吉村和敏の「フィルムカメラ撮影記」
コンタックスが描いた、もうひとつの頂点――CONTAX RTS III
2026年8月1日 09:00
1990年代、写真業界には、プロのカメラマンならキヤノンかニコンのフラッグシップを使うのが当たり前、という空気が確かにあった。
当時駆け出しだった私は、思い切ってキヤノン EOS-1を購入し、仕事を重ねながら少しずつレンズも揃えていった。当時は風景写真そのものに高い価値があり、とりわけ海外で生み出された作品は日本で飛ぶように売れた。その売上を機材へと投資し、次の仕事へ繋げる。そんな好循環が成り立っていた時代だったのだ。振り返れば、多くのプロ写真家が、同じような道を歩んでいたのではないかと思う。
そんな中、私にはずっと気になっていた1台があった。CONTAX RTS III(以下、RTS III)だ。キヤノンのフラッグシップで仕事をしていた人間が、なぜこのカメラに惹かれたのか。理由は単純で、キヤノンやニコンの、さらに上に君臨するカメラだったからだ。
シリーズ最後のフラッグシップ
その違いは、価格にはっきりと表れていた。RTS IIIはボディだけで約35万円。レンズまで揃えると50万円近くになる。当時、キヤノンやニコンのフラッグシップ機は20万円前後で購入できたので、コンタックスは頭ひとつ抜けた価格帯に位置していた。
もちろん、気軽に手を出せる金額ではない。当時RTS IIIを使っていたのは、ギャラが1桁違う広告写真家か、資産にゆとりのあるアマチュアだったように思う。今の感覚で言えば、外車に乗るような選択だったのではないだろうか。
ドイツで名機として知られたコンタックスは、1970年代にカール・ツァイスとヤシカの提携によって一眼レフシステムとして復活した。そのフラッグシップとして登場したのが「RTS」だ。RTSとは「Real Time System」の頭文字で、レスポンスの速さを追求したカメラを意味している。絞り優先AEや電子制御シャッターなど、当時の一眼レフカメラとしては先進的な機構を数多く備えていた。
1982年には、シャッター幕のチタン化やTTLダイレクト測光の採用などによって完成度を高めたRTS IIが登場。翌1983年には京セラがヤシカを合併し、コンタックスブランドを継承する。そして1990年、京セラはシリーズ最後のフラッグシップとなるRTS IIIを世に送り出した。
憧れ続けていたCONTAX RTS III
初代RTSやRTS IIにはそれほど心を動かされなかった私が、このRTS IIIに強く惹かれた理由はいくつかある。
まずは、そのスタイルだ。ポルシェデザインによる流麗なボディラインは、日本製のカメラにはない独特の存在感を放っていた。
サイズはひと回り大きくなり、ボディ単体で約1.2kgという重量も、コンタックスのフラッグシップにふさわしい風格を感じさせる。軍艦部にはマグネシウム合金、底蓋にはチタン合金が採用され、堅牢性も大きく向上した。
性能面も大幅に進化していた。最高シャッタースピードは1/8,000秒。モータードライブをボディに内蔵し、5コマ/秒の高速連写を標準で実現した。さらに、35mmカメラとして初めて、フィルムを背面から吸引して平面性を保つRTV(リアルタイムバキューム)機構を搭載。フィルムの浮きを抑えることで、ピント精度や画面周辺部の描写を向上させている。
そして、風景写真家だった私が最も心を動かされたのは、露出を変えながら3コマ連続で撮影できるブラケット機能が搭載されていたことだった。
そして何より、多くの写真家がコンタックスに一目置いていた理由は、カール・ツァイスのレンズが使えることだった。RTS IIIで撮影されたポジを見せてもらったことがあるが、その描写は確かに群を抜いていた。キレのある解像感はもちろん、日本製レンズとは明らかに異なる質感を持っていたのだ。
20代の頃から憧れ続けていたRTS IIIをようやく手に入れたのは、それから何年も経ってからのことだった。しかし、その頃にはデジタルへの移行が急速に進み始めていたので、結局、このカメラをそれほど使うこともなく、防湿庫の中で長い眠りにつかせることになってしまった。
鹿児島へ、フィルムを携えて
鹿児島への旅で、RTS IIIを何年ぶりかに持ち出すことにした。装着したレンズはCarl Zeiss Vario-Sonnar 35-135mm F3.3-4.5 T* MMJ。1本でほとんどの撮影をこなせる、旅にはちょうどいい焦点距離のレンズだ。
最初に向かったのは、鶴田ダムの上流約9kmに位置する曽木発電所遺構。明治42年(1909年)、牛尾大口金山へ電力を供給するため、後にチッソや旭化成工業の創業者となる野口遵によって建設された水力発電所だ。曽木の滝の落差を利用したこの発電所は、当時国内最大級の発電能力を誇り、余剰電力は水俣でのカーバイト生産にも利用された。
重厚な石造りの建物は、廃墟となった今もなお威厳を湛え、「東洋のパルテノン神殿」とも称されている。昭和40年、鶴田ダムの完成とともに水没したが、渇水期の初夏から秋にかけてだけ、その姿を水面に現す。冬は水量が多く見ることはできないと聞いていたが、この年は雨が少なく水不足だったため、幸運にもその姿を目にすることができた。
