東京エッジ~首都辺境を巡る写真紀行

最終回:変わるもの・変わらないものを写して——新宿ゴールデン街

花園三番街。おそらくゴールデン街でいちばん華やかな通り。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/50秒・F5.6・±0.0EV) / ISO 6400

2018年4月より始めたこの連載、前回が第13回。ひと月に一回を目指して始めたが、実際はひと月半に一回ぐらいのペースだった。時期によっては他の仕事が忙しくて、この連載に向かえなかったこともあるが、大半の理由は案外真面目に取材していたためだ。

一回の連載につき、その地を通常3、4回は訪れている。第6回の伊豆大島のように一度訪れて、ばばっと書いたものもあるが、基本的には何度も訪れて仕上げている。写真のバリエーションが必要だからというのが主な理由である。写真というのは、押せば写るから簡単だという側面がある一方で、実は難しくて、案外バリエーションが増えない。特に限定された同じ場所でとなると尚更だ。ということもあって何回か通うことになる。

また連載テーマがエッジ(端)だから、東京とはいえ、大概遠い(笑)。山の中ともなれば余計にである。とりつくのに時間を要する。といった具合で存外取材に時間を使っていた。その楽しい苦労も残念ながら今回でいったん終わりとしたい。

◇   ◇   ◇

さて最終回、何をやろうかと考えた。東京エッジ、少なくともあと3回はやりたいことがあった。そのうちのふたつは最終回には向いてない気がして、ゴールデン街をやることにした。年末に姪っ子が働いているらしいという情報を聞いたこともあって丁度いい。もともと好きなところだ。

ゴールデン街は新宿区歌舞伎町一丁目にある飲食店街である。新宿駅東口から歩いて5分程度。花園神社に近く、区役所通りに平行する四季の道と、花園交番通りに囲まれた狭い区画に、木造長屋を利用した約280もの店が密集している。

母体となったのは、戦後、現在の新宿駅東口にあるヨドバシカメラ付近にあった「竜宮マート」。いわゆる闇市である。そこにはたくさんの屋台車が並んでいた。1949年(昭和24年)占領軍が露店取り払い命令を出したため、現在のゴールデン街のあるあたり、当時、建設途中だった新宿区役所のほかにこれといった目ぼしい建物のなかった殺風景な場所、歌舞伎町一丁目に移転してきて店を構えたのが始まり。売春防止法ができるまでは、’青線’と呼ばれる非業法売春の地帯でもあった。

青線とは、売春行為を許容、黙認された赤線地帯とは違って、営業許可なしに売春行為を行っていた飲食店街のこと。警察の地図に赤い線と青い線で囲んで表示されていたから、それぞれ赤線、青線と呼ばれた。

靖国通りから、このアコムとミスタードーナツの間の「四季の道」を進むとゴールデン街である。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/40秒・F8.0・±0.0EV) / ISO 6400
ゴールデン街の東の縁をはしる花園交番通りから撮影。東側の入口。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/200秒・F2.0・±0.0EV) / ISO 5000
同じく三番街。ゴールデン街は絵になる。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/220秒・F2.8・±0.0EV) / ISO 6400

ゴールデン街は、ふたつの組合によって成立している。ひとつは「新宿ゴールデン街商業組合」といって、青線時代は「花園街」と称した。もうひとつは「新宿三光商店街振興組合」。昔は「三光町」といった。このふたつの組合によって商売が営まれている場所が、通称「ゴールデン街」である。

『新宿ゴールデン街物語』(講談社+α文庫)渡辺英綱著によると、

「ゴールデン街商業組合」の店は、一軒あたりが約4.5坪ほど。「三光商店街振興組合」に属する店は、一軒あたり約3.5坪で、私有地の路地を含めると約5坪とある。

今回写真を撮るまで知らなかったのだが、ゴールデン街の路地は私有地故に、撮影禁止である。撮影許可を取らなければならない。基本撮影許可取得には料金が発生する。そのお金はゴールデン街の維持費に使われているとのこと。もちろん私も許可を取った。外国人が個人的にスマホでパシャパシャと撮る分にはキリがないので、ある程度は大目に見ているようである。

