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キヤノン「PowerShot G9 X」のデザイン哲学を探る
デザイナーの“欲しいカメラ”が結実
Reported by 本誌:鈴木誠(2015/12/22 08:00)
キヤノンが10月に発売した「PowerShot G9 X」は、ポケットサイズのスリムボディで普段使いの高画質カメラを目指した意欲作だ。
高スペックで納得させる尖ったカメラに比べれば好みの分かれる存在だが、ひとたび手に取ってみれば、それでもこの外装や操作感が一目惚れに十分な魅力を持っていることがわかる。
男らしく実用然としたGシリーズの中に颯爽と現れた“新顔”G9 Xについて、「外装デザインの冒険」、「小型化の工夫」、「ラインナップ展開」の観点から話を聞いた。
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----PowerShot G9 Xの外装デザインは、Gシリーズでも特にファッショナブルで目を引きました。そもそもG9 Xはどんな立ち位置のカメラですか?
松本:PowerShot Gシリーズは、画質だけではなく、操作感やデザインなど、モノとしてのこだわりも一貫して取り入れている「プレミアムシリーズ」です。シリーズ全体のユーザー層は、どちらかというと世代が上の男性に固まりがちなのですが、G9 Xには比較的若い人にも“Gシリーズの良さ”を幅広く知ってもらいたいという期待があります。
高谷:G9 Xは、G3 X・G5 Xと同様に、よりカメラ然とした直線基調の新コンセプトをデザインに取り入れています。また、G9 Xでは、Gシリーズの“末っ子”として新しいユーザーにも手に取ってほしいという思いを込めて、カラーやデザイン外装にも新しく冒険とも言えるようなチャレンジをふんだんに盛り込んでいます。
冒険・難関だらけの外装デザイン
----最近の高級コンパクトデジカメは、本体の質感演出に各社それぞれ工夫が見られます。G9 Xのシルバーは重めのトーンが印象的ですが、どんなこだわりがありますか?
高谷:このシルバーに気付いてもらえただけで満足!というぐらい、こだわっています。今回はプレミアム感や重厚感を演出するために「ミドルシルバー」と呼んでいる中間色のシルバー色を採用しました。この微妙な色味のアルマイト処理というのは色を安定させるのが難しく、量産する上でも非常にハードルが高いのです。もちろん覚悟の上でしたが、こうした暗めのシルバーは鬼門でした。
松本:G9 Xのシルバーはアメリカでも好評です。アメリカでは“カラバリ”のシルバーを追加してもブラックと同じ無彩色が目立って人気を集めることはないのですが、「このシルバーは違う客層を狙える!」という具体的な反響が販売側からありました。
----グリップ部分はブラックでなくブラウンで、クラシカルすぎず明るい印象も持たせるバランスを狙っているように見えました。
高谷:G9 Xの外装デザインは“Timeless”をコンセプトにクラシックとモダンな要素を絶妙なバランスで融合させた、新しく正統なカメラのスタイルを目指しています。カメラ然とした直線基調のデザインに、斜めのグリップラインというモダンなアレンジを加えています。
グリップのデザインは、素材や質感の検討から始めています。プレミアムな位置付けのカメラなので本来ならば本革を使いたいところですが、耐久性や経年変化の問題もあり、本体に直接使用するのは難しいです。また、合皮やゴムではグリップ自体が厚くなってしまいます。そこで、本体を薄く構成できる樹脂で何か新しい表現ができないかと考えました。
単純に樹脂に塗装をしただけでは質感が安っぽくなりがちという問題があったので、表面に施した革シボのパターンの溝にカラークリア塗装を溜め込ませることで濃淡をつけ、その上にラバー塗装を施すという手法を取りました。これで、革独特の風合いを残しつつ、滑りにくく耐久性にも優れたグリップを実現することができました。
グリップの革シボは、ハイファッション業界でも用いられている「クロスパターン」を参考に、独自に起こしています。シボをパターンから起こすのは珍しいです。ここの塗装は膜厚の差により色の濃淡が出てしまうので、管理が難しいポイントでした。
----ほかに外装で冒険したポイントはどこですか?
高谷:トップカバーは“難易度ウルトラC級”ですよ。上面から背面にかけての斜めの切削面が特徴です。ボディを薄く見せる手法としては、今までは段差を設けるのが一般的でしたが、G9 Xではプレミアムラインならではということで、斜めに切削加工し、本体を薄くシャープに見せています。
またトップカバー周囲にも細いダイヤカットを走らせることで、上面の印象をより高品位に演出しています。
高谷:それと、ダイヤルのローレットに施したアヤ目のパターンも進化しています。G9 Xのように細かいパターンのほうが、より小さい加工になり、切削する回数も多いから大変です。
高谷:また、ビスの頭にあるスピン加工にも、重めのトーンのシルバー色を施したのは初めてでした。
----だいぶ外装にコストがかかっていそうですが?
