インタビュー

SIGMA 70mm F2.8 DG MACRO | Art(前編)

独特な焦点距離“70mm”はなぜ生まれた?

SIGMA 70mm F2.8 DG MACRO | Art(sd Quattro Hに装着)

シグマの最新マクロレンズ「70mm F2.8 DG MACRO | Art」の開発者インタビューをお届けする。同じスペックを持つ従来モデルに与えられた“カミソリマクロ”という称号を合い言葉に、キヤノン用、シグマ用、ソニーEマウント用が発売され、注目を集めている。(編集部)

左から、マーケティング部 マーケティング第2課 課長の桑山輝明氏、開発第2部 第2課の仲本純平氏、会津電子技術部 第2課 係長の花泉朋宏氏、開発第2部 第7課 アソシエイト技師の白井純一氏。

開発コンセプト、商品企画について

——単焦点のマクロレンズで70mmという焦点距離は他社にありませんが、この焦点距離を採用している狙いから教えてください。

桑山:前のモデルは2006年に発売されました。マクロレンズと言えば105mmといったイメージが強いですが、当時はAPS-Cサイズのデジタル一眼レフカメラが主流でしたので、APS-Cサイズのデジタル一眼レフカメラで105mm相当の画角を持つマクロレンズとして企画しました。

もちろん、70mmはフルサイズ機でお使いいただいても50mmよりは長く、105mmよりは短い焦点距離なので、手で被写体を動かしながら撮影する場合など、被写体とほどよい距離感を保ちながら撮影できる使いやすい焦点距離であることもあり開発しました。

マーケティング・広報担当の桑山氏

——今回の製品をフルサイズ機で使いましたが、被写体との距離感がほどよいのと、ファインダー倍率が0.7倍くらいの一眼レフカメラに装着すると、肉眼とファインダー像がほぼ同じ大きさに見えて使い勝手がいいです。視覚でのイメージと、実際の画面とのギャップが少ないというか、見たままのイメージでマクロ撮影ができるところがいいなと思いました。

仲本:50mmは被写体にかなり寄り、105mmはある程度距離をとらないといけません。その中間の70mmは、程よい距離感が保てるということはあると思います。当初はAPS-C機で使いやすい焦点距離を意識したのが始まりだったかもしれませんが、フルサイズ機でもバランスの良い焦点距離だったと思います。

また、70〜85mmくらいのレンズですと、ファインダー像と肉眼の像の大きさが同じくらいになります。もちろん前機種の評判が良かったので、それを継承したいという思いもありました。

光学設計担当の仲本氏

——前モデルが2006年発売で、新モデルまで12年ありました。このタイミングで新モデルが発売された背景はどんなところですか? 評判が良かった前のモデルが終了した理由も教えてください。

70mm F2.8 DG MACRO | Art(左)と従来モデル「Macro 70mm F2.8 EX DG」(右)

桑山:前モデルが終了した理由は、そのレンズに使用しているガラスの生産が終了してしまったからです。

また、弊社では2012年からSGV(SIGMA GLOBAL VISION)の考え方に基づき、3つのプロダクト・ラインに分類していますが、現在までマクロレンズがなかったこともあり、最初の製品として70mmを選びました。

——プロダクト・ラインとして"Macro"というラインは新たに作られず、今回の製品はArtラインに分類されましたが、105mmや180mmなどの既存のマクロレンズがリニューアルされることがあったとしても、やはりArtシリーズに分類されるのでしょうか?

桑山:今回の70mmは、高画質達成を優先させるため、Artラインのマクロレンズとして開発いたしました。

——ということはSportsのマクロレンズやContemporaryのマクロレンズもありうるということでしょうか?

桑山:今回の70mmは、画質が最優先だったのでArtラインに属しましたが、開発コンセプトによっては、Sportsや、Contemporaryのマクロレンズの可能性も考えられますね。

——それは期待が膨らみますね。ところで、前モデルはカミソリに例えられるほどシャープな描写が好評でしたが、シグマさん自身が感じる課題点やユーザーからの改善要望などはありましたか?

