山岸伸の写真のキモチ

第13回:SNSが紡ぐモデルとの縁

緑マイザ / 高橋ゆづき / 仲村瑠璃亜

SNSがコミュニケーションツールの主要な役割を獲得するようになってから、かなりの時間が過ぎました。毎日膨大な書き込みが蓄積されるSNSは、今や世界全体を包み込む巨大なネットワークと情報を抱えるメディアに変貌しました。そんなSNSへの書き込みが、ふと過去と今をつなげてくれた、という経験はありますか? 今回は、そうしたSNSが紡ぐカメラマンとモデルとの不思議な縁がテーマです。(編集部)

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発信し続けることでつながる縁

皆さんはSNSをどのように活用していますか? 僕はカメラマンとしての活動を伝える、ひとつのツールとしてFacebookを活用しています。ほかにもブログやYouTubeなども積極的に更新していますから、何かのタイミングで見てくれたという人もいるのではないかと思います。

今回は、そんなSNSがつないでくれたモデルとの縁について紹介してみようと思います。何と10数年以上前に撮影した3名のモデルさんと再びSNS上でのやりとりが生まれたのです。今やモデルを辞めて一児の母となっている人もいるのに、また彼女達に出会うことができたのは素直に嬉しい出来事でした。長くカメラマンをしてきたからこそ、つながった縁だと感じています。

彼女たちを撮影した時期は2004年から2006年頃にかけて。さっそく各モデルをご紹介いたしましょう。

1人目は緑マイザさん。日系ブラジル人3世です。

EOS-1Ds Mark II / 200mm / マニュアル露出(F5.0・1/250秒) / ISO 100

2人目は高橋ゆづきさん。今は一児の母です。高校時代の彼女を撮影したことをよく憶えています。

EOS-1Ds Mark II / 200mm / マニュアル露出(F2.8・1/40秒) / ISO 100

3人目は仲村瑠璃亜さん。撮影当時は何と中学2年生。彼女は今もベリーベリープロダクションに所属して女優業を続けています。

OLYMPUS E-1 / 200mm / プログラムAE(F4.0・1/250秒・+0.5EV) / ISO 100

SNSに投稿した数枚の写真が次の展開を呼んだ

彼女たちと再びつながることになったのは、懐かしい写真を3枚ほどFacebookに投稿したことがキッカケでした。

最初に投稿したのは緑マイザさんの写真でした。つい最近、海に行っていた彼女の投稿をFacebookを通じて見て、以前撮影した写真をアップしてもいいかと聞いたのが事の始まりでした。撮影当時、彼女はまだ15歳。撮ってからだいぶ年月が経過していましたが、快く掲載をOKしてくれました。

ここからが面白いのですが、その投稿を見た高橋ゆづきさんが「わぁ、懐かしい」と反応を返してくれたんです。それで今度は以前撮影した彼女の写真を投稿。そうしたら、今度は仲村瑠璃亜さんにつながっていって(笑)。彼女にも写真を投稿すると伝えたら、とても喜んでくれました。

こうしてわずか数日の内に、こうもわっと話が広がっていったのは、彼女たちが同じ事務所に所属していたということも無関係ではないでしょう。それでもSNSの強さを実感させられた出来事でした。

彼女達が今どのような活動をしているのか、詳しくは知りません。ですが、高橋ゆづきさんは起業して執筆活動などにも活動範囲を広げていますし、仲村瑠璃亜さんは女優業を続けています。緑マイザさんはどうやら2人目の子どもがお腹の中にいるようです。3名とも今は母親。モデル業から離れているにも関わらず、それでも写真の投稿がキッカケでこうも懐かしの面々と再びやりとりをすることになるとは思ってもいませんでした。

このつながりが示してくれたように1枚の写真のもつ力というのは確実にあるのだと思います。10年とか20年とか経ってみないと、その写真の真価は分からないと思っていますが、改めて写真のすごさを実感することになりました。

