E」というタイトルがつけられ、「日本カメラ」での連載後、写真集「NU・E PHOTOGRAPHS 1992-1997」(1997年、蒼穹舎刊)としてまとめられるが、「鵺(ぬえ)は架空の怪物であり、存在しないものなので、何でも入れ込めたから付けた。特に決まりや、コンセプトが強くあるわけではないんです」と話す。
ドバイ、2009年 (c)楢橋朝子 |
目に触れた光景の中に違和感を感じると、シャッターを切る。その理由がわかってしまうと、つまらない。
「わだかまりを残したまま、写真になってくれる時がある。それが面白い。そうそう人に通じるものではないかなと思う部分もありますけどね」
■目の焦点を外して撮る
その後、カラーで撮り始めるのだが、そのきっかけは「友人からカラーの自動現像機を譲り受けたから」だそうだ。大小2台あったので、これは使わざるを得ないと思ったという。
「モノクロは撮り手の感性が出てしまう部分があり、カラーの方がどうしてもリアルに写ってしまう。例えば人は人にしか見えないんですね。これまで通りに撮っていたらつまらなそうだぞというのが勘としてあって、面白い部分を探していったら、引いて撮ることが多くなった」
目の焦点を外して歩き、そこで変なものを感じると撮る。ピントを合わせてみてしまうと、見たものに心情的に寄ってしまうからだ。
「できるだけいろいろなものが写るようにしたい。今ではモノクロとカラーでも、モノの見方をあまり変えないように撮ってみようと思っています。ごちゃごちゃにしようと。自分の写真のスタイルを部分的にでも壊していきたいんですね」
ドバイ、2009年 (c)楢橋朝子 |
■水中写真を撮ろうと出かけた
ある日、水中を撮ろうと城ヶ島の海に撮影に行ったところ、海に入ると、水が汚なくて、すぐに断念した。陸に向けて、低い位置からシャッターを切っていった。その時に撮った中で、2枚、気になるカットがあって、翌年の2001年から本格的に撮り始めた。
それが現在も制作が続いている「half awake half asleep in the water」だ。城ヶ島は水陸両用コンパクトカメラのキヤノン・オートボーイD5で撮り、次からはニコノスに変えた。
海面と、その波越しに岸辺の光景や人の姿が写された光景は、見る人それぞれにさまざまな感興を与える。
「あるオーストラリア人は『水がいつも流動的な存在であるはずなのに、この写真では陸こそが一瞬にして変化してしまう、儚いものに見える』と話していました。自分の言葉と結び付けやすい作品ではあるようですね」
蛇足を承知で付け加えると、あくまで作者自身は、特定の意図や思いを込めて撮影しているわけではない。この風景から、見る人が何を思い、感じようが自由だ。
写真集「half awake half asleep in the water」(発行Nazraeli Press)はマーティン・パーが作品の編集を手がけた。ケルン、2008年「half awake half asleep in the water」より (c)楢橋朝子 |
■写真展はおよそ1年間かけて準備
撮影場所は、基本的に自分が行きたい海や湖を選ぶ。ただこれまでと違い、撮る前にビューポイントを探す作業が必要だ。それは海上からテトラポッド以外の人工物が見えることが最低条件となる。
「今までのように考える前に撮るというわけにはいかない。行ってみて撮るものがなくて、ダメなこともあるし、撮る前の作業が長くかかっています」
夏場は泳いで撮ることもあるが、ボートを使うこともある。が、いずれにしても泳ぎは苦手なので、そう沖に出ることはない。
「密漁者と間違われたことが何度かある。だから漁師や釣り人に怪しまれないよう、気を遣います」
昨年2008年と今年にはドバイ、韓国の珍島(チンド)、ニューヨークなど海外での撮影も行ない、この展示ではその新作を中心に構成した。
「今回の写真展の話は1年ほど前にありました。2階までが吹き抜けの個性的な空間でしたから、ここにはいくら良い写真でも普通に飾ったらダメだと思い、月1回通って、展示の構想を練っていきました」
楢橋さんが20年間かけて磨いてきた写真世界のエッセンスが広がる。NU・Eから知る人も、初めて楢橋さんを知る人も、見ておきたい展示だ。
珍島、2009 (c)楢橋朝子 |
2009/9/30 00:00