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デスバレー(後半)
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F5.6 / 1/125秒 / 50mm / ISO200
小雨まじりでかすんでいる景色
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※すべてカメラはキヤノン EOS 20D、ホワイトバランスは昼光色、レンズはシグマ 17-70mm F2.8-4.5 DC Macroです。
※RAWで撮影した画像をJPEGに変換しています。
※画像下のデータは絞り / シャッター速度 / 焦点距離 / 感度です。
デスバレー国立公園でのキャンプ初日の夜は以外にも寝心地は悪くはなかった。アメリカで最も暑くなる国立公園でも、昼と夜の寒暖の差が激しい冬の夜はかなり冷え込む。だから僕は、安眠はとても期待できないと思っていたのだ。しかし昨夜はテント内ならティーシャツにブランケット1枚で過ごせ、風もほとんどなく、2月にしては暖かく穏やかな夜だった。
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写真1
F14 / 1/125秒 / 21mm / ISO100
小さいテントは大きなテントばかりのアメリカのキャンプ場ではひときわ目立ち、粋な感じがする。天候が変わりやすいアウトドアでは、大は小を必ずしも兼ねないと思う
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僕は雄大な自然を前に気を良くしてワインを飲みすぎ、二日酔い気味で朝はなかなか起きられず、やっとの思いで起きた頃は、隣にテントを張っていた若い男女の姿はもうそこにはなかった。2人のテントは小さめで(写真1)、持ち物もコンパクトにまとめられ、車はハイブリット車、食事の準備もすばやく早寝早起き、物静かで行動的な本格的なアウトドアー派のようだ。僕のように遅くまで星を眺めながら飲みすぎることはないのだろう。
都会に近くアクセスがいいキャンプ場には、夜遅くまでうるさくマナーの悪いキャンパーもいるが、デスバレーのキャンパーはマナーを守っているようだ。ゴミもどこにも落ちていないし、公園内の道にもほとんどゴミは見ない。パークレインジャーをほとんど見なかったので、この国立公園を訪れる人のマナーがいいのだろう。
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写真2
F14 / 1/125秒 / 53mm / ISO100
引退後、RVでアメリカ中を旅することは、アメリカ人の夢だと言われている
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顔を洗いに、モーターホーム用のパーキング場(写真2)にあるトイレに行くと、英語以外にもドイツ語や中国語も聞こえてきてくるではないか。地球上を歩き尽くして来た友人のカメラマンが「いろいろ見てきたけどアメリカ西部の自然はスケールが違う」と言っていたが、スケールの大きいアメリカ西部の自然は、世界中の人を魅了しているようだ。このキャンプ場では日本人の姿は見かけなかったが、ビジターセンターや公園内の名所には、数組の日本人旅行者が訪れていた。
しかし、世界中からこのDeath Valleyに観光客が押し寄せるなど、1世紀半前にこの死の谷に迷い込んだ人々には、想像もできなかったに違いない。1849年12月、カリフォル二ア州の金鉱に向かうグループが、オールド・スパニシュ・トレイルへの近道を探そうとして、この谷に迷い込んだ。初老の男性の死者も出て、やっとの思いで脱出したグループの1人がGoodbye Death Valley(死の谷よ、さらば)と言ったとされ、このことが名前の由来と言われている。
僕は、息子の宿題でゴールドラッシュについて調べる手伝いをするまで、この事実を知らなかった。暑さで多くの人が命を落としたか、または死ぬほど暑いから、デスバレーと呼ばれていると思っていたのだ。デスバレーは、1933年にその周辺地域とともに国定公園に指定され保護地区となり、1994年には保護地区を拡大し国立公園へ昇格し、切れ目のない連続した土地にある国立公園としてはアメリカ最大である。
朝寝坊した僕は、お湯を沸かしコーヒー入れ、軽い朝飯を食べた後、ファーナースクリークのキャンプ場を出た。南へ20分ぐらい走る(写真3)とデビルズゴルフコースの入り口に道に着く。かなりのデコボコのダート道で、車の窓を閉めないと車内はほこりだらけになってしまうが(写真4)、対向車のつくる土煙の中を走るのもそれなりに楽しい。
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写真3
F5.6 / 1/500秒 / 70mm / ISO100
公園内の1940年代につくられた舗装された道を走る。暑い夏は、オーバーヒートが心配だが、整備されている車ならエアコンをつけ快適に汗ひとつかかずにデスバレーを横断できてしまう
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写真4
F14 / 1/125秒 / 70mm / ISO100
人気がある国立公園内に、ダート道が残されていることに安堵感を抱く
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デビル(悪魔)しかプレーできないゴルフコースは、塩水湖が干上がって塩が結晶化し、地面がでこぼこになっている。ここにいると、地球上でなくどこかの惑星に行ったような錯覚に陥り、不思議な感じがする。足場は悪く、転んでしまうと尖った地面で大怪我をしそうなこの風景は、終わりがなくどこまでも永遠に続いているように見える(写真5)。
デビルズゴルフコースから少し南にあるバッドウオーターにも足を踏み入れた(写真6~8)。塩が強くここの水は飲めないということから「バッドウオーター」と呼ばれているこの地は、海抜-85.5mと西半球で最も低い場所である。ここからわずか123km先には、アメリカで1番高い山、マウントウイトニー(4,421m)がそびえ立っている地理的事実は、このあたりの雄大な自然を物語る。
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写真5
F11 / 1/125秒 / 17mm / ISO100
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F16 / 1/125秒 / 40mm / ISO100
1913年に摂氏57度を記録した、地球上で最も暑くなる場所のひとつ
