吉村和敏の「フィルムカメラ撮影記」
蛇腹が紡ぐ、中判カメラの矜持――「FUJIFILM GF670 Professional」
2026年6月13日 12:00
デジタルカメラへの移行が急速に進んでいた2009年、富士フイルムは異色の1台を世に送り出した。FUJIFILM GF670 Professional。蛇腹式折りたたみボディを持つ、中判レンジファインダーカメラだ。
iPhoneが登場し、スマートフォンという言葉がまだ新鮮だったその時代に、あえて120・220フィルムを使う中判カメラを開発したのには、富士フイルムとしての明確な意思があった。押し寄せるデジタルの波に抗うように、フィルム、それも中判ならではの豊かな描写力を多くの写真家に届けたい──。そんな思いが、このカメラには込められていたのだ。
旅の相棒として
初めてこのカメラを手にしたとき、私は強い衝撃を受けた。まず驚いたのは、片手で持てるほどのコンパクトさだ。折りたたんだ状態では、到底中判カメラとは思えない薄さと軽さを持っている。
そしてスタイルも面白い。前カバーを開いた瞬間、蛇腹がゆっくりと展開し、レンズがすっと前へ繰り出してくる。その動きがまるで生き物のようで、思わず見入ってしまった。コシナとの共同開発という背景が、この完成度の高さを裏づけているのかもしれない。
機能面もよく練られている。フォーマットは6×7と6×6の切り替えが可能。裏蓋のスライドレバーひとつで、120フィルムと220フィルムの使い分けもできる。中判カメラを知るプロの要求に、シンプルな操作で応えてくれる設計になっていた。
露出モードは絞り優先AEとマニュアルの2種類。絞りダイヤルの操作感は確かで、カチッ、カチッというクリック感が心地よい。露出補正ダイヤルも自然な位置にあり、現場での微調整がしやすい。
そして特筆すべきは、レンズシャッターであること。ボディシャッターに比べてブレが格段に少なく、手持ち撮影でも安定した結果が得られる。感覚としては35mmカメラを扱うのに近い。中判というと三脚が前提という印象があるが、このカメラはそれを見事に覆してくれた。
搭載レンズはEBC FUJINON 80mm F3.5。35mm判換算で約50mm相当の標準画角だ。EBCコーティングによる豊かな発色と、開放から安定した鋭い描写はフジノンレンズならではで、とりわけリバーサルフィルムで撮ったときの光と影の再現は息をのむほどだ。シャッタースピードは4秒から1/500秒まで対応しており、風景から動体まで幅広い場面をカバーする。
ボディは折りたたみ時で180×110×63mm、重量は約1,020g。この数値だけ見ると決して軽くはないが、実際に持ち歩いてみると不思議と負担を感じない。コートのポケットにも収まるそのサイズ感は、中判カメラに旅の相棒としての新しい役割を与えてくれた。
故郷・松本へ
そして今回、生まれ故郷の松本を撮るにあたり、私が選んだのもこのGF670 Professionalだった。フィルムはLomography Earl Grey Black & Whiteを装填した。モノクロームで「烏(からす)城」と呼ばれる松本城を写しとめたい、そう思ったからだ。
この日足を運ぶと、驚くほど多くの外国人観光客で賑わっていた。誰もが城の美しさに心打たれ、スマホで写真を撮っている。500年以上の歴史を持つこの城が、今や世界中の人々を惹きつけているのだ。
松本城の前身は1504年に築かれた深志城で、1582年に小笠原貞慶が「松本城」と改名した。豊臣秀吉の命を受けた石川数正・康長父子の手で現在の天守が完成し、以来6家23人の城主が代わりながら、松本藩の中心として機能した。明治には廃城の危機を迎えたが、地元の有力者たちの尽力で天守は守り抜かれ、1952年に国宝に指定されている。
堀の畔からカメラを向けたとき、まず感動したのはフレームとの相性のよさだった。80mm(35mm換算で約50mm)という標準画角は、余分なものを排除しながらも風景の広がりを自然に収めることができたからだ。
松本城は、城そのものをストレートに撮るのがいい。まずは最も美しく見えるとされる堀端、朱塗りの埋橋、東側から北アルプスを望むアングルを押さえる。加えて、柳や桜の枝と組み合わせ、絵画的な構図を意識しながらシャッターを切り続けた。よく晴れた日中に撮ると、ありきたりの観光写真になりがちだが、モノクロームにすることで作品としての力が増す。そんな現像後の期待感があるのも、フィルムならではの魅力だ。
