ライカレンズの美学

APO-SUMMICRON-M F2.0/90mm ASPH.

デジタルで再評価されるだろう"名玉"中望遠レンズ

ライカレンズの魅力を探る本連載。今回は大口径中望遠レンズのAPO-SUMMICRON-M F2.0/90mm ASPH.を取り上げてみたい。

装着するレンズの焦点距離に関係なくファインダー倍率が常に一定であるM型ライカにとって、望遠レンズというのは何とも悩ましい存在である。本連載の4回目で書いたとおり、望遠でも75mmレンズであればまだ何とかなるが、それより長い90mmとか135mmになると視野枠(ブライトフレーム)が小さくなりすぎて極端にフレーミングがしにくくなってしまうからだ。

また、被写界深度が浅くなる望遠レンズで撮るときにはボケ部分がどのようにアウトフォーカスしていくのかも気になるわけだが、M型ライカの素通しファインダーではそれも確認できず、ゆえに望遠レンズの使用はかなり悩ましかったというわけである。

もちろん、そうしたフレーミング云々やボケの様子がわからないなんてことは一切気にせず、たとえ望遠であってもダイレクト感溢れる光学ファインダーとブライトフレームでバシバシと撮影してこそM型ライカの神髄に触れられるのだ!なんて考え方もあり、個人的にはそういう求道的な思想も決してキライではないけれど、あまり人には勧められないのも事実だ。

なのでフィルム全盛時代にはレンジファインダーカメラと望遠レンズを組み合わせる難しさから、M型ライカは広角から標準レンズだけしか使わず、望遠レンズは一眼レフカメラに任せるという使い分けをする人も沢山いて、それはそれでひとつの見識だったと思う。ただ、M型ライカ用の90mmや135mmレンズは写りの評価がとても高いレンズが多く、その意味では「M型ライカでは望遠は使わない」と割り切ってしまうのは、ライカ好きにとって結構悩ましいことであったのだ。

しかし、そういう悩ましさもライカM(Typ240)でライブビュー機能が搭載されたことでほぼ解決したと思う。ライブビューを使えば望遠レンズでも視野率100%で楽々フレーミングできるし、ボケの様子を撮影時に確認することも可能。ピントに関してもより正確に合わせられるので、安心して絞りを開けられる。今まではどれだけ評判が高くても、使う人を選ぶ性格が強かったM型用望遠レンズだが、これでやっと誰にでも勧められるようになったわけだ。2017年1月に発表された最新のライカM10では動画機能が廃された一方、ライブビュー機能は残されているが、そこには「望遠レンズ対策」としての側面も確実にある。

シンプルな構成を実現する、贅沢なレンズ設計

というわけで、以前から写りが良いと評価の高かったAPO-SUMMICRON-M F2.0/90mm ASPH.である。このレンズは1998年に登場した大口径中望遠レンズで、F2クラスの中望遠レンズとしてはかなりシンプルな5群5枚というレンズ構成になっていることが大きな特徴。「レンズは構成枚数が多いほど高性能」と考える人もいるが、実はそう簡単な話ではない。レンズ枚数が増えれば増えるほど光と接するレンズ面が多くなり、その際にレンズ表面で必ず起きてしまう反射による透過率の低下が避けられないからである。もちろん、最新のコーティングを施せば透過率の低下は最小限に抑えられるが、それでも反射率はゼロではないので、できるならばレンズ構成枚数は少ない方が有利だ。

ただし、やみくもにレンズ構成枚数を少なくしてしまうと各種収差を十分に補正できず、残存収差が多く写りの悪いレンズになってしまう可能性もあるわけで、高性能でありながら構成枚数の少ないレンズを作ることは、光学設計者にとって腕の見せ所でもある。このあたりの話は本連載の9回目でライカの光学責任者にインタビューしているので気になる人は参照してほしい。

合焦部のピントの起ち上がりは十分にシャープだが、硬すぎることはない。LEICA M(Typ240) / ISO400 / F2 / 1/1,500秒 / WB:晴天
F5.6で撮影。20年近く前の設計とは思えないほどシャープ。フレアっぽさによるコントラスト低下もまったく感じられない。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F5.6 / 1/1,000秒 / WB:オート
このくらいの焦点距離は合焦部分と背景の分離がよく、立体的な写りを得られる。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F2 / 1/1,000秒 / WB:オート

