【CP+】フォト・ヨコハマ2012「エリオット・アーウィット トークショー」レポート


 江戸時代の写真師、下岡蓮杖が横浜に写真館を開いたのが1862年。その時から今年で150年を迎える。商業写真発祥の地である横浜市は、1〜3月に「フォト・ヨコハマ2012」の総称で、フォトイベントを市内各所で展開中だ。その目玉の一つでもある「エリオット アーウィット トークショー」が2月9日、CP+2012の会場で開催された。

 エリオット・アーウィットの名は知らなくても、その作品は眼にしたことがあるはず。東京都写真美術館の入口に向かう壁面にも、彼の1枚が掲げられている。

 彼は1949年から写真家としてのキャリアをスタートさせ、以来、ジャーナリズム、スナップショット、ポートレート、ファッション、コマーシャルなど、幅広い分野で活躍してきた。その作品は世界40カ国以上で発表されているという。

 この日は代表作をスライドで上映しながら、撮影エピソードや写真への思いを語った。ナビゲーターは横浜美術館の逢坂恵理子館長と、天野太郎主席学芸員。

エリオット・アーウィット氏エリオット・アーウィット氏、横浜美術館の逢坂恵理子館長、天野太郎主席学芸員

 なお現在、東京・銀座のシャネル・ネクサス・ホールでは写真展「PARIS SERA TOUJOURS PARIS! - エリオット アーウィットが見つめたパリ」を開催中。入場無料。2月29日まで。

 さらに4月11日〜16日は、日本橋三越本店新館7階ギャラリーで「エリオット・アーウィット写真展〜愛しのイタリア〜」が行なわれる。一般・大学生700円、高校・中学生500円、小学生以下無料。

 エリオット・アーウィット氏はこれまでに何度も来日はしているが、こうした講演会を開くのは珍しい。会場は満席(定員350名)で、その中には外国人の来場者や、プロ写真家の顔も見られた。

 アーウィット氏は1928年生まれだから、今年84歳になる。壇上に上がるまでは、杖とスタッフの力を借りていたが、席に着くと、その口調は淀みなく、ユーモアを交えたコメントに、何度も会場を沸かせていた。

 まず、横浜の印象を問われると、「何度も来ているから、たくさんの印象があるのでね」とやや口ごもりながら、「街はきれいだし、港もあるし。私の写真集にも多くの人が喜んでくれているので、私の中ではポジティブな印象だよ」と返答。お座なりなコメントを使わない、真摯な人のようだ。


−−犬が登場する作品(写真集「我われは犬である」など)が多いのですが、犬にまなざしを向けた動機は何だったのでしょう。

 犬はどこにでもいることと、人間と同じ要素を持っているからね。私は。犬が撮りたくて撮っているわけではないんだ。彼らは街中にたくさんいて、眼についてしまうからなんだよ。それに彼らは撮られたからといって、何かを要求してこないからね。

 この写真は1966年に撮ったもの。「犬の視点」という視点から撮っているんだ。ただ犬がいるからだけでは、撮る十分な理由にはならない。ここでは犬と女性の足とのコントラストに惹かれた。そこからストーリーが生まれてくることが大事なんだ。


−−これは公民権運動が盛んだった1950年から60年代のアメリカを象徴する1枚ですね。この作品に関する記憶や思いを聞かせてください。

 アメリカの悪い時代でした。白人の水飲みは冷蔵され、黒人用はただの水道水。差別であり、相手に辱めを与える行為でもある。幸い、これは過去のもので、今は変わっているのはよいことだと思う。ただ、それが表面的であってもね。


 ここに写っているのは、ロバート・フランクと、当時の彼の奥さんだよ。スペインに遊びに行った時に撮ったものだ。ただのスナップショットなんだけど、2人の感情、情熱が伝わってくる。多くの人に好まれた写真であり、私も好きな1枚だ。

