サンディスク・エクストリーム・チームに聞く「スポーツ写真の世界」:YUTAKA編

Reported by市井康延

 7月27日、ロンドンオリンピックが開幕する。これからアスリートたちのドラマが報道され、多くの人を熱狂させるに違いない。そこで重要な役割を果たしているのがカメラマンだ。スポーツという筋書きのないドラマの中で、かけがえのない一瞬を切り取り、言葉では伝えられない物語を封じ込める。写真が持つ重要なエッセンスがそこにはある。そこでサンディスクがサポートするエクストリーム・チームのメンバー5名にインタビューし、スポーツ写真の魅力、醍醐味を紹介する。


YUTAKA氏

悔しさがバネになった

 YUTAKAさん(アフロスポーツ所属)は、人あたりが良く、少し気弱げにすら見えるのだが、その内面には相反したキャラクターを秘めている。穏やかでありながら、芯に激しさを秘め、緻密でありながら、どこかすっぽり抜けている。それは生まれ育った環境が大きく影響しているのかもしれない。

 YUTAKAさんは、スポーツ写真の第一人者である水谷章人さんの三男だ。

「小さい頃から写真はやるつもりはなく、違う道を探していました」

 それが父の会社であるマイスポーツ出版で経理を手伝うことになった。

「最初は、何かあった時、自分も手伝えるようにしておこうと思っただけだったんです」

 まず小学生の頃、かじったことのあるサッカーを撮りに行った。

「ファインダーのなかで、ボールを見失ってしまう。ボールを追い切れずに、全く撮れなかった」

 その悔しさから、毎週末はサッカーを撮りに行くようになった。ゲームがあれば1日何試合でも梯子した。

「選手の癖を飲み込み、足の動きやその角度で、どのくらいのボールを蹴るか、少しずつ分かるようになりました」

 サッカー以外にも幅を広げ、自分で競技大会を調べ、撮り始めるようになる。ある時期から撮影した写真を契約カメラマンとしてアフロに預けるようになり、2年ほど経つと所属スタッフになった。回り道しながら、蛙の子が孵ったケースだ。


よいプレーには、興奮して声が出る

 YUTAKAさんは極度の近眼だという。裸眼で視力0.05を切る。それでも撮影時、眼鏡もコンタクトレンズもしていない。

「試してはみました。ただコンタクトは眼に合わず、眼鏡はカチカチとカメラにぶつかるのが気になって諦めました。視力に頼っていないので、その場の空気感が敏感に感じられ、カンが働くような気がしています」

 そう言った後で、すぐに「ホントはどうかわからないですけど」と笑う。

 初めてサッカーの日本代表戦を取材した時は、日本の初ゴールに興奮して見入ってしまったという。シャッターも押さずに。

「サッカーに限らず、凄いプレーを見ると、声が出ますね。もちろん今は撮り忘れることはありませんが。ただ感情移入し過ぎると、僕の場合、結果は良くありません」

 記録のかかった現場は、常に刺激的だ。だが試合中、何よりテンションが上がるのは、よい瞬間を捉えた時だ。シャッターを押した手応えで分かるという。

「僕は撮影中、ほとんど液晶モニターは見ません。だから時々、手応えと実際の画像のギャップに首をかしげることになるんですが(笑)」

 よい一瞬に出会うのは『運』の要素が相当あるとYUTAKAさんはいう。ただその運を引き寄せる、遭遇する確率を高める方法は、カメラマンそれぞれが持っている。誰もそんな素振りは見せないのだけれどね。


撮影には想像力が大事

 ロンドンオリンピックでYUTAKAさんは、水泳(競泳、飛び込み、シンクロナイズドスイミング、水球)を撮る。日本中が注目する競技の一つであり、カメラマンの責任も重い。

