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モノ・レイク(後編)
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SD14 / F8 / 1/125秒 / ISO50 / 30mm F1.4 EX DC HSM / 30mm
トゥファ・タワ
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※すべてRAW撮影してからJPEGに現像し、長辺1,320ピクセルに縮小しています。
※写真下のデータは絞り/シャッター速度/感度です。SD14のみレンズ/実焦点距離を付記します。
陽が昇り、奇妙な姿のトゥファ・タワーに陽の光が眩しく当たり始め、鳥たちが騒がしく水面を舞いだし、海水の3倍の塩分を含むモノ・レイクの1日が始まった。湖の水面に反射する鮮やかな朝焼け、エネルギーに満ちた日の出を体験することが出来たのは、昨日からまだ残っていた頭痛にも負けず早起きしたおかげだった。モノ・レイク、サウス・トゥファでの静かな日の出は、どんなに大きな舞台照明より私の心に深く沁みていた。私はその自然の演出を何の工夫もせずカメラに収めた。ひとつだけ気を付けたこと言えば、塩分が強い湖畔にカメラバックを置かないようにしたことだけだった。短くも壮大な朝のドラマを目に焼き付けた私に、サウス・トゥファでの長居は必要なかった。
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SD14 / F8 / 1/125秒 / ISO50 / 30mm F1.4 EX DC HSM / 30mm
カリフォルニア・カモメは朝から元気がいい
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DP1 / F8 / 1/125秒 / ISO50
モノ・レイクの周辺
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湖から太陽を背に西へ向かいハイウェイ395号線を北上し、昨夜宿泊したタウン、リー・バイニングに戻り、モノ・レイク周辺のエコシステムを守る非営利団体、モノ・レイク委員会情報センターに立ち寄る。そこにはボランティアと思われる老若男女5、6人が、訪れる観光客を出迎えていた。
「モノ・レイクは水位が下がり、その生態系が壊れかけています。湖に流れ込む川はいくつあるのですが、その川の水をロサンゼルス市が、長い水路で市に流しているためです。簡単に言うと、モノ・レイクに流れ込む水をロサンゼルス市が横取りしているためです」と50歳代後半に見える白人女性が、壁に張られたモノ・レイクの地図の前で説明してくれた。ロサンゼルスに住む人間にとっては、耳が痛い話だったが、眼鏡越しに見える彼女の優しい目から、モノ・レイク周辺の自然をただ愛している人の言葉として、素直に聞き受けられた。それから鳥を見るのにいいスポット、きれいなクリーク、ゴースト・タウンを教えてもらい、その場を後にした。
私はまずモノ・レイク北の湖畔にあるカウンティー・パークに行くことにした。そこにはバード・ウォッチングの本格的な双眼鏡や望遠鏡を持った人が多く訪れていた。湖までのアクセスはないが、木の道を歩きデッキまで行くと湖の鳥が近くで観察でき、鳥好きな人に人気があるスポットになっている。ところどころにモノ・レイクの水位の変化を示すサインを見る。1951年には海抜1,955mだったが、1982年には海抜1,940mまで下がった。ロサンゼルス市がモノ・レイクに流れ込むクリークからの取水量を制限し、現在は海抜1,946mまで回復している。
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DP1 / F8 / 1/125 秒 / ISO50
1951年には海抜1,955m、モノ・レイクにここまで水があった
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SD14 / F5.6/ 1/640秒 / ISO100 / APO 120-300mm F2.8 EX DG HSM / 120mm
2人が鳥好きなことはその姿を見ているとよくわかった
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SD14 / F5.6/ 1/1,000秒 / ISO100 / APO 120-300mm F2.8 EX DG HSM / 300mm
モノ・レイクは鳥にとってエサの宝庫
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その後ハイウェイ395号線を北上し、ゴースト・タウンのボディに向かう。ハイウェイから270号線を東へ雄大な景色を見ながら16kmほど走ると、舗装道路はダート道となる。乾燥したダート道をさらに5kmほど行くと、19世紀後半、ゴールド・ラッシュで栄え、全盛期には約8,000人近い人口を抱えたボディに到着する。
車から降り、現在では国定歴史建造物、州立歴史公園に指定されているゴースト・タウンを歩く。標高は2,560mもあるのに、強い陽の光が照りつけて暑い。カレンダーでは、この日から夏だった。夏は暑いが、標高が高く砂漠地帯、周囲には何もない丘であるこの地は、冬は氷点下18度になることも珍しくない。1878年から1879年の冬は寒さが厳しく、多くの住民が寒さのため命を落とした。風も強く吹き荒れることも多く、厳しい冬を越すには沢山の薪が必要だった。今日このあたりに木が少ないのは、そのためと考えられる。