小林:そもそもこのデザインを量産化すること自体が大きなチャレンジであり、リスクを持って開発してきました。各所の協力で量産にこぎつけられましたが、コストはそれなりにかかっています。他の機種と比べて、外装デザインにかかっているコストの比率は高めですね。
高谷:本当に「量産できるのか?」という状態で進めてきましたからね。デザイン的には、どこか実現できなかった場合の代替案も常に用意していました。でも、結果的に皆さんのおかげでやりたかったことをすべて実現できました。
松本:技術的にも金額的にも、量産化までにたくさん壁があるなと思いました。
小林:提案されたデザインが内部的に好評だったので、なんとか「これでやっていこうよ!」という話になりました。
岩崎:難しさはありましたが、最終的にはいい結果になりました。そして、困難を乗り越えられるデザインでした。
高谷:製造のことを考えると、この直線基調なデザインは、少しでも面やカットラインが歪んだりすると、とても目に付きます。シンプルゆえに粗が目立ちやすく、作るのは難しいんです。
岩崎:パーツの“合わせ”もシビアで、量産するうえで難しかったポイントです。
松本:生産は長崎工場でやっていますが、こうした精度の高い加工は他では引き受けてもらえないでしょうし、まさに自社工場ならではです。メカ設計の人間も長崎に飛んで、細かく打ち合わせました。
操作感に工夫。ダイヤルの音質調査も
----前面にあるコントローラーリングのクリック感が心地よいです。遊びがなくタイトな操作感で、音もカチカチというよりコトコトと、精密感・高級感が伝わってきます。いろいろ研究されましたか?
岩崎:G9 Xでは操作系が減っているので、触れるところは感触を良くして高級感を持たせたいと考えました。コントローラーリングは、押し付けるようなクッションを入れて“カチカチ”と高い音が鳴らない構成としました。試作の中で音質も比べて、低めの音を狙っています。クッションが入ったことで、コントローラーリングの遊びも抑えることができました。
----モードダイヤルも、刻まれたローレットのエッジ感や操作時のトルクが心地よいです。使用頻度でいえばタッチUIで省略されてもおかしくないダイヤルですが、これを味わってほしくて残したのですか?
小川:操作系において大事な上面ダイヤルと前面のコントローラーリングを何に割り当てるかは、いろいろ検討しました。一等地のダイヤルなのでファンクションダイヤルにする案もあったのですが、PowerShot Gシリーズそのものが「プレミアムライン」という面展開なので、そのコンセプトに基づいて右肩はモードダイヤルとしました。
G9 Xは小さいカメラですが、それぞれの撮影モードに設計者の思い入れが詰まっていますから、各モードを一発で呼び出してほしいとの思いがあります。
----タッチUIをこれほど取り入れるのには、勇気が必要だったと思いますが?
小川:同じサイズ感だったPowerShot S120のカスタマイズ性を踏襲しつつ、タッチUIとコントローラリング操作を組み合わせることで、右手親指の移動量が少なくなるよう考えました。
デザインと操作性は常に“せめぎあい”で、カメラ本体を小さくしながら、今までの操作感を落とさない工夫が求められます。なので、全ての物理ボタンをなくすまでは攻めきっていませんが、結果的にカメラの小型化に貢献しました。
かつて発売した全面タッチパネルのカメラで学んだ点も取り入れていますし、タッチパネルも感圧センサーから静電容量式になり、カメラにスマートフォンのようなUIの要素も入るようになりました。G9 Xの操作性は、そうやってこれまで積み重ねてきた結果です。
1型センサーを詰め込む工夫
----より面積が大きなセンサーを積むと、当然レンズも大きなイメージサークルをカバーする必要があるわけで、PowerShot Sシリーズのような1/1.7型機並みのサイズに収まったのは驚きです。実現のため、どのような工夫や決断がありましたか?
松本:とにかく画質は良くしたかったのです。1型センサー自体はPowerShot G7 Xで採用例があったので、G9 Xはより小型で「常に持ち歩ける」がコンセプトでした。レンズを28-84mm相当の3倍ズームに抑えていますが、一般撮影は十分カバーできると考えています。
小林:G9 Xは小型・薄型を狙っていたので、鏡筒も小型・薄型を目指しました。かといって、NDフィルター、IS(手ブレ補正)、9枚羽根の虹彩絞りといった撮影の楽しさにつながる機能をなくしたくはありませんでした。そこで、さまざまな工夫をして薄型・小型な鏡筒を実現しました。たとえば、非球面レンズを3枚使って光学系を小型にしています。フォーカスレンズは一部を切り欠いて、他のパーツがそこに入るようにしています。
小林:G9 Xの1型センサーは1/1.7型センサーに比べて受光面積が約2.7倍になっています。また、光学性能も従来のプレミアム機同等以上を目指しましたので、ズーム倍率は3倍ですが、鏡筒をここまでの小さなサイズにすることは簡単ではありませんでした。もっとズーム倍率が欲しいという意見もありましたが、最終的には、鏡筒の突出量など、全体のサイズ感とのバランスを考え3倍にしました。
----たとえば広角端を24mm相当にワイド化しようとすると、かなり大きくなりますか?
