イベントレポート
「ジッツオ100周年記念イベント」が開催。記念モデル並ぶ
東京・白金台の八芳園で 100年の歴史とこれからを語る
2017年9月28日 21:26
マンフロット株式会社は9月28日、東京都港区白金台の八芳園・白鳳館において「ジッツオ100周年記念イベント」を開催した。
こうした製品発表会として珍しかった点は、報道関係者のほかに一般ユーザーも出席可能だったところ。一般参加者はジッツオ創業年にちなんだ1,917円を支払って入場し、発表会後に写真家 鈴木光雄氏のフォトセミナーやプレゼント抽選会にも参加できた。
ジッツオの歴史とこれから
Vitecグループのフォトグラフィックディビジョン総責任者をつとめるマルコ・ペッツァーナ氏が登壇。「今日こうして100周年を祝うのは、単に100年が経過したからではない。ジッツオは高い性能と品質を持ち、製品開発にユーザーの声を反映させ続けてきた。過去を振り返って祝うとともに、将来のアクセサリー市場をどのように新しく定義(Defining tomorrow)していくかも話したい」と挨拶した。
ジッツオ創業者のアルセーヌ・ジッツォーヴェン氏がフランス・パリで機械設計・開発会社を設立したのが1917年。第一次世界大戦後に「GILAX」というカメラやケーブルレリーズなどのカメラ周辺機器を手がけ、日産750台という当時の主力製品だった「GITZO」というシャッターの商品名が1930年に社名となった。
三脚は1950年代に製造を開始し、素早く上下にスライドできる「ラピッドセンターポール」や、可動範囲の大きな「オフセンターボール雲台」を発明。1960年に創業者のアルセーヌ・ジッツォーヴェン氏が引退し、娘のイヴォンヌ・プリジェール氏とその夫が経営を引き継いだ。以降、世界的ブランドに発展し、世界初となるカーボン三脚を開発したのが1994年。2004年には、脚が雲台を包み込むように反転して携帯性を高める「トラベラー三脚」が登場した。
続けてマルコ・ペッツァーナ氏は、8年前にVitecグループに入社した当時の自らの体験談を語った。
「最初にジッツオの工場を訪ねた時は、別業界から来た自分にとって興味深かった。鋳物でできたマグネシウムの部品があり、手に取ってみたいという衝動に駆られたが、女性作業者に『触らないで!』と言われた。『あなたは手袋をしていないし、とても特別な製品だから許可なく触ってはダメ』という理由だった。それをきっかけに、ジッツオがいかに製品を大事に、熱い思いで作っているのかが理解できた。それが我々の文化であり情熱で、今後も持ち続けるであろうものだ」
今後のブランド戦略としては、並外れた(extraordinary)写真を撮るために、カメラやレンズと同様に最高のサポート製品も必要とアピール。新キャンペーンのメッセージとして「framed on Gitzo」を掲げた。
初期の三脚はブレを止めるために単にカメラを固定する用品だったが、カメラが性能向上した現在でも三脚は必要なのか?という問いに対して、写真はアートであり、様々な瞬間をフレーミングする行為であるというメッセージを表現した。
また、11名のジッツオ・アンバサダーを紹介。InstagramやFacebookにおいて、アンバサダーが撮影した作品のバックステージを公開していくという。
100周年記念モデルについて
会場には100周年記念モデルの実機が展示されていた。
100周年トラベラー三脚キット アニバーサリー・エディション
マグネシウムボディの採用により、通常モデルより100g軽くなっている。1917台のエディションナンバーを脚パイプに刻印した。また、新しい開脚角度セレクターを備え、最低高が32cmから23.5cmに下がったのも機能的な差違。「そのまま担いでも美しいことを重要視した」といい、カーボンファイバー風の特別仕様とした三脚ストラップが付属する。
100周年を機に、ジッツオ初のカメラバッグを発売
Vitecグループはジッツオのみならず、マンフロット、ナショナルジオグラフィック、買収したばかりのロープロなど、総合的に市場に製品を投入している企業であり、本製品はその叡智を集めた初めてのジッツオブランドのバッグだという。ジッツオの三脚同様、バッグにおいても機能・材質・品質すべてにおいて優れているとアピールしていた。