北井一夫写真展「西班牙の夜」

――写真展リアルタイムレポート

(c)北井一夫

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「有名な建物や人の記録は残るけど、無名のそれは気がつくと失われてしまっている。例えば100年前と今の暮らしを比べて見るにも、記録がなければできない。どうってことのない普通のものを写真に撮っておく。それが僕がやるべき写真の仕事かなと思う」

 この「西班牙(スペイン)の夜」は、アサヒカメラで話題を呼んだ連載「村へ」(1974年~1977年)が終わり、そのご褒美で同編集部から贈られた旅での作品だ。北井さんがカラーで撮影した作品はこのほか、「フランス放浪」(1972年、アサヒグラフで発表)と、写真集「信濃遊行」(1982年、ぎょうせい刊)の3つ。

「地方の村をモノクロでずっと撮ってきたから、まったく違うことがやりたくなった。自分勝手な理由から出た結論なんです」と北井さんは笑う。バルセロナの路地を歩き回る中で、作者の視覚に引っかかってきた光と闇、色、佇まい、そして人。およそ四半世紀前の異国の情景は、なぜか少し親しみを持って目に飛び込んでくる。

 会期は2011年1月5日~29日。開館時間は11時~19時。日曜、月曜、祝日休館。入場無料。会期中の土曜日午後に作者の北井さんが在廊予定。会場のギャラリー冬青は東京都中野区中央5-18-20。

虫や植物を撮影した「おてんき」(1994年、宝島社刊)の時、「初めて写真を撮るのが楽しいと思った」と北井さんは話す

路地を巡る旅

「村へ」は、日本の農村の人と生活を撮影したシリーズで、この作品で北井さんは第1回木村伊兵衛写真賞を受賞した。

「毎号10ページだったから、かなり大変だった。行った先で、実際自分が見聞きしたことを元に、被写体を探し、撮影を深めていった。風で木の葉が裏返って、真っ白に見える『葉裏』とか、そういうことだね」

 この連載は読者から好評で、雑誌の売上も伸びたという。それで連載終了後、編集長が、どこでも好きな外国に行かせてくれると持ちかけてきた。

「僕はどこでも良かったから、担当編集者が『スペインにしよう』というので決めた。ジョージ・オーウェルの小説『カタロニア讃歌』を読んでいて、興味はあった」

 スペイン内戦があり、歴史のある街であることから、夜、路地をぐるぐる巡っていくような写真にしようと考えていたという。実際、カメラを装着した三脚を手に、昼夜の街を徘徊した。

 このスペイン旅行は約2カ月。バルセロナは20日以上を費やし、アンダルシアなどを巡った。

「道を歩いていくというのが、自分の写真の根底にあるんだね。スペインでも路地を歩き、石畳に目を留め、居酒屋に入り、フラメンコを見たといった感じ」

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ベタ焼きを繰り返し見る

 シャッターを切る光景は、直感的に選ぶが、「写真はその人の幼児体験と、その場の光景がどっかで結びつくようなことが多い」と北井さんはいう。それはほかの人の写真を見ていても、時折感じるそうだ。

 その元となる光景は、“冬に日向ぼっこをしていた時の光の温もり”といった、シンプルで、感覚的なものだ。北井さんの中には、そんな引き出しがいくつかある。

 実際の撮影では、最初、とにかく表面的に見えるものをどんどん撮っていく。気になるもの、好きなもの、ハッとさせられたものなど。

「そのベタ焼きを何回も繰り返し見ることで、自分の中でドラマのようなものができてくる。そうすると足りないものも見えてくるし、そうしてつないでいくことで、写真が深まっていく」

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欧米で評価の高い「抵抗」

 北井さんは高校時代から絵を描き始めた。

「美大に行きたかったけど、デッサンなど基礎技術がないから、受かるわけもない。それで日大に写真学科があることを知り、写真は撮ったことがなかったけど、何とかなるだろうと受験した」

 大学に入学した1960年代半ばは学生運動華やかりし頃。写真にはあまり熱心な学生でなかったが、「60年安保闘争以降、最大の闘争があるから写真を撮ってくれ」と友人に頼まれ、撮影に出かけた。