仲本:レンズ設計者の立場から前のモデルの特性を見たときに、ボケの輪郭部分やコントラストの高い被写体の輪郭部分などで目立ちやすい軸上色収差がやや気になっていましたので、そのあたりを重点的に改善するようにしました。また、お客様からはAFの動作音など使い勝手についての要望をいただきました。

——それを受けて、今回のモデルはどのように開発されましたか?

仲本:SGVとしては初めてのマクロレンズということで、評判の高かった前モデルを上回る光学特性を得ながら、手に取りやすく使いやすいマクロレンズを目指しました。

——前モデルからの具体的な改善点を教えてください。

仲本:光学設計の面では、軸上色収差を中心に改善しています。前のモデルでは金属の反射や水面のキラキラした反射、木漏れ日などハイコントラストな被写体のボケの部分に軸上色収差による色づきが若干目立つ場合があったのですが、それを今回は大幅に改善し、よりスッキリとした描写が得られるようにしています。

白井:機構面では、鏡筒の繰り出し時のガタを極力少なくするために"回転筒"と呼ばれるパーツ部分を工夫しました。従来のモデルはヘリコイドで繰り出しを行なっていたのですが、ヘリコイドは接地面積が大きく、回転に大きな力が必要な割にはガタもある程度残ってしまうという性質があり、消費電力の点でも改善が必要という課題がありました。

機構設計担当の白井氏

そこで今回新たに繰り出し機構にカム方式を採用し、カムと組み合わせるコロの形状も工夫することで、回転に必要な力を減らしつつガタが従来よりも少なくなるようにしています。小型軽量化の面では、フォーカスリングの回転を検知するセンサーを小型のものにすることで、鏡筒の太さを抑えられました。

繰り出し機構のカム
コロ(黒いパーツ)を入れたところ

また駆動系にも、小型でありながら応答性がよく高トルクが得られる新開発のDCモーターを採用して小型化と静音化を両立させています。ギア比によって駆動音が大きく左右される事もありますので、静音化にあたってはフォーカス群の重量と必要なトルクのバランスを考慮しつつギア比を最適化することで、駆動音を抑えています。

DCモーター

花泉:制御面では、新しく採用したバイワイヤ方式のマニュアル・フォーカス時に、フォーカスリングの回転とピントの移動量に違和感がなく、より微細なピント調整をやりやすいようにチューニングしています。

SGVシリーズでは初のマクロレンズということで、キヤノン用のレンズでは対応するカメラに搭載の「レンズ光学補正」への対応や、ソニーEマウント用のマウントコンバーターMC-11との連動、それから前モデルではなかったテレコンバーターへの対応などが改善点として挙げられます。

ファームウェア担当の花泉氏

——機構設計で小型軽量化にも配慮されたというお話がありました。スペックを見ると全長は少し伸びましたが、最大径は抑えられていて、重量も10g軽くなっていますね。商品企画としても、小型軽量化やハンドリングという点に留意されたのでしょうか?

桑山:はい。多くのお客様にお使いいただけるように、前のモデルよりも小型軽量にして持ち運びやすくなるように考慮しています。

仲本:同じコンパクト化の方向性でも、試作段階では「従来より太く短くなる設計」と「従来より細く長めになる設計」のふた通りがありました。

白井:先ほど申し上げた、機構部分がヘリコイドのタイプとカムのタイプの2種類です。両者のメリットやデメリットを挙げた上で比較したところ、カム方式の方が機構的な利点が多いこと、部品点数がカム方式の方が少なく済むこと、またデザイン的にもスリムな方がミラーレス機などにもマッチするということで、最終的にカム方式が採用になりました。

——開放F値はF2.8ですが、スペック上のインパクトとしてはシグマさんらしくもっと明るいマクロレンズがあっても良い気がします。

仲本:今回は小型軽量にするという方向性がありましたので、大きく重くなりがちな大口径化は当初から検討しませんでした。また、マクロレンズは、至近領域で被写界深度が浅くなりがちですので絞ることも多いと思いますが、開放F値が明るくなると同じ絞り値でもボケに絞り形状が目立ちやすくなるので、マクロレンズにおいては大口径がメリットばかりではないこともあります。

——前モデルについて「このレンズでブツ撮りをすると仕事が楽だ」とお聞きしたことがありますが、今回のモデルでもその特徴は継承されていますか?