緑マイザ:逸材との出会い

彼女に初めて会った時、僕には「素晴らしい逸材を発見した」というカメラマンとしての直感と喜びがありました。日系ブラジル人3世で、多くの移住者に囲まれて育ったという彼女は、石川さゆりさんの「天城越え」を披露してくれたんです。その声の美しいことといったらありませんでした。容姿も優れた少女が天城越えを歌うというギャップ、その歌唱力など。出るべきところに出たらどんどん大きくなっていくだろうと直感が働きました。

EOS-1Ds Mark II / 105mm / マニュアル露出(F3.5・1/30秒) / ISO 200

見出したモデルがどんどん売れていき有名になっていく。その喜びは格別です。僕は彼女達を撮っている時に作品をつくってやろうなどと思ったことはありません。あくまでも僕は彼女達の通過点の中の、その一時を記録しているに過ぎませんから。モデルの辿っていく道程を撮るということは、でも自身が何らかの形でその人に関わるということでもあります。そうした人々が、ビッグになっていく様子を見ているのは、単純に嬉しいことです。

彼女の撮影は北海道で実施しました。彼女は飛行機で、助手達には車で、それぞれ現地に向かってもらいました。ロケは撮影場所を探しながらの進行となりました。この時使っていたカメラはキヤノンの「EOS-1Ds Mark II」(2004年11月発売)でした。併行してオリンパスの「OLYMPUS E-500」(2005年11月発売)を組みあわせて撮影しています。彼女の肌がキレイだったということもありますが、今の目で見ても十分に通用する写真に仕上がっていると思います。

OLYMPUS E-500 / 14mm / マニュアル露出(F4.5・1/80秒) / ISO 100

彼女の写真を見ていただければ、「僕が少女を撮るとこうなる」ということがよくお分かりになるのではないかと思います。僕自身の女の子を撮るスタンスはこの頃から大きくは変わっていません。彼女たちをよりよく多くの人に見てもらいたいという想いで撮っていますから、その子にあった「いちばん良い」を写真にすることを心がけています。

EOS-1Ds Mark II / 28mm / マニュアル露出(F4.5・1/250秒) / ISO 100

今回の連載では、そうした僕の十数年間の歩みを想像してもらいながら、当時の機材についても是非注目してもらえればと思っています。なにせ十年以上の時が過ぎている写真とは思えないだろうと思いますから。でも写真ってそういうものなんですよね。モデルの個性をキチッと引き出せていれば、それでいいわけです。これを当時撮って出しで見せていたわけですからね。

EOS-1Ds Mark II / 300mm / マニュアル露出(F7.1・1/40秒) / ISO 200

高橋ゆづき:物怖じしない姿に潜む色香

NHKの連続テレビ小説『すずらん』(池田しの役)などに出演していた彼女。撮影ではシンガポールと沖縄に行きました。

幼稚園の頃から子役をしていたこともあってか、物怖じしないな、というのが彼女に対する印象でした。そうした態度や姿勢は、やっぱり写真にもあらわれてきます。どことなく大人っぽさが漂うというか、どこか色気が感じられるというのが、僕が捉えた彼女の印象でした。

EOS-1Ds Mark II / 40mm / マニュアル露出(F5.0・1/125秒) / ISO 100

彼女には所属事務所としてイエローキャブを紹介したこともありました。大手の事務所ですが、冒頭でお伝えしたように彼女には大きな力がある。その時の事を振り返って、彼女は著書『笑いながら稼ぐ女』(太陽出版、2019年9月)の中で、僕のことを恩師と紹介してくれていますが、こうした縁がつないでいく力を彼女もまた実感してくれていたようです。自身が大切にしていることを、彼女達にも大切なものだと思ってもらえるのは、やはり嬉しいことです。

