写真展
八木博司写真展「写真を描く」
(ぎゃらりぃ西利)
Reported by 本誌:河野知佳(2015/5/26 07:00)
写真は、時間と空間を如何に切り取るか?という選択肢が、撮り手に無限に与えられています。
その意味で、カメラという機械を介在させながらも、絵画などの手作業となんら遜色のない、極めて個性的な作業であると認められています(1998年、著作権の保護期間が他のジャンルの芸術作品と同等の扱いを受けるようになった)。その上で写真の特徴を考えたなら、それは「カメラ」という機械によって、人の意識が届き得ない現実の深部・細部を物理的な正確さで写し取る事、と言えます。例えばリンゴに僅かな傷が付いていた場合、その僅かな傷をごまかし得ない眼がレンズという物理の眼なのです。そのカメラの正確さを以て、ありとあらゆる「モノ」を見つめ直してみると、そのありとあらゆる「モノ」に、みんな「命」の宿っていることを再認識させられます。
それは肉眼の観察以上に正確なものであるかも知れません。ただ、考えておかなければならないのは、デジカメ全盛の今、写真はシャッターを切った瞬間からコンピューターに管理されているという事実です。デジカメという小さな機械の中に、既にプログラミングされた処理情報が有り、その処理情報によって写真が出来上がっていると云う事実に対して、案外多くの人が無頓着なのでは無いでしょうか。しかし事実がそうであるかぎり、コンピューターを自在に操らなければ人間の主体性はどこに?と、私は常に考えています。
「写真絵画」
絵画の世界で写実主義の後に印象派の作家達が活躍したように、コンピューターのレタッチソフトの中に組み込まれた種々の機能を自在に駆使したなら、まさにコンピューター時代の『写真絵画』とでも呼ぶべき新しいジャンルが確立されるのでは無いでしょうか。
言うまでも無くそれは単なる合成写真でも無く、また写真を使ったコラージュなどとも別の世界です。レンズという物理の眼が、肉眼以上に被写体を正確に捉え、だからこそ再認識される「モノに宿る命」、その「命」の不思議をコンピューター技術という最先端の道具を駆使して表現の俎上に載せたものが、写真絵画であるといえば良いでしょうか。
私は「写真絵画」を作成するために、そのメイン素材となる被写体にカメラを向け、更にコンピューターの前に数時間座り続けます。そこに浮かび上がってくる『命の不思議』を味わって戴ければ有り難く存じます。
(写真展情報より)
会場・スケジュールなど
- ・会場:ぎゃらりぃ西利
- ・住所:京都市東山区四条通祇園町南側京つけもの西利祇園店3階
- ・会期:2015年6月3日水曜日~2015年6月9日火曜日
- ・時間:11時~16時
- ・休館:会期中無休
- ・入場:無料