桑山:はい。前のモデルも軸上色収差を大幅に抑えることを目指した設計でした。軸上色収差が大きいレンズで撮影すると特にシャドー部に色が乗る事がありますが、前モデルでは色が乗らないので、後処理がほとんどなく作業が楽でした。

今回のモデルはそれよりも軸上色収差を抑えた設計になっていて、よりクリアで濁りのない撮影ができます。そういった意味では、ブツ撮りの仕事がさらに楽になっていると言えますね。実際に撮り比べると、新しいモデルの方がクリアでよりすっきりとしたイメージです。

——次に対応マウントですが、ニコンマウントがない理由を教えてください。

桑山:前群繰り出しのフォーカシング方式と、バイワイヤ方式の組み合わせにおいて、ニコンさんのAF-Pレンズとの使い勝手に懸念があるため、開発を保留しています。

——実際に装着した場合、具体的にどういう動作になるのでしょうか?

花泉:今回のレンズは前群繰り出し方式のフォーカシングとバイワイヤ方式を組み合わせていますので、電源をOFFにした時にフォーカシングの繰り出しを元の位置に戻す動作が必要になります。しかしカメラ側とのやりとりで対応できない技術的な課題があり、前玉を繰り出した状態のままカメラの電源をOFFにすると、そのままの状態で止まってしまうことになります。

レンズを収納するためには、カメラの電源を切る前にお客様にフォーカスを無限遠の状態に戻していただく必要があり、それではお客様の使い勝手が悪くなってしまうと判断しました。

——コンパクトカメラの沈胴レンズのように、電源OFF時にレンズを自動で収納する必要があるのですね。収納は自動でなくてもいいからこのレンズを使いたい! というニコンユーザーもいるのでは?

桑山:そうした機構的な仕組みがよくおわかりで、ご自分で対処できるお客様向けに条件付きでお使いいただくことも検討しましたが、マクロレンズや一眼レフカメラ自体が初めてというお客様のことも考えますと、それは難しいと判断しました。

——キヤノン用は、対応機種を見ますとEOS 7D Mark IIとEOS Kiss X90を除く現行モデル全機種とEOS 8000Dのみになっていますが、対応機種以外の旧機種では動作しないのでしょうか?

花泉:EOS 7D Mark IIとEOS Kiss X90、EOS 6D(※販売終了)以外の現行機種と8000Dでは、一通りの機能に対応しています。それ以外の旧機種では、前述の”電源OFF時の自動収納”には対応しておりませんが、AFやMFなどの撮影に関する機能は問題なくご使用いただけます。

——ソニーEマウントに対応する難しさはありますか? また、Eマウント機のすべての機能に対応可能ですか?

花泉:結果的にマウントが増えることになり、これまでのマウントと同等の性能を維持するという点で苦労しました。また、ファームウェアの実装ボリュームや確認のボリュームも増えており、そうした部分への対応の大変さもあります。

ただ、弊社はソニーさんとのライセンス契約の下でEマウント仕様書に基づき開発しておりますので、より高品位なカメラとの連携が可能になっています。

——ちなみにEマウントのフルサイズ専用レンズはこのレンズが初めてでしょうか?

桑山:ソニーEマウント用のフルサイズ対応レンズとしては、5月25日に発売した50mm F1.4 DG HSM | Artと、85mm F1.4 DG HSM | Artが最初になります。ちなみに70mm F2.8 DG MACRO | Artは6番目になります。

——これまでもソニーEマウント機にはマウントコンバーター経由で使用可能でしたが、Eマウント専用モデルとマウントコンバーター経由の場合で機能面の違いはありますか?