「これまであまり撮ってこなかったスポーツで、今はまだ、どう撮ろうか、想像力が働いてこないんですよ」と笑う。

 例えば入江陵介選手の場合、背泳ぎで右腕を振り上げる時、腕が顔の上を通過していく。水面を俯瞰する位置から狙うと、その瞬間、顔が隠れてしまうのだ。

「それぞれの選手の特徴を知っておくことと、前回のオリンピック以降の戦績、タイムを調べて、注目選手をマークします」

 さらに日本選手権など国内でいくつかの競技大会を撮影し、現場の情報を加えながら、撮るべきイメージを想像する。まずは決勝で捉えたいカットを決め、そこから準決勝、予選で試みるアングルを逆算していく。

「報道写真として押さえるべきカットを撮りながら、写真として面白い1枚、見たことのないイメージを探っていきます。口でいうように、簡単には見つからないんですけどね」

 そのシミュレーションは繰り返し修正されながら、本番まで続く。多分、それが運を引き寄せる大きなカギなのだと思う。


オリンピックは特別だ

 オリンピックは特別な舞台だ。そこには魔物がいて、選手も飲み込まれるが、カメラマンもたぶらかされてしまう。

「2008年の北京では10種目以上の競技を撮りました。けれど会場の雰囲気に圧倒され、何か分からないままに終わってしまった」

 これまでに取材したどの大会よりも多くのカメラマンがいて、撮影スペースは自由が利かない。周囲のカメラマンのレンズに遮られ、自分が撮りたい方にカメラが振れない事態も起きる。

 日々、緊張の連続で、とんでもないポカも起きる。YUTAKAさんは、ある朝、競技場に着き、カメラにバッテリーが入っていないことに気づいた。

「毎晩、バッテリーを充電するのですが、ぎりぎりまで寝ていて、そのまま飛び出してきてしまったんです」

 周りの機材がEOS-1D Mark IIIに切り替わった時期で、知り合いのカメラマンにYUTAKAさんが使うEOS-1D Mark II Nを持つ人はいなかった。宿やカメラメーカーのサービスセンターはバスで1時間以上離れていて、取りに行く時間はない。会社の人間に電話しても、寝ているのか出ない。それでも撮らずに帰るわけにはいかない。

 周囲を見渡すと、観光客風の人が同じカメラを持っていた。そこで彼に「バッテリーを貸してくれないか」と頼んだ。返事は、もちろんノーだ。そこでカメラを2台持っていた日本の新聞社カメラマンに理由を話し、1台を貸してほしいと頼み込んだ。

「マイナーな競技だったことも幸いしたのでしょう。驚きながらも、借りることができました」



メモリーカードの信頼性

 もう一つ、YUTAKAさんには忘れ難い経験がある。以前はサンディスクと別のメーカーのメモリーカードを使っていた。

「何度か、実際撮った感覚より、メモリーカードに記録された写真が少ない感じがしていたんですよね」

 バトミントンの撮影で、当時人気の女子ペア、オグシオを撮った。

「試合の合間、ベンチで休んでいるところを撮らせてもらったら、そのカットがすべて記録されていなかった。それでカードの不具合が判明しました」

 滅多にあることではないが、だからこそ、一度でも起きたら致命的だ。それ以降、サンディスクを使い、今はメモリーカードへの不信感は払拭された。

「書き込みスピードも速くて、この面でもストレスがなくなりました」

 マラソンは沿道のファンが振る旗や、先導車など、予想外の邪魔が入ることがある。だから、かなり遠くからでも撮れるのであれば、シャッターを切り始める。

「それで選手が近くまで来て、書き込みができなくなったことが何度かあった。サンディスクを使い始めてからは、それもなくなりました」



オリンピックでの挑戦

 アフロスポーツはあらゆるメディアを想定して撮影を行なう。所属するカメラマンは件に応じた仕事をしなければならない。事実を感動的に分かりやすく伝える写真も必要だが、ほかの報道・通信社とはひと味違う1枚も要求される。

「人と違う1枚を撮るためには、ほかのカメラマンが来ない撮影場所を選ぶことも必要です。ただそこは撮れない確率も高い場所でもあります。会社に属していると、リスクは冒しづらく、常にジレンマを感じていますね」

 ただYUTAKAさんの中には、北京で味わった屈辱がありありと残っている。
「ロンドンでは冒険するつもりです」

 オリンピックではさまざまなドラマが綴られるのだ。






2012/5/24 00:00