小林のりお展「アウト・オブ・アガルタ」

――写真展リアルタイムレポート

デジタルの持つ空虚さ、一瞬でデータが消えてしまう頼りなさが小林さんにとっては魅力的なのだ (c)小林のりお

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 写真は言語の壁を超えて、世界の人々に伝えられる共通の言葉だ。ただ言葉が介在しない分、イメージを読む力は要求される。そこが写真は難しいと指摘される部分であり、奥深く楽しいといわれるところでもあるのだ。

 その写真的なエッセンスが詰まっているのが、今回の小林さんの作品群といえる。小林さん自身は生粋の写真少年で、親から買ってもらったフジペット(1957年9月発売)を使い、9歳から街を撮り始めた。

「写真は何よりも楽しい遊びでした。今でもそこは変わっていません」と小林さんは笑う。写真に撮った現実は、いつも見ているそれと似ているけど違う。そのズレた世界は、見る人に不思議な触媒の役割を果たすのだ。

小林のりおさんは写真集『LANDSCAPE』で日本写真協会賞新人賞(1986年)、『FIRST LIGHT』で木村伊兵衛賞(1993年)を受賞した今回は展示作業の合間を縫ってお話をうかがった

 「アウト・オブ・アガルタ」は新宿ニコンサロンで開催。会期は2009年9月15日~9月28日。入場無料。開館時間は10時~19時(最終日は16時まで)。会期中無休。所在地は新宿区西新宿1-6-1 新宿エルタワー28F。問合せは03-3344-0565。

「デジタルキッチン」始まりのころ

 小林さんはいち早く、デジタルカメラを使って作品制作を始めた写真家の一人。そのきっかけは、「ワープロが壊れたから、マッキントッシュに買い換えた」ことだったという。発端は写真とは無関係なのだが、その後、富士フイルムのDS-7(1996年7月発売)を使うと、意外と簡単に写真が撮れた。

「CCDは35万画素で、おもちゃみたいなカメラだったけど、撮る楽しさを思い出した。少年時代に帰ったみたいだったね」

 性能の低いDS-7では風景を撮る気にはなれなかったため、目の前のモノを撮り出した。それが自宅の台所での光景を被写体にした『デジタルキッチン』シリーズだ。日々撮影し、数日に1回、インターネットにアップしていく。約10年前という今と比べものにならない遅い通信環境のころに始め、今も継続している。

「キッチンは家の中で、一番変化がある場所。ウチの台所には東側に小さな窓があり、朝方、そこから光が入る。季節によって陽の差す角度が動き、ものの見え方が違ってくる。微かな変化だけど、そこが面白い。それとインターネットという発表舞台があったからこそ、始めたシリーズでもある。自宅にいながら世界に配信できる可能性に惹かれたんです」

日常の断片を選びながら、時代的な要素も入れていると小林さんは言う (c)小林のりお

 実際、デジタルキッチンを始めて3年目ぐらいに、ロシアのディレクターから個展開催を打診するメールが入ったという。そこから交流が生まれ、モスクワの美術館で個展を開いている。

「そのころ、ロシアはちょっとした日本ブームだった。僕の写真の中に日本らしさと、今までの写真の流れとは違うところで変なことをやっている面白さを感じ取ってくれたようです」

 ここで撮影されているのは、キッチンで起こった出来事ではなく、キッチンに登場する食器や食材、同居人が着ている服といったモノそのものだ。そこに作者の内面、小林家の日記風な情報は入り込ませていない。

見えない何かを撮りたい

 この「アウト・オブ・アガルタ」は2006年から撮り出されている。それは、デジタル一眼レフの性能が上がり、ようやく外を撮る気になったからだそうだ。

 カメラはニコンD3、D3X、D200で、Ai AF Nikkor 50mm F1.8 Dをメインに単焦点レンズを使っている。撮影場所は身近な日常。カメラを持って撮影に出かけることもあるし、勤務先の大学のキャンパス内や、旅先で撮ることもある。

