写真を巡る、今日の読書
第11回:芸術とはなにか。美術家が綴るエッセイから学ぶ
2022年7月13日 07:00
写真家 大和田良が、写真にまつわる書籍を紹介する本連載。写真集、小説、エッセイ、写真論から、一見写真と関係が無さそうな雑学系まで、隔週で3冊ずつピックアップします。
芸術とはなにか。美しいとはなにか
今回は、美術家の書いた本にフォーカスしてみましょう。写真家にも筆が立つ作家は多くいますが、美術家もまた然りです。特に「芸術とはなにか」「美しいとはなにか」といったことをより感覚的に理解するためには、研究者や評論家が、歴史や哲学の文脈や用語を散りばめて書いた論文や書籍を読むよりも、美術家が日々を綴ったエッセイに残した一文を読み取るほうが、すっと腹に落ちることも多いように思います。
難しいことを考えずとも、今回紹介する三冊は読み物としての熱量が高く、読書自体が楽しいものばかりです。読んでいるうちに分かるのは、芸術家というのは、そもそもがユニークな人生を生きている人たちなんだなということです。言葉の使い方や言い回しも独特で、あまり触れたことがない方にとっては興味深い体験になるのではないかと思います。
『既にそこにあるもの』大竹伸朗 著(ちくま文庫・2005年)
一冊目は、大竹伸朗の「既にそこにあるもの」。絵画を中心に、音楽や立体、印刷、写真など様々な分野を横断して制作を行なう美術家です。タイトルは、作者の全ての制作に通底する基本的なテーマであり、本書は様々な媒体に寄稿した20年分のエッセイによって編まれています。
音楽や美術について書かれたものもあれば、短文の日記、旅の話、あるいは美大生時代のことなど、一見ばらばらなコンテンツが寄せ集められていますが、一冊を通してみると一人の作家の思考と視点が数珠繋ぎに感じられます。個人的には、ラッセル・ミルズやデイヴィッド・ホックニーとの交流が描かれたロンドンでの日々が非常に印象的でした。
また、「美は選外にあり」と題したエッセイでは、某カメラ雑誌でコンテスト選外傑作選と題して、月例コンテストの落選作から審査したときの話が書かれています。そこで筆者が選ぶ基準とは、プリントに漂う「無常観」であったとしていますが、どういうことなのか、興味のある方は是非本文を読んでみてほしいと思います。ちなみに、巻末の解説は写真家の森山大道が書いていますので、こちらも是非一読を。
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『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』会田誠 著(幻冬舎文庫・2015年)
二冊目は、「美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか」。最初にこの本(初版は2012年)を手に取ったのは、2012年から2013年にかけて六本木の森美術館で行われた、著者の大規模な個展「天才でごめんなさい」の鑑賞後でした。独自の批評性と、飛び抜けた表現の自由さに圧倒された後に読み始めたこともあり、破天荒なようでいて理路整然としたその考え方に、引き込まれるように読み進めたことを思い出します。
美や表現、日本画についてなど、多くは美術に基づいて、日々の雑記とリンクするようにしながら進められていきます。中に「俺様ファッション全史」という項があるのですが、個人的にはなぜかいつまでも頭の中に残っているストーリーのひとつです。基本的にはジャージについての話題なのですが、どこか懐かしく、若い頃の空気感や学生の頃の雰囲気というものが良く表れています。
巻末の「いかにすれば世界で最も偉大な芸術家になれるか」という十項目にも、会田誠というアーティストの特徴が良く感じられるのではないでしょうか。美術家という存在を、遠く高尚なものではなく、生き生きとした一人の人間の生き方として感じられる一冊になると思います。
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『日本の伝統』岡本太郎 著(知恵の森文庫・2005年)
最後は、「日本の伝統」です。岡本太郎の著書と言えば、まず挙がるのが「今日の芸術」ではないでしょうか。「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」として、刊行当時多くの読者に刺激を与えた一冊として知られています。
本書は「今日の芸術」の後半で取り上げられた伝統についての論考をさらに推し進めた一冊になっています。そう書くと少し敷居の高い本にも感じられるかもしれませんが、実際には岡本太郎式の、現代の観点に基づいてあらゆる角度から本質を捉え直してみる、というモノの見方を具体的に書き記した本としてみると、非常に明快な内容になっています。
縄文土器や尾形光琳、庭園などの美をどのようにして発見し解釈するのか、またそれを現在の問題として捉えつつ、否定的肯定によって価値づける。岡本太郎の「伝統」に関する考え方は、新たな芸術を生み出すための原動力そのものだと言えるでしょう。
本書の第一章で書かれている「芸術家はかならずまた批評家です。だが絶対鑑定家ではありえない」という言葉にも、伝統というものをどう捉え、考えるのかという著者の姿勢が強くうかがえます。