デジタルカメラマガジン

梅屋敷の小さな書店「葉々社」

元カメラ誌編集者が新たな挑戦

デジタルカメラマガジンの編集者として、席を並べ長らく苦楽を共にしてきた小谷輝之さんが、新たな挑戦をスタートすることになった。敦盛の言葉で知られる「人間五十年」。戦国の世とは違い、現代社会において50歳はまだ道半ば、折り返し地点とも考えられる。彼も50歳を目前にして、自分の夢と向き合ったのだと言う。それが小さな書店を開くことだった。

品川駅から京急の普通列車で9駅目、梅屋敷で下車して徒歩3分。梅屋敷通り商店街を東邦医大方面に歩いて、ドラックストア・スマイルを右手に曲がり、とんかつ福子の2軒隣り、緑色の本と書かれた暖簾が目印だ。右下に店名の葉々社とある。

「風景写真家の岩木 登さんの同行取材をしたときに奥入瀬の深い森へと入ったことがあります。そこにはブナの原生林が広がっていて、その生命力と美しさに感動しました。ぐるりと辺りを見渡すと、1つ1つの葉の色がすべて違う緑色であることをそこで知ったんです。だから、いつか自分の夢が叶って、書店を開くときは『葉』という文字と、軒先に緑色の暖簾を掲げたいと思っていました」

3月までデジタルカメラマガジンの編集者であった店主の小谷輝之さん。本好きが高じて、編集者から書店のオーナーとなった

10坪の小さな書店だが、店主のこだわりが随所に感じられる。本棚はすべて木製、リンゴ箱を再利用したというボックスも味わいがある。梅屋敷という場所を選んだ理由を聞いてみると、いくつかの条件があったことを教えてくれた。家賃が安いこと、自宅から自転車で通える距離、小上がりがあることの3つ。1と2は当たり前のことだが、最後の小上がりが意図するものは、子どもたちが気軽に立ち寄ってほしいという願いが込められているようだ。あらゆる情報がスマートフォンから得られる時代にあって、本の魅力に子どもたちが少しでも触れることができるようなきっかけをここで経験してほしいと彼は真剣に願っているようだ。

本棚はすべて木製のオーダーメイド。両サイドの壁側にある書棚はジャンル分けされて陳列されている
店主おすすめは入り口からすぐの目に入る場所に平置きされている。気になる本があれば、店主に尋ねてみるといいかも

こんな小さな書店で何ができると笑う人もいるだろうが、本好きな私には彼の言葉がとても深く胸に刺さった。小上がりには小さなテーブルがあるので、ここで宿題をしたり、分からないことがあれば本を読んで学んだり、夏は水を飲んだり、涼みに来るだけでもいいと話す。子どもが大好きでありながら、子宝に恵まれなかった経験が、その思いをより一層に強いものにしているのかもしれない。

靴を脱いで小上がりへ、ここには中古本と閲覧用が並べられている
小上がりと店内の仕切りには紙質や素材にこだわったメモ帳やマスクなどの商品が陳列される
ガラス付きケースの中には高価な写真集が陳列。月曜社の森山大道写真集成シリーズなど貴重な本が並ぶ

編集者としてのキャリアを捨ててまでも書店を開きたいと思った理由を尋ねてみた。

「大学を卒業してから出版社を2社、約25年間の中でいくつもの雑誌と書籍を作ってきた。新しい書籍を作ってみたいと日々アイデアを考えながら仕事と向き合ってきました。しかし、いざ思い当たるアイデアを探してみると、すでに出版されているということばかりでした。年間7万点もの書籍が世に出てくるのですから、当たり前と言えば当たり前ですよね。」

確かにその通りかもしれない。本に限らず人気が出た商品やアイデアは必ず真似をされる。ヒット商品というのはそうした役割も同時に請け負う必要があることは誰もが知っている。雑誌の特集企画しかり、車のデザインしかり、テレビ番組しかりだ。

「そうであるならば、編集者として本を作るよりも、そうした魅力ある本を売る側にまわった方がいいのではないかと思うようになったんです。もちろん、編集者としての気持ちを100%捨てることもできないので、細々かもしれませんが、編集の仕事も続けるつもりです。」

葉々社のコンセプトは、そうした世にあふれる書籍や雑誌の中から、彼の目を通して、優れている、あるいは面白い(個性的)と感じたものが店頭に並べられている。何かの文学賞を獲った話題作とか、ベストセラーといったものとは異なるものだ。本のセレクトショップというのが正解かもしれない。それは本に限ったことではないみたいだ。今治タオルの素材を使ったマスクや、アート系の紙を使ったノートブックやメモ帳、紙を素材にしたフォトフレームなども店内に並ぶ。

今治(いまばり)タオルの生地で作ったマスク、マフラー、シュシュ
玉ねぎの薄皮のような独特の風合いがある「オニオンスキンペーパー」を使用したノート
優しいパステルカラーの栞には「考えるきっかけになる1冊を。」という言葉が添えられる
本と葉がイメージされたオリジナルのブックカバーもかわいらしい

もちろん、書店には写真の本も数多く並ぶ。店主が自ら手掛けた書籍もあるので、実際にどんな事に苦労をしたのかを直接、本人から聞いてみると面白いかもしれない。長らくカメラ雑誌を担当していたので、カメラの知識も豊富だ。カメラ談義をしたい人や、ちょっとした使い方ぐらいだったら、本を購入すれば教えてくれるだろう。カメラを首から提げて、店内に入れば、きっと店主から声を掛けてくれるので、気軽に立ち寄ってみてほしい。店内ではクラフトコーラとりんごジュースも飲める(有料)ので、夏場は喉を潤すために立ち寄っても喜ばれるだろう。

写真関連の書籍も多数並ぶ。その中には店主が手掛けた本もある
クラフトコーラとりんごジュースも店主のおすすめだ

取材を終えると、まだクレジットカード支払いの経験がないと言われた。取材日は4月25日の開店前だったので当たり前だが、それならば記念すべき最初の客は私がいただくことになり、店内をぐるりと一周した。こぢんまりとした店内だが、本と木棚の香りがほんのりと感じられる居心地の良い空間だ。

ゆっくりと10分ぐらいの時間を要して、見つけたのが橋本貴雄さんの『風をこぐ』(モ・クシュラ)というフォトエッセイ。福岡の路上で車に轢かれ、倒れていた「フウ」と名付けられた犬と過ごす12年の記録。事故で後脚が不自由になったフウは前脚だけで風をこぐように前へと進む。福岡、大阪、東京、ベルリンと住む場所は変わるが、橋本さんとフウの間に流れる暖かい日常は何も変わることがなく、その美しい風景と一緒になって、かけがえのないものであることを読者に伝えてくる。

何かに導かれるようにして、葉々社でこの本と出合えたことを嬉しく思った。
店主(小谷さんが)が栞に添えたメッセージを思い出す。
「考えるきっかけになる1冊を。」
本にはそんな力があることを私も知っている。小谷さんは本を売る側になって、それを1人でも多くの人に感じてほしいと願っている。そして私は本の作り手として、それを担っていくのだという思いを改めて感じながら、この店を後にした。

葉々社

営業時間:10時~20時
東京都大田区大森西6-14-8-103
京急梅屋敷駅から徒歩3分
Twitter:https://twitter.com/youyousha_books
Web Shop:https://youyoushabooks.stores.jp