中山慶治写真展「1979年の迷宮」
ここに展示されたのは1979年に撮影した東京・下町のスナップだ。数点を除き赤外線フィルムを使っているため、画面の一部分は光り輝くように見える。茶店で腰を上げる客たち、路地で野球をする少年のバット、家の前に干された洗濯物……。
光の中で曖昧にしか見えない部分と、細かに表現されたディテールを併せ持ったイメージは、観る者の想像力を刺激し、ふと写真の中に入り込んでしまいそうな感覚を抱かせる。不思議な写真体験が味わえる空間だ。
中山慶治さんは1957年、葛飾区生まれ | ハイライトがにじむような表現はフィルムならではの特徴。その辺も今回の見所だ |
中山慶治写真展「1979年の迷宮」はルーニィ247フォトグラフィーで開催。会期は2009年6月16日(火)~28日(日)。月曜休館。入場無料。開館時間は12時~19時。最終日は16時まで。所在地は新宿区四谷4-11 みすずビル1F。問合せはTel.03-3341-8118。
■写りすぎないよう赤外線フィルムを選んだ
中山さんがこの写真を撮影したのは、大学生(日本大学芸術学部写真学科)の時だ。ただ日常を淡々と描いてみたいと考え、浅草から向島(玉ノ井、鳩の街)にかけておよそ3ヵ月間、撮り歩いた。
「その日常も現実ではなく、虚構の世界を写したいと思った。永井荷風や、つげ義春が好きだったので、そんなイメージを彼らが好んだ街の中に探しました」
今から30年前の街に、さらにその昔の残影を捉えようとしたのだ。
つげ義春の自伝的作品「大場電気鍍金工業所」をイメージして撮ったもの。が、現実は、被写体となった男性が近づいてきて「なぜ撮ったのか」と詰問されたという。環境問題が言われ始めた頃で、工場の人が神経質になっていたらしい |
「普通のフィルムでは写りすぎてしまう感じがあったので、赤外線フィルムを使うことを思いつきました」
撮影の時は、永井荷風の気分になって、街をそぞろ歩き、シャッターを切っていった。
ただし赤外線写真の場合、ピントや感度は通常の撮影とは異なる。赤外線は可視光と波長が異なるためだ。フィルム一眼レフ時代のレンズや、ライカM8には、赤外線撮影用のピント位置が赤い点で記されている。赤外線写真では、可視光で合った焦点距離を、赤い点に移動する作業が必要になる。
「感度も可視光と違うので、AEは使えません。晴天の時でもF5.6、シャッタースピードは1/30秒ぐらいですね」
なかなかスナップを撮るには条件が厳しいようだ。
「また時代が分かるものはできるだけ撮らないようにしました。例えば自動車とか、人の服装やファッションなどですね」
赤外線フィルムの描写と、そんな試みもあって、この独特の世界は成り立っているのだ。
トライXで撮影した1点。ふっと、この道に入り込んで歩いていけそうな気がする。そうなったら、母親に手を引かれているかもしれない |
■30年前の「過去をたどる旅」は今、どう見えるのか
しかし、この制作は担当教授の「ただ歩いただけのどうしようもない写真」という酷評を受け、中途で断念した。それ以降、中山さんの記憶からも消えていた作品だったが、一昨年、偶然、永井荷風のムック本を手にしたことで、この存在を思い出した。
「見直してみると、30年という時間の経過によってか、面白い作品になっていた」
30年前の『過去に向けた旅』を追体験してみると、その当時は見過ごしたであろう発見がいくつもある。着物姿の女性の背景には、小さく姉と弟らしき2人がじゃれあうような姿が収められていたり、路地の家の前に置かれた自転車たちや、当たり前に道を歩く野良犬がいる風景など。そんな光景をきっかけに、自分の中で知らず知らず物語が動き出していくのだ。
「和服姿で踊る女性が、小学生用のようなスニーカーを履いている。これは展示してから気づきました。神社の外を、銭湯帰りであろうおじさんがのんびりと歩いていたり、橋の欄干に服を干して、川っぺりで寝転んでいるおじさんがいる。こうした雰囲気を身にまとった人々が今は、いなくなりましたよね」
どの光景が気を惹き、どんな感興をもたらすか。それは各人が抱えた過去の記憶によるはずだ。
■完成へ向けた経過報告
中山さん自身の中で、この作品は「まだ未完」との思いがあるそうだ。この展示を決めてから、再度、この地域を撮りに歩いたという。赤外線フィルムは手に入らないので、カメラはデジタルのライカM8に変わったが。
「街は変わってしまった部分はあるけど、まだあの頃につながる光景は残っているし、自分自身、30年前と同じ距離感で撮ることができた」
この世界がどのような形で完結するかは今後のお楽しみとすることにして、今は30年前の赤外線スナップ写真を堪能することにしよう。
今もこの光景だけは同じままにあるかもしれない |
2009/6/18 18:33