ちなみになぜ、店舗の面積が違っているかというと、街の成立の意図が最初から違っていたからである。「花園街」の建物は、初めから売春を目的に設計建築された木造3階建てであるのに対し、もうひとつの「三光町」の場合は、飲食店がその主な目的で、木造2階建てだった。だが、時間の経過につれて、「花園街」は売春の客で連日賑わうのに対し、一杯呑み屋の多い「三光町」の客の入りはきわめて少なく、借金を抱えている営業者の生活は困難だった。そこで「三光町」の営業者が急遽、木造2階建てに一階分建て増しをして3階とし、「売春宿」という体裁を整えたのである。

青線時代の店の様子は、

1階がバーで、椅子の数は概ね10人前後。
2階が経営者の住居および泊まり客の部屋兼台所。
3階がいわゆる〈行為を行うところ〉で、布団一枚敷くのがやっとの1畳半ぐらいの部屋がふたつ。

これが基本だったようだ。

それが、1958年(昭和33年)4月1日の売春防止法が施行されて、街の様相が一変する。娼婦たちは廃業を余儀なくされ、ある者はトルコ風呂(現在の呼び名ソープランド)に転業、青線の創業者たちのほとんどは売春防止法とともに入れかわり、創業者のなかにはホテル業やトルコ業で成功した人もいたようだ。

2階からの景色。密集具合が分かろうか。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/320秒・F2.2・±0.0EV) / ISO 6400

1975年『復讐するは我にあり』で直木賞を受賞した佐木隆三が、その報をゴールデン街で受けとり、その夜からマスコミがゴールデン街で飲み歩いている佐木隆三の姿を競うように全国に報道したため、「新宿ゴールデン街」は一気に全国区となり、作家をはじめ文化人はゴールデン街で呑むものといった風潮が形成されていく。同じく、ゴールデン街に足繁く通っていた作家、中上健次が『岬』で芥川賞を受賞したのもこの年である。所謂ゴールデン街のイメージはこうして出来あがった。

バブル期の土地の急騰による地上げの荒波、その後のバブル崩壊による、景気後退からの客足の減少などの低迷期を経て、若いオーナーへの代替わりによる斬新で魅力的な新しい店が増えたことと、昔からある老舗の店との融合がうまくいって、何度目かの盛況に包まれているというのが、現在のゴールデン街の状況である。ざっと振り返るとこうなる。

五番街。ゴールデン街には東西にはしる通りが6本ある。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/200秒・F2.0・±0.0EV) / ISO 3200
店と店の間をはしっている細い路地。敷地内に何ヶ所かある。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/170秒・F2.0・±0.0EV) / ISO 6400
店と細い路地との関係性。このように店と店の間を縫っている。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/150秒・F2.0・±0.0EV) / ISO 6400

◇   ◇   ◇

ゴールデン街には時折訪れている。といっても年に数回ぐらい。馴染みの店があるというほどの常連ではない。初めて行ったのはいつのことだろう。10年、20年前? 思い出せない。おそらく誰かに連れて行ってもらったのだと思う。ひとりでいきなり行くにはハードルが高い。

昔はやれ、中上健次が、松田優作が、芸術・文学談義に花を咲かせ、酔っ払ってはしょっちゅう殴り合いをやっていた。というような話を聞いていた。裏はとっていないから真実は定かではない(笑)。そういう荒っぽい場所だと思っていた。郷土の誇りである、中上健次が通った場所ということから、個人的に憧れもあった。

店の造りは大概がカウンター席のみの、多くても10席、その程度の店舗が多いように思う。働いている人はひとりの場合が多い。店によってはオーナーが別にいて、日替わりで人が変わる。隣の席との距離が近いから、知らない者同士でも打ち解けやすい環境にある。そういう出会いも楽しい。

2階の個室。ぎゅっとひっついて呑む。それもまた楽し。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/320秒・F1.4・±0.0EV) / ISO 5000
ゴールデン街には、斬新な佇まいの店がいくつもある。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/60秒・F2.0・±0.0EV) / ISO 6400

2ヶ月ぶりのゴールデン街、まずは姪っ子が働く店に行こう。近頃は外国人観光客が多い。といっても彼らの大半は通りをうろついたり、スマホで写真を撮っているだけで、実際に店の中に入って呑んでいる人は多くない。