小林:広角化すると、前玉が大きくなります。開放F値を暗くすれば現状と同サイズの鏡筒を実現できるかもしれませんが、「F2で小型」というコンセプトです。
また、“寄れる”ことに対する要望があるのもわかっていました。そのためマクロ撮影機能についても画質に注意しながら設計することにより、レンズ前から広角端で5cm、望遠端で35cmというスペックを実現できました。
----小型でありながら「三脚穴がちゃんとレンズの光軸上にある!」と称賛する声もあります。
岩崎:これは、カメラメーカーとしての使命感で光軸中心に配置しています。PowerShot S90以降のSシリーズはすべて光軸中心に配置しており、こうしたポケットサイズのカメラとしては最初からこだわっていました。
実は、鏡筒の下に三脚穴を置くのは内部スペース的に厳しく、本当は鏡筒の左右に配置したほうが、内部のスペースの効率がいいです。しかし、光軸中心に配置するというこだわりで実現しました。
小林:そういうこだわりは他にもあって、例えば背面の液晶モニターは左にオフセットしています。本当はこれと逆向きのほうが作りやすいのですが、カメラを保持する右手の親指が乗ってもいいように、使いやすさを考えて逆向きで取り付けています。
幅広い顔ぶれのラインナップに
----既に1型センサーの小型モデルとしてG7 Xがありつつ、さらにPowerShot S90に始まるシリーズを彷彿させるG9 Xをリリースしたのには、このサイズ感に対するこだわりや思い入れがあったのでしょうか?
松本:G9 Xの開発段階では、あえて“Sシリーズの後継”という言い方をしませんでした。Sシリーズとは異なる、新たな魅力を生み出したかったからです。でも、Sシリーズのサイズ感にこだわる方が内外にいるのは認識していたので、「常時携行可能なポケットサイズの薄型プレミアムモデル」を実現しました。
Gシリーズはあらゆる撮影スタイルに合わせて、ニーズで選んでもらえるようなラインナップになっています。選択肢をできるだけ作ったので、ご自身のスタイルに合うカメラを選んでいただければと思います。
買った後に満足度が高まってくるのが“いい製品”なので、画質も含め、モノとして持つ喜びを意識したプレミアムシリーズです。箱にもお金がかかってますからね。
----イメージカットも黒バックの重厚な感じで、わくわくさせますね。
高谷:通称“フェチカット”ですね(笑)。こういうイメージカットを選ぶときには「今回フェチカットどれにする?」なんてやり取りがあります。個人的には、底面の足にまでスピン加工を施しているのもこだわりポイントなので、ここもフェチカットです。
----デザイナーとして、製品に仕上がった状態での満足度はいかがでしょう。
高谷:満足度は高いです。いろいろカメラをやってきましたが、一番チャレンジングなことを、盛り込みすぎたぐらい盛り込みました。最初は「できないだろう」と思いながら、採用されなくても仕方ないという気持ちでデザインの提案を出したぐらいです。
でも、何より「自分が欲しいカメラ」として、妥協したくなかったんです。キヤノンにいた思い出になるようなモノを作りたかったですし、将来振り返って語れるデザインにしたかった。
----そんな想いが詰まったG9 Xですが、どんな方々に手にしてほしいですか?
高谷:Gシリーズのカメラは、ある程度のターゲットユーザーは決まってくるイメージですが、G9 Xについてはそれだけではなくて、自分なりのスタイルやセンスを持った、違いがわかる方々に見つけてもらって、知ってもらえたら嬉しいですね。なんといってもチャレンジングなカメラでしたから、3機種分ぐらいの負担はあったと思います(笑)。
小川:かなりの開発パワーをこの大きさにまとめました。小型ボディに1型センサーやDIGIC 6のパワーを凝縮するところに時間と知恵を注ぎ込んでいます。このデザインを原動力として、「このカメラを仕上げたい!」という強い思いがありました。 最後まで大変だったよね?
岩崎:そうですね。
高谷:まだ大変だった頃が記憶に新しいです。
まとめ
ポケットサイズの高画質コンパクトデジカメというスタイルを業界に広めたのは、ほかでもないキヤノンだ。それは2009年の「PowerShot S90」にはじまったと認識しているが、しばらくすると1型センサーが当たり前の時代に突入し、1/1.7型を基本としたキヤノンの高画質ポケットカメラのシリーズは、少し存在感が薄らいでいたように思う。
数年ぶりに手にした「PowerShot G9 X」は、10万円クラスの高級コンパクトカメラに負けない風格(=外装の作り込み)にまず驚いた。無理なくポケットサイズのままで、中身は堂々の1型センサーである。いざ撮ってみるとレンズ性能にも無理がない。実際の撮影性能の高さや、デザイン的冒険の数々など、このG9 Xを認めてこそ真に“違いのわかる人間”を気取れるように思った。
価格競争力を超えた魅力を持つプロダクトは偉大であり、この目まぐるしい時代にそうしたカメラを送り出す決断もまた偉大だ。G9 Xにおいてそれを実現した原動力は間違いなく「デザイン」の力であり、こうしたモノ的な魅力がもっと注目されることで、今後も手にしてワクワクするカメラが世にたくさん出てくれればと期待してやまない。