「日常的な風景の向こう側にある、不可視の何かを想定しながら撮っています」

 例えば今回の写真展で一番最初に飾られた1枚。どこかの公園か、緑地の光景だろうが、見つめていると、どこか絵空事のような雰囲気が漂い始め、一つ一つの木や草がそれぞれにうごめきだすのを感じる。

「この風景を見た時、この写真そのままのイメージが感じられ、そこでシャッターを切った」

この1点から「アウト・オブ・アガルタ」は始まる (c)小林のりお

 長年やっているので、撮る瞬間には、写真になった時の絵が浮かんでいるという。ワンショットでそのイメージに合う画像は得られないので、設定を変えて何枚も撮り、あとでモニター、プリントでセレクトを行なう。

「どう写すかと、きれいなプリントを作ることを重視して、露出、シャッタースピードを選ぶ。そこはデジタルになっても、リバーサルで撮っていた頃とまったく変わりません」

作品の方法論も変化していく

 使うカメラによって、また時代によって作品の方法論は変わると、小林さんは言う。デビュー作となった写真集「LANDSCAPE」(1986年発行)と、続く「FIRST LIGHT」(1992年発行)は、大判カメラにリバーサルフィルムで撮影したものだ。

「当時、自己の内面を投影させた写真が主流だったので、敢えて自己を出さない、表現をしない写真を撮ろうと思った」

 「LANDSCAPE」では街の解体と再生の光景をパノラマカメラを多用して記録した。ワイド画面で多くの情報を満遍なく取り込むことにより、「世界に対して受動的なポジションを確保」し、「写真家自身の主体性を稀薄に」するためだと写真集の巻末で解説している。

 さらにリバーサルフィルムを使ったのは、ネガのように暗室で色がコントロールできる方法でなく、撮影段階で制作を完結させるためだった。できるだけ作者の意図を排除しようと努めたのだ。

約4年間で撮った中から1カ月かけてセレクトした。最初はモニターで300点ほどに絞り、次はプリントで30点を選んだ (c)小林のりお

選ぶカメラと時代によって見るものは変わる

 カメラは目の前にある現実を写す機械だ。写真家はその光景の中で、あるモノに注目し、写真として切り取る。写真家は目にした現実と、それを写し取った写真とのズレを認識しながら、次の被写体を選んでいくのだ。

 小林さんは言う。「カメラによって見るものが違ってくる」。

 写真にとどめたいのは、その光景を見た刹那、撮影者の中に去来した不可知な衝動だ。それが写真の言語を有する人には、何らかの思いや記憶を引き出す作用が起こる。

「同じ写真でも、フィルムはもう散々やってきた気持ちがある。デジタルはまだ画質などに不満はあるけど、撮る喜びがある。今後もデジタルキッチンとアウト・オブ・アガルタは続けていくけど、その先には中判、大判のデジタルカメラで撮ってみたい」

 アガルタとは、小林さんが好きなマイルス・デイビスのライブアルバムのタイトルであり、空想上の地底王国の名前だ。小林さんは自身のウェブサイトで、小学生時代に撮った写真に、このタイトルをつけて掲載している。

 out ofを辞書で引くと、「~の外に、~から」とある。小林さんにタイトルの意図を聞くと「アガルタって語呂がいいでしょ。そんなに深い意味はないんだよ」と笑う。大人の遊びは、かように知的に、真面目に、洒脱にやるのだ。

コンパクトカメラは画質が物足りないのであまり使わない。美しいプリントを作ることは絶対条件なのだ (c)小林のりお


(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。4月某日、4回目になるギャラリーツアーを開催。老若男女の写真ファンと写真展を巡り、作品を鑑賞しつつ作家さんやキュレーターさんのお話を聞く会です。始めた頃、見慣れぬアート系の作品に戸惑っていた参加者も、今は自分の鑑賞眼をもって空間を楽しむようになりました。その進歩の程は驚嘆すべきものがあります。写真展めぐりの前には東京フォト散歩をご覧ください。開催情報もお気軽にどうぞ。

2009/9/18 14:35