最近は本当に外国人観光客が多い。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/320秒・F1.4・-0.3EV) / ISO 3200
ドキュメンタリー映画「新宿タイガー」のポスター。ゴールデン街によく合う。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/320秒・F1.4・+0.3EV) / ISO 5000

姪っ子が働く店「CREMASTER」はゴールデン街北面の端の方にある。座席が6つと2階に団体客用の個室があるそうだ。

月曜日の夕方とあってまだゴールデン街も静か。店内に姪っ子とふたりきり。偶然にも明日が誕生日だと言うので、アルコールで乾杯。22歳になるのだそうだ。3歳の頃から知っているから妙なもんである。血は繋がっていない。正確にいうなら嫁の姪っこ。であるから義理の姪とでもいおうか。この日がほぼほぼ話すのが初めて。親戚とはいえ近所に住んでいるとかでもなければ会うのは年に1、2回。まして歳の離れた異性。彼女からすればただの親戚のおっさんだ。話すこともそんなにないだろう。ということで毎回挨拶程度の会話しかしたことがなかった。

まねき通り。ゴールデン街で唯一南北にはしる通り。この先に「CREMASTER」がある。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/125秒・F2.0・±0.0EV) / ISO 6400

それが今の状況はどうだ。ゴールデン街の呑み屋でふたりきり。一気にツーステージぐらい上がっている。ただ不思議と、緊張などはない。娘とふたりきり、対面で座っている方が緊張するのかもしれない。義理の姪っ子という距離感が程良いのだろう。姪っ子、ゆえちゃんもどうやら接客業は慣れているようだし。おっさんとの会話に慣れているということだ(笑)。大人になったものだなあ。今日のような、こういうナチュラルなシチュエーションを提供してくれるのもゴールデン街の魅力といえる。酒の力もある。酒は会話の潤滑油。

姪っ子の’ゆえ’。まともに話したのはこの日が初めてだったけど、カメラがあれば大丈夫。カメラは最強のコミュニケーションツール。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/160秒・F1.4・+0.7EV) / ISO 6400

18時を過ぎて他の客もやって来た。若い漫画家ふたり。聞けば20代という。ゴールデン街はほぼ初めて、もちろんこの店も、とのこと。「なんでこの店にしたの?」と聞くとまだ他があまりやっていなかったからとのこと。「俺、有名な漫画家さんと友達やでー」などとのたまってすぐに距離を縮める。でも写真はNGでと断られた。ビッグになる前からメディアに出ると何かと叩かれるのだそうだ。案外村社会なんだとびっくり。

ゴールデン街は昔から、作家、編集者、映画人、俳優、写真家、美術家などマスコミ人が多い場所とされてきた。近頃は変わってきているかと思っていたが、そういう伝統ある系譜は引き継がれているようである。

◇   ◇   ◇

翌日、新宿で昼間から呑み会があったので、3軒目はゴールデン街へと再び繰り出す。

姪っ子が働いていた店に行ってみる。この日はママが切り盛りしているということだったのでとりあえず挨拶しておこうと。昨夜と違って大盛況。びっしり埋まっている様子が外から見ても分かる。また後で来ることにして別の店にいく。ゴールデン街は行ったことがないので行きたいと、先の呑み会から付いてきた者が6名、私を含めて7名の大所帯。この人数はゴールデン街では相当な一団である。なんせ10席未満の店が多いのだから。7名は無粋ともいえる。実際は1〜3名ぐらいで呑むのが丁度いい。

ひとりでふらっと訪れても楽しいが、気心の知れた仲間と行けば尚更。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/15秒・F3.6・±0.0EV) / ISO 6400

運よく2階の個室なら空いてるよとのことで入れた店があった。2畳ぐらいの部屋に7人。この密着具合がゴールデン街ならでは。なかなか大の大人がぴったり体をくっつけあって呑むこともないからね。いくら仲が良いからといっても。ゴールデン街は2階ないし3階建ての棟が横に連なる木造長屋で、1階と2階が別の店であるパターンと、同じ店が2階分経営している場合の2パターンがある。概ね別の店である方が多い。先に説明した、元々は青線だったので、2階、3階があるという仕組みだ。