さて、グアムやサイパン、バリなどポートレートでよく使われるロケ地は何十カ国と行っていますが、特に僕は特にシンガポールが好きで何十回と行きました。安田成美さんのカレンダーを撮りにラッフルズホテルを利用したのも良い思い出です。

シンガポールは比較的自由に入れたことも大きな要因です。アメリカなどのように撮影目的や機材の申告に至るまでキチッと管理されている場所と違って、ここはとてもおおらか。現地に入る時の心持ちも違ってくるというのが大きな理由でした。

EOS-1Ds Mark II / 26mm / マニュアル露出(F11・1/200秒) / ISO 100

当時は今のように高層ビルばかりではありませんでしたから、撮る場所も豊かでした。イギリス風の建物があったり、本島からボートで行ける距離にあるウピン島など、自由に出入りできる使いやすさもありました。シンガポール自体、小さな島国ですから撮る場所は決して多くありません。でも、日本から行ける範囲で、しかも安全性を確保できる場所としては、とても使いやすかった。ホテルにしても民宿にしても、しっかりとお金を出せば、相応の安全性が確保されていたわけですから。

海沿いでの撮影はグラビアの撮影ではつきものですが、実はシンガポールって「ビーチ」といえるようなビーチはないんです。あるとすれば、ホテルに備え付けのプールくらい。そうした土地柄もあって、本島からボートで10分くらいで行けるところにあるウピン島もよく利用していました。文化的にアジアの様々な地域が混ざったような、独特の雰囲気が漂う場所です。

OLYMPUS E-500 / 14mm / プログラムAE(F3.2・1/50秒・+0.7EV) / ISO 100

グラビアを撮る時に海外の風景が欲しいというのはありますし、現地に入ることの喜びだってあります。シンガポールでは撮影できる場所の確保もたくさん確保しました。もちろん相応の謝礼は渡していますし、撮影の許可もキチッと取るようにしていました。そうやって安全性を確保しやすかったところも、シンガポールをよくロケ地として利用していた理由です。

EOS-1Ds Mark II / 200mm / プログラムAE(F4.0・1/30秒・+1.0EV) / ISO 100

仲村瑠璃亜:たくさんのチャレンジが詰まった撮影

撮影当時、彼女は中学2年生でした。ロケ地にはアメリカ・ロサンゼルスを選択。当時は毎年のようにカメラも新製品が登場していた頃で、グラビアも絶好調の時代でした。文字どおり撮るほどに仕事になっていくという状況だったこともあり、海外を含め多くの場所に飛び、たくさんの仕事を残しました。

OLYMPUS E-1 / 11mm / マニュアル露出(F8.0・1/180秒・±0EV) / ISO 100

制服を撮るのにわざわざロサンゼルスまで行く必要があるのか、ときっと多くの人は疑問に思うことでしょう。実はロサンゼルスで撮る理由なんてないんです。ここをロケ地に選んだ理由をあえて説明するならば「僕自身が行ってみたかったから」というのがその答えになります。

僕は映画好きでもあるので、そういう意味でもロサンゼルスは特別な場所です。様々な作品を観ていると「ここってあの時使ったロケ場所だ」という場所が出てくることがあります。今も昔も、そうした映画でも使われるような場所で撮っているという事実は心躍る感覚を覚えます。どこで撮っているんだろう、どう撮っているんだろう、ということを考えるのも楽しみのひとつ。一時ロサンゼルスにやたらとはまっていたというのは、その場所性に惹かれていたというのもあったのだと思います。

映画のロケ地としてもよく使われていることもあって、現地では撮影に関するルールが徹底されています。でもそれは「しっかりと管理されている」ということでもあります。予算やスケジュールに応じて出来ること・使える場所は変わってきますが、申請すれば確実に使えるというのは、とても良く整えられたシステムだと言えます。

EOS-1Ds / 200mm / マニュアル露出(F4.0・1/125秒) / ISO 100

だからといって何もそんなに遠く離れた場所で撮らなくても、と思われるかもしれませんが、やっぱり場所を変える意味というのは大きいですし、心理的な面でも確実に影響があります。