その後、縄手通りから女鳥羽川沿いへと歩いた。観光客と地元の人が入り混じる、松本らしい穏やかな午後だった。四柱神社でお参りをする人、川縁をゆっくり散歩する人、何気ない日常の断片がファインダーに飛び込んでくる。モノクロームの目で街を歩くと、飛び石のひとつひとつ、排水口の幾何学的なかたちさえ、立派な被写体に見えてくる。どこを切り取っても絵になる街に生まれ育ったことを、あらためて誇りに思った。
旧開智学校にて
この日の最後に向かったのは、旧開智学校だった。閉館は17時、入館は16時30分まで。時計を確認し、大急ぎで足を向ける。
旧開智学校は明治9年(1876年)に建てられた擬洋風建築の代表的な小学校校舎で、和洋折衷の独特なデザインと八角塔屋が特徴だ。令和元年には、近代の学校建築として初めて国宝に指定されている。着いてみると、松本城の賑わいとはうってかわって、観光客は少なかった。静けさの中に、明治の空気がひっそりと漂っている、私の好きな場所だ。
社会科見学で初めて訪れて以来、海外で暮らす友人を案内したこともあった。何度足を運んでも、新しい発見がある。何年ぶりかに間近にし、カメラを向けたが、シャッターを切るたびに改めて建築美に息をのんだ。
装飾のひとつひとつに、文明開化の時代を生きた人々の誇りと夢が刻まれているようだ。東京で毎日のように近代的なビルやマンションばかりを目にしていると、こうした建築の前に立ったとき、昔の職人たちの仕事の凄みを改めて思い知る。効率や合理性とは別の次元で、時間と手間をかけて丁寧に作られたものだけが持つ、ある種の説得力だ。
それはデジタルとフィルムの違いにも、どこか通じるような気がした。便利さや速さでは到底及ばないのに、フィルムによって生み出される1枚には、説明しがたい重みと質感が宿る。
館内に入ると、明治の空気がそのまま残っていた。資料以外は撮影可能とのことで、手持ちでカメラを構える。フィルムはISO 400ではなく感度の低いEarl Greyだ。
デジタルであれば感度をその場で切り替えられるが、フィルムカメラはそうはいかない。シャッタースピードは1/4秒。通常ならば手ブレは免れないが、レンズシャッターの静粛性と振動の少なさを信じて、息を整えてシャッターを切った。現像されたコマは、しっかりと止まっていた。改めて、レンズシャッターの威力を感じた瞬間だった。
フィルムが教えてくれたこと
FUJIFILM GF670 Professionalは、私のカメラコレクションの中でも特別な存在だ。しかし正直に言えば、近年はその出番がめっきり減っていた。デジタルカメラの利便性に慣れ、フィルムを装填する手間や、現像に出すまでの時間を、どこかで億劫に感じるようになっていたのかもしれない。それが今回、松本の街を1日ともに歩いて、このカメラへの想いが鮮やかに蘇った。
今回の撮影では多くの場面でケーブルレリーズを使ったが、よくよく考えてみれば必要なかったかもしれない。レンズシャッターの恩恵が、手ブレをしっかりと抑えてくれるからだ。
中判カメラというと、どうしても重厚な機材を揃えて、三脚を立てて、じっくり構えて撮るものというイメージがある。しかしGF670 Professionalは、そのイメージを軽やかに裏切ってくれる。
もしかしたら、カメラバッグも三脚も要らないのかもしれない。このカメラ1台だけを手に街へ出て、目に留まったものにただカメラを向ける。そのシンプルなスタイルこそが、このカメラの本質なのかもしれないと思った。
2014年に生産終了となった今も、GF670 Professionalは中古市場で根強い人気を保っている。それは当然のことだと改めて思う。フィルムからデジタルへの移行が加速するなかで生み出されたこの中判カメラには、写真を撮るという行為の本質が凝縮されているのだ。
シャッターを切るたびに、フィルムに刻まれる一枚の重みを感じる。旅の相棒にGF670 Professionalを選ぶことは、写真家としての自分の眼を、もう1度鍛え直してくれるような気がした。

