−−アーウィットさんはフランスで生まれて、アメリカに渡りました。ロバート・フランクさんもスイスからアメリカへの移民でしたね。

 政治的な背景があり、当時、欧州にいるのは難しかった。私の家族は1939年9月、世界大戦の前に移住した。アメリカでフランクと出会い、私たちはすぐに仲良くなったんだ。1949年、フランクと一緒にヨーロッパに戻ったんだが、その船には6人しか乗客がいなかった。数年間は親しくしていたが、その後、彼とは連絡が途絶えた。


−−これは世界38ヵ国を巡回した写真展『ファミリー・オブ・マン』にも出品された作品ですね。私は5歳くらいの時、親に連れられてこの写真展を見ましたが、、その中でもとても印象に残っている1枚でした。当時、出展した写真家同士の交流などはあったのでしょうか。

 この写真のことであれば話すことができますよ。これは実に個人的な写真です。写っているのは私の初めての妻、初めての子ども、初めての猫です。これも多くのところで使われましたが、ともかく、一つ言えることは、この赤ちゃんはその後、かなり見た目が変わりましたね。

−−これは写真展の出品依頼があって撮られたものなのでしょうか。

 撮影は53年で、「ファミリー・オブ・マン」が始まったのは55年からです。そこに出す作品は、膨大な数の中から選びました。最終的なセレクトはウェイン・ミラー(同展ディレクター、エドワード・スタイケンのアシスタントを務めていた。1958年、マグナム・フォトに入会)がしました。


−−有名な1枚ですが、これはどうやって撮影されたのですか。

 どうやってって、カメラを使ってです(笑)。

 これは撮ってから25年経って、初めてプリントしました。写真集の準備をしていた時、コンタクトの中から見つけました。撮った時は、実際、この光景が目の前で起こったんだ。作り込んだものではありません。


−−どこに行くにも、カメラはお持ちなんですね。

 そうですね。仕事などとはまた別に、ライカの小さいカメラで、作品とは関係ないものも撮っています。私にとってカメラは、スヌーピーに出てくるライナス少年の毛布みたいなものでしょうかね。


−−これは1955年にフランスの観光広告のために撮ったものです。場所はプロバンス地方ですね。広告写真ですが、それ以外にも命があって、いろいろな媒体で使われてきました。シンプルで、見る人にストーリーが分かりやすく伝わる。それが『写真のあるべき姿』だと思います。


 グレース・ケリーとモナコ大公の婚約披露パーティでの写真です。この場所はとても暗かったのですが、あいにくストロボを持っていなかった。だから撮る時は、ほかの人のストロボを頼ることにしたんです。シャッターを開けておき、ほかの人が発光させるのに合わせました。何回も失敗して、これは成功した1枚です。

−−こうした場所には取材目的で行かれていたのですか。

 雑誌の黄金時代で、仕事がなくても、こうした話題性のあるイベントはカバーしていました。これと同じような方法で撮ったものは数多くあります。


 これはモスクワで、1957年に撮ったものです。ロシア革命40年に当たり、ソ連が新しい武器を見せていました。当然、機密保持は徹底されていて、写真の撮影は許されていませんでしたが、この時は撮ることができました。撮影後、すぐにホテルに戻って、部屋で現像処理をしました。当時は空港で行なう所持品のX線検査が怖いので、現像液などは持ち歩いていました。すぐにヘルシンキに飛んで、世界に配信することができました。


−−キッチン・ディベートと呼ばれる有名な写真ですね。この時、ニクソン(当時、副大統領)とフルチショフ(ソ連首相)の会話は聞こえていたのですか。

 これは家電製品の展示会での出来事です。私は別の撮影で行っていましたが、ちょうどよい所に居合わせたんです。この写真はニクソンが大統領選に出た時、全く別の意味が与えられて、選挙の宣伝に使われました。その時の議論はキャベツがどうのとか、実に稚拙なレベルのものでしたね。