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写真7
F11 / 1/250秒 / 57mm / ISO100
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写真8
F16 / 1/125秒 / 17mm / ISO100
表面はとても硬く凍結した雪の上を歩く感じがする
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バッドウオーターは、塩水湖が干上がった土地で、白い塩の平原を歩くとまるでスキー場にいるようだ。太陽光は白い塩の大地に反射して非常に眩しく、サングラスと日焼け止めローションは必需品である。2月でも昼間は温度が上がり、暑さで早く車に戻りたくなったぐらいだから、夏の昼間はいったどうなってしまうのだろうか。自動車メーカーが夏にここで走行テストをするのもうなずける。
さて、昨夜テントを張ったキャンプ場から小さな丘を越えたところにある、テキサス・スプリングキャンプ場に空きがある事を知った。せっかく張ったテントをたたみ、また張りなおすのは面倒だったが、今晩はこのキャンプ場に移動することにした(写真9~10)。各サイトにテーブルがあり、焚き火(写真11)もできるこのキャンプ場は、昨夜から少しグレードアップしたような気がした。
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写真9
F5.6 / 1/80秒 / 53mm / ISO200
手前に見えるのが今夜のキャンプ場。低い丘の向こうに見えているキャンプ場が昨夜テントを張ったキャンプ場
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写真10
F8 / 1/125秒 / 25mm / ISO100
キャンプ場に向かう車
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写真11
F4 / 1/40秒 / 36mm / ISO1600
石を積み上げた簡単なファイヤー・ピット。やはり焚き火はキャンプの楽しみのひとつだ。懐中電灯を照らし、影をやわらげて写真を撮った
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明日の朝早く出発する予定なので、早めに夕食を済ませて、焚き火で体を温めている、と少し風が出てきた。今晩は昨晩と違い少し冷え込みそうだなあと思い、変わりやすい冬の天候を実感していた。毎日張り出されるキャンプ場の天気予報によると、今晩はウインター・ストーム警報が出ていて、降水確率は50%とあった。
夜の11時頃になると風はさらに強くなり、雨もぱらついてきた。テントが心配になって外に出てみると、テントは今にも風で倒れそうなぐらい揺れ動いていた。テントの中の四すみに置いてあるかなり重たい石も、強い風でテントが動くたび少しずつ動いている。明け方になると風はさらにその激しさを増し、テントの隙間から細かい砂漠の砂が潜入してきて、口の中が砂でジャリジャリして、砂漠の砂嵐全快である。
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写真12
F4.5 / 1/125秒 / 70mm / ISO200
低い谷を上り平原に出ると、風が冷たく寒い。その温度差に驚いた
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僕は9歳の息子を起こして車に移動させ、妻と大急ぎでテントをたたみ始めた。全てのキャンプ道具を車に積み込み終わると、パラパラ程度だった雨は本格的に降り出していた。西からデスバレーに入って来た我々は、190号線を東に走り、公園を出ることにした。山で囲まれ海抜がマイナスのポイントもあるデスバレーから、かなりの標高差がある山道をどんどん登りきると、そこには広く神秘的な平原が広がっていて(写真12、冒頭の写真)、車から外に出るとそこは本物の冷たい冬風が吹いていた。
そこからデスバレー・ジャンクションを経由して南に下り、ショショーニに着く。この町はデスバレーの南の出入り口として重要なロケーションだが、寒い冬空がそう思わせるのか、この町の由来であろう先住民の歴史がそう思わせるのか、さびれて寂しい感じがした(写真13)。デスバレー国立公園内にも、我々がテントを張ったキャンプ場のそばに、Timbisha(赤い岩の意)Shoshone族の保護地があった。もともと彼らは、Panamint Shoshoneと呼ばれていたが、1983年に種族として認可され、Timbisha Shoshone族と命名された。
この保護地区は、一般の旅行者は許可なしでは立ち入り禁止になっている。Timbisha Shoshoneの血を引くほとんどの人が、デスバレー東の外に位置する町ローンパインに住み、約50人がこの保護地区に住んでいるという。
ショショーニからは、ロサンジェルスとラスベガス間の移動で利用する定番の道路15号線を目指し、雨の中を走るだけだった(写真14)。
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写真13
F5.6 / 1/500秒 / 70mm / ISO200
ガソリンスタンドだったここは、小さな博物館になっている
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写真14
F8 / 1/125秒 / 70mm / ISO200
遠くに見える山のはるか向こうには、まだ拡大が止まらないラスベガスが
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■ URL
バックナンバー
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/dialy_backnumber/
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押本 龍一 (おしもとりゅういち)東京品川生まれ。英語習得目的のため2年間の予定で1982年に渡米する。1984年、ニューヨークで広告写真に出会い、予定変更。大手クライアントを持つコマ―シャルスタジオで働き始める。1988年にPhotographerで永住権取得。1991年よりフリー、1995年LAに移動。現在はLAを拠点にショービジネス関係の撮影が主。日本からの仕事も開拓中。
http://oshimoto.net |
2007/03/28 01:27
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