心持ちの面で「そこに行ったことを肌で実感している」ことがモデルはもちろん、僕を含めたスタッフの気持ちに変化を与えます。知らない場所で撮られるというのは、モデルにとってもチャレンジのしがいがある現場であることを意味していますし、だからこそ素敵なパフォーマンスを見せてくれもします。撮影者にとってもモデルにとっても挑戦しがいのあるロケ地を探すのは、実は一番の楽しみでもあります。やっぱり行ったことのない場所はワクワクしますからね。

逆に言えば、行ったことのある場所はカメラマンである僕自身が新鮮な気持ちになれない、という側面もあります。それは今も同じ。やっぱり新しいカメラ、新しい場所、そして魅力的なモデル(笑)。これらがピタッとはまってくると、楽しさは何倍にもなっていきます。

OLYMPUS E-1 / 17mm / マニュアル露出(F8.0・1/180秒) / ISO 100

そうした気持ちは彼女たちもきっと同じでしょう。カメラマンという立場からしても、そうした彼女たちの気持ちの変化は大歓迎ですし、だからこそチャレンジングな場面での撮影に立ち向かえるわけです。現在の写真をめぐる状況のような息苦しさもありませんでしたから、余計に楽しかったのだと思い返されます。「撮る」というひとつの目的のために、様々なことができる時代でした。

『デジタルフォト』2014年7月号(ソフトバンク クリエイティブ)に当時の様子が収められています。そこでは仲村瑠璃亜さんを含め3人の少女(ほかの2名は冨田麻帆さんと赤坂さなえさんです)の写真を掲載してもらいました。

面白いのは、リモートストロボを活用して撮影したということを大きなトピックとして取りあげていたことです。今でこそコードレスなんて当たり前ですし、コードレスで多灯発光させることだってできるわけですが、でも当時はそれが最先端でした。自身の口調をふりかえってみても、当時デジタルカメラを手にして相当ワクワクしていたことがよくわかります。ちなみにこのロケではオリンパスの「E-1」(2003年10月発売)をメインにして撮影していました。

OLYMPUS E-1 / 92mm / プログラムAE(F5.6・1/800秒・±0EV) / ISO 100
OLYMPUS E-1 / 27mm / プログラムAE(F5.6・1/180秒・+0.5EV) / ISO 100

僕らのように女性を撮ることを仕事にしている者は、オープンな場所では撮れません。だからこそ場所の確保が必要ですし、相応の金銭も発生します。でも黙って撮って出すことのリスクを考えるならば、結果的にかかる金額は決して安くはないということになるわけです。

ちゃんとしたところで撮りたいっていうと少し変かもしれませんが、そういう意味で現状に対しては非常に強いストレスを抱えています。当然遠くには行けませんから、撮影は特定の場所に集中することになるわけです。人物の撮影をしているカメラマンの思考は同じような方向を向いているのでしょう。都内のハウススタジオしかり、場所によっては大混雑しているような状況があるわけです。これまで各地方にばらけていた撮影案件が都内に集中しているということでもあるのでしょう。

緊急事態宣言が解除されることになったとはいえ、人々の意識は大きく変わりました。カメラマン仲間からも、そっと県外に撮影に行ったとしても車を傷つけられることが多いと聞きます。僕自身にも過去にそうした経験はありますから、今撮影をする際には余計にちゃんと安全に配慮しないといけません。申請手続きをして実施することは当然として、モデルがいるからこそ様々なケースを想定して神経を尖らせておく必要があるわけです。要は危機管理の問題ですね。

依頼仕事の話ですが「でも山岸さんに頼むとお金がかかるんだよね」と言われることがあります。それは、僕が単独で動いているのではなく、助手やヘアメイク、衣装さんたちとともに一つの仕事にあたっているからです。このメンバーが揃うからこそ実現できる内容がある。こうした品質面への配慮も一種の危機管理であるわけです。