APO-SUMMICRON-M F2.0/90mm ASPH.では、5枚のレンズのうち、2枚に高屈折率レンズ、2枚に異常部分分散レンズを採用することで、最小限のレンズ構成枚数ながら各種収差を十分に補正することに成功している。要するに贅沢な硝材を惜しみなく投入することで、レンズ枚数を減らしているのだ。こういう設計手法はコスト管理に厳しいメーカーではなかなか実現できず、ある意味、ライカだからこそ実現できたレンズといえる。

フィルター径は55mmと小さめ。
スライド式のフードを装備。ロック機構はないのですぐに引っ込んでしまうのが難点。パーマセルテープなどで固定するとプロっぽくてカッコイイかもしれない。

光学的なもうひとつの特徴は、中望遠レンズであるにもかかわらずアスフェリカル、つまり非球面レンズを採用したことだ。今でも単焦点中望遠レンズへの非球面レンズ採用は非常に珍しいが、1998年の時点で中望遠の非球面採用は画期的。このこともレンズ構成のシンプル化に貢献しているわけで、ライカの光学設計技術の高さと独創性がうかがい知れる。

F8で撮影。曇り日の撮影だが、コントラストは十分に高く、メリハリのある描写を得られた。LEICA M(Typ240) / ISO400 / F8 / 1/500秒 / WB:3900K
ごく限られた距離では若干の二線ボケ傾向が認められるが、気になるほどではない。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F2 / 1/4,000秒 / WB:オート
複写に使うような性格のレンズではないが、平面性は高く中央と周辺の画質差は最小限。LEICA M(Typ240) / ISO400 / F5.6 / 1/350秒 / WB:4500K
非球面レンズを使っているレンズは玉ボケ部分に同心円状の筋が現れやすいが、このレンズはほぼ気にならないレベル。LEICA M(Typ240) / ISO1600 / F2.0 / 1/90秒 / WB:オート

実際に撮影してみると、大口径レンズならではの線の細い、非常に繊細でシャープな描写を堪能できる。およそ19年ほど前の設計なので決して最新ではないが、それでも解像感やピントが合った部分における像の立ち上がりの鋭さに不満はない。また、中望遠レンズで重要なボケ描写も素晴らしく、周辺部分でもボケ像が圧縮されず、ナチュラルにアウトフォーカスしていく様はなかなか美しい。

合焦部は見事な解像だが、決して硬すぎないので毛並みもスムースに描写される。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F2 / 1/3,000秒 / WB:オート
玉ボケを作ったときのボケ味はこんな感じ。周辺部での玉ボケの変形は少ない。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F2 / 1/1,000秒 / WB:オート
M型+望遠レンズ+ライブビューで撮影する場合、全行程をライブビューで行うのではなく、レンジファインダーで軽くピントを追い込んでからピーキング機能を使うと迅速だ。LEICA M(Typ240) / ISO400 / F2 / 1/1,500秒 / WB:3900K

フィルム全盛時代から"名玉"と評されてきた本レンズだが、ライブビューを備えたライカM(Typ240)やライカM10との組み合わせなら誰でも比較的容易に真価を発揮させられるわけで、そのことがまた新しい評価に繋がっていくのではないかと思う。

F5.6で撮影。どうしても開放で撮りたくなるレンズだが、絞った時の描写ももちろん良好で、キレが増す印象。LEICA M(Typ240) / ISO400 / F5.6 / 1/750秒 / WB:4500K
EVFを使えばギリギリのフレーミングも簡単に行える。LEICA M(Typ240) / ISO400 / F2 / 1/750秒 / WB:オート
初代SUMMICRON 90mmは重厚な作りで大きく重かったが、現行SUMMICRON 90mmは比較的コンパクトでスナップにも使いやすい。LEICA M(Typ240) / ISO400 / F5.6 / 1/250秒 / WB:4500K
レンズの性格的に近距離~中距離の撮影が多くなると思うが、遠景もキリッとした描写で素晴らしい。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F8 / 1/1,500秒 / WB:晴天
ボケ味がウルサくなりがちな細かい木の枝も、自然で柔らかいアウトフォーカス描写。LEICA M(Typ240) / ISO400 / F2 / 1/1,500秒 / WB:4500K

協力:ライカカメラジャパン

河田一規

(かわだ かずのり)1961年、神奈川県横浜市生まれ。結婚式場のスタッフカメラマン、写真家助手を経て1997年よりフリー。雑誌等での人物撮影の他、写真雑誌にハウツー記事、カメラ・レンズのレビュー記事を執筆中。クラカメからデジタルまでカメラなら何でも好き。ライカは80年代後半から愛用し、現在も銀塩・デジタルを問わず撮影に持ち出している。