「学校では、アンセル・アダムスなどをお手本にきれいな撮り方を教えていたけど、その逆をやろうと思った。古く湿気た、傷があるフィルムを使い、粒子をざらつかせ、ピントすら重視しないで撮った。それまでどこにも写真を発表したことすらないのに、写真集を作ろうと思ったんだ」

 それが1965年に出版した「抵抗」だ。作家の井上光晴氏の詩を使わせてもらおうと、本人に会いに行くと、写真を気に入ってくれ、出版社の未来社を紹介してくれた。

「自費出版したけど、まったく売れなかった。置き場所がなくて、床に積んで上に布団を敷いて寝ていたこともある。引越しする時には邪魔だし、僕にとって「抵抗」は、長い間、いろいろな意味でお荷物だったんだ」

 それが2~3年前、ニューヨークでギャラリーと写真集を扱うショップを持つハーパー・レビン氏が「抵抗」のプリントを見に訪れた。彼のギャラリーで写真展が開かれることになり、その後、米国の美術館から作品収蔵の依頼が寄せられるようになった。

「彼に『抵抗』は僕の中で恥だったんだというと、彼は、1968年に出版された『プロヴォーグ』より3年も前に、さらに過激な表現を試みていて、評価に値するというんだ。日本の評論で、それは一度も指摘されなかったことだけどね」

また「抵抗」の後、全共闘が大学を封鎖した内部を撮った「バリケード」という未発表のシリーズがレビン氏の手で写真集となっている。欧米では「村へ」より、その時代の写真の方が人気が高いそうだ。

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「三里塚」はアジェのような感じで撮ろうと思った

「抵抗」の後、デモを撮るようになり、学生自治会からプリントの注文が入るようになった。前日に行なった闘争を伝える立看板に使うためだ。

「半切で1,000円~1,500円ぐらいで買ってくれた。そこそこ好い値段だったけど、続くうちに、自治会から写真に要望が出るようになった。学生側の宣伝になるように撮ってくれって。それで嫌になって、デモを撮るのは止めた」

 デモを撮る中で、千葉の三里塚には何回か行っていて、「のどかな良い所」との記憶があった。もちろん空港建設が始まる前だ。知り合いも何人かできていたので、三里塚で農家の暮らし、人を撮ろうと考えた。

「僕はアジェと木村伊兵衛が好きでね。三里塚はアジェみたいな感じにしたかったんだ」

 三里塚には約2年、関わり、その写真はアサヒグラフなどで掲載された。

「人の暮らしに関心がある。大阪の新世界物語とか、フナバシストーリーは団地の暮らしだしね。60歳を過ぎて、旅に出るのも飽きると、家の近所を散歩して撮るのが楽しくなった。それが『ライカで散歩』で、日本カメラでの連載が7年目に入った」

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発表当時は不評だった!?

 今回の「西班牙の夜」は、当時、アサヒカメラで16ページにわたり掲載されたが、評判は最悪だった。読者や評論家は「村へ」の路線を期待していて、そこに落差がありすぎたからだ。

「失敗したと思い、外国でカチッとしたものを作ろうと、次はドイツ表現派の建築を撮った。名誉挽回を期してだったけど、これも散々だったよ」

 アサヒカメラの連載で、1年続く予定が急遽、6~7回で終了になった上、計画していた写真集も立ち消えになった。

「それが2008年に冬青社の高橋さんから話があって、写真集を作り、写真展をしたら、とても評判が良かった。プリントを購入してくれた人に聞くと、『作家性に幅があるから良い』と言うんだよね」

 今回の「西班牙の夜」も出足は好調だとか。当時を知る人も知らない人も、北井さんの未知なる魅力に出会えるはずだ。

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(いちいやすのぶ)1963年、東京生まれ。ここ数年で、新しいギャラリーが随分と増えてきた。若手写真家の自主ギャラリー、アート志向の画廊系ギャラリーなど、そのカラーもさまざまだ。必見の写真展を見落とさないように、東京フォト散歩でギャラリー情報の確認を。写真展の開催情報もお気軽にお寄せください。

2011/1/13 00:00