−−仕事とプライベートの撮影では、スタンスは変わるのでしょうか。

 商業的な写真は、クライアントのために撮ります。そこで何か必要か、どんな写真が求められているかを考えています。普段は自分の好きな視点で撮ります。プロというのは、何が求められているかをわかって撮るなのだと思います。そういう意味で、私はアマチュアかもしれませんがね。


−−ケネディ大統領の暗殺は、日本で初めての衛星放送で流されたこともあり、とてもショッキングでした。これはどういう状況でしょう。

 ケネディ大統領の葬儀で、アーリントン墓地で撮ったものです。非常に、非常に悲しい時でしたし、歴史的な瞬間でもありました。

 ある時期、私はホワイトハウスに出入りしていました。プレスの秘書官と親交があったので、ケネディ政権のいろいろな催しを撮影していました。


 いつだったかは忘れましたキューバで1週間ほど過ごしたことがあり、これはその時、撮ったものです。ゲバラが殺される直前でしたね。


−−これもどうやって撮っているのですか。

 犬に向かって私が吠えると、ジャンプするんですよ。吠えるたびにね。だからこちらも吠え続けて、撮った1枚です。

−−シャッタースピードはどのくらいだったのでしょう。

 (笑)それは覚えていません。多分、撮るのには十分だったのだと思います。


 これは自宅の近く、セントラルパークのそばで撮ったものです。この写真からは、誰もが想像力をかきたてられるのでしょうね。ただこうしてうまくいった写真は、言葉ではなかなか説明できません。ただ見た時に、伝わることが大事なんだと思います。


 子どもたちと、家の犬です。彼は穴を掘って、中国に行きたいとでも思っていたのでしょうか。ただ彼は3日前に亡くなりました。


−−今回、唯一のカラー写真ですね。

 2009年、オバマ大統領が就任後に行なわれた祝典の一つです。仕事(アサインメント)でデジタルカメラを使って撮りました。この写真で面白いのは、ここにいる全員がフォトグラファーになっていることです。

−−フィルムとデジタルの違いはなんでしょう。

 個人的な写真はフィルムで撮ります。現像のプロセスやその結果が自分で見られ、プリントも管理できるからです。ただ、私自身、そのやり方に慣れているからというのも大きいのでしょうが。

−−デジタル表現が増えてきていますが、今後、ゼラチンシルバープリントはどうなっていくと思いますか。

 生き残ると思うし、それを望んでいます。ただ特別なものにはなるでしょうね。デジタルの問題点は、簡単すぎることです。どこか難しさがないとよいものは生まれにくいのではないでしょうか。


 これは私の仲間です。マグナム・フォトの年次総会をパリで開いた時のものです。なぜ顔を隠しているかというと、ここにいない人がいたので、誰が欠席したのか分からないように、そうしたんです。


 これはフランスの犬だったので、フランス語で吠えました。

 ここ数年、本を作る仕事を続けています。パリ、ローマ、ヨーロッパの本もできます。犬のものもね。写真を撮るのが嫌になると、本を作るんです。


−−「美術館に行こうよ」といった本も出され、美術館も数多く出てくる撮影場所ですが、そこでモチーフにするのは展示されている作品ですか。人なのでしょうか。

 もちろん人です。人はアートに反応します。私の写真はほとんどすべて人が中心であり、人のコメディが私にとって興味深いものです。

−−最後に、写真が好きな人へ、何かアドバイスがあればお願いします。

 写真を撮ることは簡単です。どんどん撮ってください(笑)。ただ何をやりたいのか、少しまとめることが必要でしょう。写真はコミュニケーションです。撮るだけでなく、伝えなくてはなりません。映画など、ほかのビジュアルイメージを見て、自分の作品にどう統合できるかを考えることも大切だと思います。見る人に、何らかの反応を起こさせるもの。それが写真だと思います。



(市井康延)

2012/2/13 00:00