ライカレンズの美学
APO-SUMMICRON-M F2.0/90mm ASPH.
デジタルで再評価されるだろう"名玉"中望遠レンズ
2017年3月30日 14:52
ライカレンズの魅力を探る本連載。今回は大口径中望遠レンズのAPO-SUMMICRON-M F2.0/90mm ASPH.を取り上げてみたい。
装着するレンズの焦点距離に関係なくファインダー倍率が常に一定であるM型ライカにとって、望遠レンズというのは何とも悩ましい存在である。本連載の4回目で書いたとおり、望遠でも75mmレンズであればまだ何とかなるが、それより長い90mmとか135mmになると視野枠(ブライトフレーム)が小さくなりすぎて極端にフレーミングがしにくくなってしまうからだ。
また、被写界深度が浅くなる望遠レンズで撮るときにはボケ部分がどのようにアウトフォーカスしていくのかも気になるわけだが、M型ライカの素通しファインダーではそれも確認できず、ゆえに望遠レンズの使用はかなり悩ましかったというわけである。
もちろん、そうしたフレーミング云々やボケの様子がわからないなんてことは一切気にせず、たとえ望遠であってもダイレクト感溢れる光学ファインダーとブライトフレームでバシバシと撮影してこそM型ライカの神髄に触れられるのだ!なんて考え方もあり、個人的にはそういう求道的な思想も決してキライではないけれど、あまり人には勧められないのも事実だ。
なのでフィルム全盛時代にはレンジファインダーカメラと望遠レンズを組み合わせる難しさから、M型ライカは広角から標準レンズだけしか使わず、望遠レンズは一眼レフカメラに任せるという使い分けをする人も沢山いて、それはそれでひとつの見識だったと思う。ただ、M型ライカ用の90mmや135mmレンズは写りの評価がとても高いレンズが多く、その意味では「M型ライカでは望遠は使わない」と割り切ってしまうのは、ライカ好きにとって結構悩ましいことであったのだ。
しかし、そういう悩ましさもライカM(Typ240)でライブビュー機能が搭載されたことでほぼ解決したと思う。ライブビューを使えば望遠レンズでも視野率100%で楽々フレーミングできるし、ボケの様子を撮影時に確認することも可能。ピントに関してもより正確に合わせられるので、安心して絞りを開けられる。今まではどれだけ評判が高くても、使う人を選ぶ性格が強かったM型用望遠レンズだが、これでやっと誰にでも勧められるようになったわけだ。2017年1月に発表された最新のライカM10では動画機能が廃された一方、ライブビュー機能は残されているが、そこには「望遠レンズ対策」としての側面も確実にある。
シンプルな構成を実現する、贅沢なレンズ設計
というわけで、以前から写りが良いと評価の高かったAPO-SUMMICRON-M F2.0/90mm ASPH.である。このレンズは1998年に登場した大口径中望遠レンズで、F2クラスの中望遠レンズとしてはかなりシンプルな5群5枚というレンズ構成になっていることが大きな特徴。「レンズは構成枚数が多いほど高性能」と考える人もいるが、実はそう簡単な話ではない。レンズ枚数が増えれば増えるほど光と接するレンズ面が多くなり、その際にレンズ表面で必ず起きてしまう反射による透過率の低下が避けられないからである。もちろん、最新のコーティングを施せば透過率の低下は最小限に抑えられるが、それでも反射率はゼロではないので、できるならばレンズ構成枚数は少ない方が有利だ。
ただし、やみくもにレンズ構成枚数を少なくしてしまうと各種収差を十分に補正できず、残存収差が多く写りの悪いレンズになってしまう可能性もあるわけで、高性能でありながら構成枚数の少ないレンズを作ることは、光学設計者にとって腕の見せ所でもある。このあたりの話は本連載の9回目でライカの光学責任者にインタビューしているので気になる人は参照してほしい。
APO-SUMMICRON-M F2.0/90mm ASPH.では、5枚のレンズのうち、2枚に高屈折率レンズ、2枚に異常部分分散レンズを採用することで、最小限のレンズ構成枚数ながら各種収差を十分に補正することに成功している。要するに贅沢な硝材を惜しみなく投入することで、レンズ枚数を減らしているのだ。こういう設計手法はコスト管理に厳しいメーカーではなかなか実現できず、ある意味、ライカだからこそ実現できたレンズといえる。
光学的なもうひとつの特徴は、中望遠レンズであるにもかかわらずアスフェリカル、つまり非球面レンズを採用したことだ。今でも単焦点中望遠レンズへの非球面レンズ採用は非常に珍しいが、1998年の時点で中望遠の非球面採用は画期的。このこともレンズ構成のシンプル化に貢献しているわけで、ライカの光学設計技術の高さと独創性がうかがい知れる。
実際に撮影してみると、大口径レンズならではの線の細い、非常に繊細でシャープな描写を堪能できる。およそ19年ほど前の設計なので決して最新ではないが、それでも解像感やピントが合った部分における像の立ち上がりの鋭さに不満はない。また、中望遠レンズで重要なボケ描写も素晴らしく、周辺部分でもボケ像が圧縮されず、ナチュラルにアウトフォーカスしていく様はなかなか美しい。
フィルム全盛時代から"名玉"と評されてきた本レンズだが、ライブビューを備えたライカM(Typ240)やライカM10との組み合わせなら誰でも比較的容易に真価を発揮させられるわけで、そのことがまた新しい評価に繋がっていくのではないかと思う。
協力:ライカカメラジャパン