花泉:マウントコンバーターMC-11経由の場合、AF-Cモードについては正式な動作保証をしていなかったのですが、専用マウントでは正式対応として、より滑らかな動体追従性を確保しています。それ以外の機能につきましては特に違いはありません。

画質を最優先した光学設計

——レンズ構成の面から見た、今回のレンズの特徴をお願いします。

レンズ構成図。

仲本:基本構成は前のモデルを継承しつつも、レンズの構成枚数を増やし、ガラスの種類も変え、非球面レンズも用いることで、収差の発生をより抑えてバランスに優れた画質が得られるようにしています。

また、前のモデルは2群構成の繰出し式フローティングフォーカスでしたが、今回は前部のフォーカス群を2つに分け、固定式後群と合わせて3群構成にしているところが異なります。

——前のモデルは1枚目のレンズが凹で、今回のレンズも枚数は増えていますが前の部分は全体として負のレンズ群ですから、マスターレンズの前に負のレンズ群を置くレトロフォーカスタイプの構成かと思います。焦点距離は70mmの中望遠域なので通常ならわざわざレトロフォーカスにしなくても良いような気がします。あえてこうした構成にしている理由はありますか?

前モデル「Macro 70mm F2.8 EX DG」のレンズ構成図。

仲本:おおまかにはガウス型の基本構成の前側に負のレンズ群を置くレトロフォーカスタイプのレイアウトは同じなのですが、こうすることでフォーカス群全体の収差補正がやりやすくなります。

つまり、前方に負の構成を置くことで、ガウス型部分の曲率を小さくでき、収差の発生量自体を抑えられます。レトロフォーカス型の構成ではレンズが大型化しがちですが、前のモデルも今回のモデルも共に画質を最優先してこうした構成を採用しています。前モデルは2006年発売当時のマクロレンズとしては大きめのレンズだったと思いますが、いま見ると、逆にコンパクトに思えるところが不思議ですね。

——前から5枚目のFLDレンズから10枚目のFLDレンズまでがガウス型の構成だと思いますが、ここを伝統的な対象型に近い構成にすることでどんなメリットがありますか?

仲本:先ほど申し上げた前群部分が負、ガウス型部分が正、そして実はガウス型よりも後ろの後群部分が負の性質を持っていて、ガウス型の部分だけでなく全体としても負、正、負の対称型の構成になっています。こうすることで歪曲収差の補正に対応しやすく、かつ各部の収差も最小限に抑えることができます。

——一般にガウス型の構成は、大口径レンズのマスターレンズ部分に使われることが多いですが、F2.8の本レンズでこうした構成を取り入れているのはかなり贅沢ですね。

仲本:はい。今回のレンズはスペックに対して構成枚数はかなり多い方だと思いますが、画質で妥協することはできませんでしたので、この構成を採用しました。

——全ては画質のためにということですね?

仲本:前モデルの評価が高かったので、そのプレッシャーもあります。

——このクラスのマクロレンズにFLDやSLDといった低分散レンズを多く使うのは珍しいと思います。これによってどんな効果がありますか?

仲本:前モデルの頃に比べて現在ではガラスの種類も豊富になり、いわば設計のための"手駒"が増えた状態なのですが、そうした新しい素材を使いつつも、今回注力したのはやはり軸上色収差の補正です。

レンズ構成図では特殊硝材として色つきで示しておりませんが、高屈折率で異常部分分散性のあるガラスも1枚使用しており、FLDやSLDガラスだけでなくそうした硝材との組み合わせによってより効果的な色収差の補正を行なっています。

——そのガラスを特殊硝材としてアピールされないのはなぜですか?

桑山:SLDやFLDなどのように呼称をつけると、将来様々な特徴的な硝材ができたときに記号だらけになって、逆に煩雑になってしまいますので、呼称はつけませんでした。そのため、Webサイトなどでは“屈折率が高く異常部分分散性の高いガラスも1枚採用”といった表現をしております。

※後編に続きます

杉本利彦

千葉大学工学部画像工学科卒業。初期は写真作家としてモノクロファインプリントに傾倒。現在は写真家としての活動のほか、カメラ雑誌・書籍等でカメラ関連の記事を執筆している。カメラグランプリ2018選考委員。