モノ・レイクに訪れる多くの人がこのゴースト・タウンを訪れるそうだが、当時の暮らしが感じられるここに足を延ばす価値は十分にある。ハイウェイ395号とこのゴースト・タウンを結ぶ270号線からの景色もまたすばらしい。
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SD14 / F5.6 / 1/200秒 / ISO50 / 30mm F1.4 EX DC HSM / 30mm
ユニオン・ストリートの古いサイン。太陽はほとんど頭の真上にあった
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DP1 / F8/1/125 秒 / ISO50
傾いた家
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DP1 / F8 / 1/100 秒 / ISO50
古いガラス窓越しから見える乾いた風景は、色あせた絵本のように見える
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DP1 / F8 / 1/125 秒 / ISO50
当時のガソリンスタンドはシンプルだった
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DP1 / F4 / 1/30 秒 / ISO100
ガラス窓越しに撮影したホテルのロビー
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SD14 / F4 / 1/50秒 / ISO50 / 30mm F1.4 EX DC HSM / 30mm
ガラス窓越しに撮影した郵便局のバー。当時は郵便局にバーがあった
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SD14 / F11 / 1/125秒 / ISO50 / 30mm F1.4 EX DC HSM / 30mm
ボディから少し戻った辺りからシェラネバダ山脈を見る
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夏の暑いボディを後にした私は、ハイウェイ395号線をモノ・レイク方に南下し、美しいクリークが見られるとモノ・レイク委員会情報センターで教えてもらったランディ・キャニオン・ロードを西に走った。ランディ湖に来ると舗装道路は終り、小さなジェネラル・ストアがあった。そこでアイスクリームを買い、店番の無愛想なおじさんに、この先のダート道を行くときれいな滝があることを教えてもらう。
狭いダート道を行くと、左手にミル・クリークが見える。人が歩くぐらいの速さで車を走らせると静かな池に着く。池の向こうには標高3,000m以上の山々がこちらを見下ろしている。このあたりまで来ると神聖な山の世界に足を踏み入れた気がする。標高は2,500mに達していると思われるが、これ以上の標高から、カリフォルニアの自然の風景は変わるように感じる。シンプルで無駄なものがない風景に近づく、そんな感じだ。
さらに奥に入ると行き止まりになり、そこからは歩きになった。カメラと1本のレンズを持ち、トレイルを少し登ると息が切れる。この先に滝があるに違いなかったが、昨日からの頭痛が残っていた私に、これ以上この山の奥に入る体力はもう残っていなかった。車に戻り、大量の水を喉に流し込んで一息つくと、車のフロントガラスから木陰に黄色い花が咲いているのが見えた。飾らず淡々と咲いているその花を見ていると、滝までたどり着けなかったけど、これで良かったと思えた。
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DP1 / F11 / 1/80 秒 / ISO50
標高2500mまで上がると小さな池があった
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SD14 / F6.3 / 1/160秒 / ISO50 / Macro 70mm F2.8 EX DG / 70mm
木陰に咲いていた黄色い花。花の図鑑からブッシュ・サンフラワーと思われる
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SD14 / F11 / 1/ 30秒 / ISO50 /10-20mm F4-5.6EX DC HSM / 10mm
シェラネバダ山脈からモノ・レイク流れるミル・クリーク
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※「押本龍一のUSAデジタルフォト日記」は今回で最終回とさせていただきます。長い間ご愛読いただき、ありがとうございました。
■ URL
バックナンバー
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/dialy_backnumber/
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押本 龍一 (おしもとりゅういち)東京品川生まれ。英語習得目的のため2年間の予定で1982年に渡米する。1984年、ニューヨークで広告写真に出会い、予定変更。大手クライアントを持つコマ―シャルスタジオで働き始める。1988年にPhotographerで永住権取得。1991年よりフリー、1995年LAに移動。現在はLAを拠点にショービジネス関係の撮影が主。 |
2008/07/30 00:15
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