まずは展望台のベンチに腰を下ろし、RTS IIIにフィルムを装填した。今回選んだのはネガカラーフィルムのKodak ColorPlus 200。廃墟が持つ重厚な質感を、豊かな色彩のコントラストで表現したいと思ったからだ。
最初は手持ちで撮影していたが、少し風があったので三脚を使うことにした。発電所をファインダーいっぱいに収めると、まるで中世ヨーロッパの古城にレンズを向けているような不思議な感覚に包まれる。やがて太陽が傾き、石造りの建物が立体的に浮かび上がっていく。その変化を1枚1枚写し取っていく時間は、実に楽しかった。
その足で、すぐ近くにある曽木の滝へ行ってみた。鹿児島県伊佐市を流れる川内川上流に位置し、幅210m、高さ12mを誇る大瀑布だ。この地形は約2万年前、阿多カルデラの大噴火による火砕流堆積物を、川内川が長い年月をかけて侵食したことで形成されたという。奇岩が連なる岩棚を大量の水が一気に流れ落ちる光景は圧巻で、横へ大きく広がるその姿は、「東洋のナイアガラ」と呼ばれるのもうなずける。
水辺は強い光に照らされ、岩肌は深いシャドーに沈む。露出の難しい場面だけに、3コマブラケットを使いたいところだった。しかし、現在のフィルム価格を考えると、さすがにためらってしまう。オート露出を信じ、慎重にシャッターを切った。
茅葺き屋根の葺き替え作業
続いて訪れたのは、入来麓武家屋敷群だ。鎌倉時代、関東から下ってきた渋谷氏が入来院家を名乗って支配した荘園だという。昭和4年には、イェール大学の朝河貫一教授によって伝来の古文書が英訳され、『入来文書』として世界に知られることになった。樋脇川の玉石垣と生垣が整然と区画する町並みには、清色城を中心に武家屋敷門や濠、茅葺き屋根の旧増田家住宅などが残され、往時の暮らしを今に伝えている。
今回の旅の主な目的は、旧増田家住宅の茅葺き屋根の葺き替え作業を撮影することだった。RTS IIIとフィルムの組み合わせで、職人たちの手によって屋根が少しずつ仕上がっていく様子を、1枚1枚丁寧に記録していく。デジタルなら枚数を気にせず撮ってしまう場面でも、フィルムでは1コマごとに集中力が求められる。そんな緊張感のある撮影を、改めて味わうことができた。
鹿児島県姶良市にある蒲生八幡神社にも立ち寄ってみた。境内にある「蒲生の大クス」を見たかったからだ。高さ約30m、推定樹齢約1500年を誇る日本最大級の巨樹。1988年、当時の環境庁が実施した巨樹・巨木林調査で日本一に認定され、国の特別天然記念物にも指定されている。
実際に蒲生の大クスを目の前にすると、その圧倒的な存在感に息をのんだ。幹はゴツゴツと隆起し、植物というより、1つの生命体のような力強さを放っている。この迫力をどう切り取れば写真で伝えられるのか、しばらく考え込んでしまった。24mmクラスの広角レンズを持ってこなかったことを、このとき初めて悔やんだ。
その日は霧島市内で1泊し、翌日は飛行機の時間まで余裕があったので、城山公園を訪れることにした。市街地の中心部にそびえる標高107mの小高い丘にあり、シダや亜熱帯性の植物が生い茂る、市民の憩いの場だ。
観覧車、SL、そして退役したプロペラ機。園内には魅力的な被写体が数多くあった。遊歩道を歩き回りながら、スナップ感覚で次々とシャッターを切っていく。色彩をテーマに被写体を探していくと、不思議と切り取り方も変わってくる。
こんな場面では、やはりズームレンズの便利さを実感する。とりわけCarl Zeiss Vario-Sonnar 35-135mm F3.3-4.5 T* MMJは、標準域から中望遠までを1本でカバーできるため、レンズ交換の必要性をほとんど感じない。そして何より気に入っているのが、鏡筒を前後にスライドさせてズームし、回転させてピントを合わせるワンタッチズーム(プッシュプル式)を採用していることだ。現代ではほとんど姿を消してしまった方式だが、実際に使ってみると、その操作性は実に快適だった。
フィルムなので、現像が仕上がるまでは写りを確認することはできない。それでも、ツァイスレンズだけに、シャッターを切っている段階から、そのシャープな描写への期待が自然と膨らんでくる。ライカをはじめとする高級カメラを使うと、写真が上手くなったような気持ちになるとよく言われるが、それと同じ感覚なのかもしれない。
広場に出ると、目の前の視界が一気に開け、霧島の街並みが広がった。真っ青な錦江湾の向こうには、桜島が静かに佇んでいる。この開放感、この土地の空気を写真に残したくなり、カメラの中に残っていたフィルムをすべて撮り切った。
心を込めてシャッターを
何年ぶりかで手にしたRTS IIIは、正直、かなり重く感じられた。月日の流れとともに、自分自身の体力も少しずつ衰えてきたことを実感し、思わず苦笑してしまう。
長いあいだ防湿庫で眠っていたRTS IIIは、その空白を埋めるかのように、鹿児島の旅の記録を丁寧に刻んでくれた。各地を巡り、その土地の歴史や文化に触れ、人々と言葉を交わす。そしてファインダーを覗き、じっくりと構図を練りながら、1コマ1コマ心を込めてシャッターを切る。これこそが、フィルム写真の豊かさであり、喜びなのだろう。
20代の頃、欲しくてたまらなかったCONTAX RTS III。あの頃は手に入れることのできなかったカメラで、今こうして、好きな場所を旅しながら写真を撮っている。
夢は、38年の時を経て、ようやく実を結んでいた。





