今では当たり前の技術も当時は斬新なチャレンジだった

僕自身若かったということもありますが、当時出たてのデジタルカメラに触れて楽しんでいたことが、今回の写真を振り返ってみて思い出されました。グラビア自体に勢いがあった時代とはいえ、それでもなぜここまでの撮影ができたのか、という事については、僕自身がDVDやデジタル写真集を出したりといった今に通じる活動を当時からやっていたこととが関係しています。携帯電話の待ち受けをつくったり、Webでも配信したりなど、様々に活動する中で撮った写真を一切ムダにすることなく使っていたからこそ、仕事が仕事を生んでいたのです。

EOS-1Ds / 24mm / マニュアル露出(F16・1/250秒) / ISO 100

グラビア写真がこれからどうなっていくのかは分かりませんが、でもスタート地点はいつだって同じところからです。写真は10年、20年と時を経るほどにその凄さが増してきますが、リアルタイムでの消費を考えていくと、どうしても映像には敵わないなと思わされます。それを先頃に終幕した東京2020オリンピック競技大会で強く感じました。映像の中に写真が組み込まれていて、新聞や週刊誌などの報道系は別にして、一般的な消費の仕方は完全に映像に移行していることが興味深かったですね。

例えば閉会式でパリ会場にバトンが渡された際に流された映像ではドローンなどを駆使して臨場感あふれるアクロバティックな映像が披露されました。こうしたコンテンツは写真では絶対に表現できない領域だと思います。

過去と今をつなげてくれる巨大なネットワーク

SNSの凄さは、何といっても過去と現在をつなげてくれることにあるのだと思います。当時の自分を現在視点から見ることができるという意味でも、膨大な蓄積がそこにはあるわけです。写真も考えてみれば同じなのかもしれません。今回お見せした分についても、デジタルだからこそ残っていた、残しておくことができたカットばかりです。

撮影メモをとっておかなくても色々な情報が残っていることもデジタルならではの強みですね。

実は、この投稿の後で彼女たちのほかにも出して欲しいといってきたモデルが何人かいました。ですが、残念ながらそれらはフィルムでしか撮っていなかったので、実現には至りませんでした。病気になった頃にフィルムをだいぶ整理してしまっていたことがその理由。今回の3名に限っては、デジタル時代に撮ったものだったからこそ再び皆さんの前にお出しできたというわけです。

こうしてみると写真は、とても健全なものなのだと思います。雑誌媒体に掲載した写真が今こうしてWebでも見てもらえる機会に恵まれた背景には、人間同士のつながりはもちろん、関係した人々がそれぞれに今も健康で幸せな生活を送っていることがあるわけです。過去なんて振り返りたくない、っていう人だって現実にいるわけですから。そうした輪の中で、幸運なつながりの連鎖が過去と今をつなげてくれた。僕自身も過去の自分に出会うことができたようで、何だか嬉しさが倍増する出来事でした。

長くカメラマンとして仕事をしていると、そこにはたくさんの写真が残っていて、それが時代時代で蘇る時にデータが少し作り直されて良くなっていく。彼女たちは今30代ですが、自分たちの子どもに当時の自分たちの姿を伝えるのに役立ててもらえるといいな、と思っています。

(やまぎし しん) タレント、アイドル、俳優、女優などのポートレート撮影を中心に活躍。出版された写真集は400冊を超える。ここ10年ほどは、ばんえい競馬、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、球体関節人形などにも撮影対象を広げる。企業人、政治家、スポーツ選手などを捉えた『瞬間の顔』シリーズでは、10年余りで延べ800組以上の男性を撮影。また、近年は台湾の龍山寺や台湾賓館などを継続的に撮影している。公益社団法人日本写真家協会会員、公益社団法人日本広告写真家協会会員。