2時間ぐらいして、店を出る。そろそろ空いてるかと思ってママの店を見に行ったら、まだ混んでいた。別の店を探す。幸いにして美人の女性が働く店に入れた。今度は7人全員カウンターに座れた。彼女も含めて賑々しくみんなで話す。彼女は昼間は普通の仕事をしていて、週に何度かゴールデン街で働いているのだそうだ。お金のためというよりゴールデン街が好きだから、そしてこの街で働くのが、もう自分の日常になっているからとのことだった。何曜日働いているとか、何年ぐらい働いているとか具体的に聞いたのだけれど、忘れてしまった。そんなメモをとってまで聞くのは野暮だろう。ここはお酒と会話を楽しむところ。それでいいじゃないか。

ゴールデン街は素敵なお姉さんが働いている。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/75秒・F1.4・+0.7EV) / ISO 6400

今度は1時間ぐらいで店を出る。1、2杯呑んで、次の店にいく。それがゴールデン街での呑み方である。

ようやく3軒目にして、CREMASTERに入れた。この時点で23時過ぎ。我々も7名から4名へと縮小した。そろそろ電車もなくなる時間だ。自分がゆえの叔父であることを説明したら、ママは合点がいった。ぞろぞろとした一群がなんで何度も外から覗いているのかと怪訝に思っていたそうだ。ママは週4日働いていて、他の日は日替わりで別の女の子が働いている。この店を切り盛りして8年だそう。志帆ママはシンガーでもある。「人を雇わないで、全曜日自分で働いたら、金銭的には儲かるやん?」と聞いたら、「自分はお酒も飲んじゃうから無理。週4日ぐらいがちょうどいいのよ」との返事が帰ってきた。

写真を嫌がった志帆ママの横顔をぱちり。とっても良い表情をしている。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/80秒・F1.4・+1.0EV) / ISO 6400

ゴールデン街を訪れる客は20代、30代の独り身の若者、男女を問わず。あるいは60歳オーバーの貯えのある悠悠自適な年金暮らしの方などがメインだと思われる。家庭を持つ働き盛りの40代はあまりいない。ママとの会話でそういう話になった。40代は仕事と家庭に追われて、時間もお金もないのだろう。現に私も似たようなものだし(笑)

2週連続でCREMASTERで会ったおじさん。姪っ子の常連客となっているようである。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/60秒・F2.0・+0.3EV) / ISO 6400
姪っ子の友達。溌剌さが写真から溢れでている。若さってすごい。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/125秒・F1.4・+0.7EV) / ISO 6400
CREMASTERの姉妹店「ピンクロロ」。この日は若者で溢れていた。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/35秒・F4.0・+0.3EV) / ISO 6400

以前奄美大島を訪れた際、現地の酒造会社の人と呑んで話す機会が何度かあった。彼らが言うには日本酒や焼酎の需要が減っているのだそうだ。若者が呑まなくなったのが大きいとのこと。呑んだとしても、家呑みが主流になりつつ今、街で友人、知人とワイワイ呑むというのが今後ますます減少していくものと思われる。忘年会を廃止する企業が増えているとの話も聞く。昭和生まれの身としては、寂しい限りである。

上京した頃の90年代初頭、新宿の夜は人で溢れかえっていた。あの頃に比べると、随分減ったように思う。外国人観光客がいなかったらどうなっていたことだろう。そういう意味では、観光立国を目指す政府の方針は間違っていなかったことになる。私が育った70年代、80年代の日本には外国人、ハーフの子供なんてほとんどいなかった。街は変容していく。ゴールデン街を取り巻く環境も。でも、5年ぐらい前がピークだったかもしれないとはママの談。

◇   ◇   ◇

翌週もゴールデン街を訪れた。違う店に入った。一見して私より若い者たちが席を占めていた。私も輪に混ぜてもらう。やはり楽しい。昔みたく議論が熱くなりすぎて喧嘩になるなんてことはもうあまりないと思われる。現在のゴールデン街にそこまでのアングラ感はない。楽しく健全に呑んでいる印象。お酒は楽しい方がいいのだからそれでいい。

新宿タイガーに縁があるのか、2週間で2度会った。新宿の顔。もっと撮りたい。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/20秒・F5.6・±0.0EV) / ISO 6400
牛すじカレー。ゴールデン街では、お酒だけでなく食事を提供している店もある。とても美味しかった。酔っ払っていたので店名は覚えていない。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/70秒・F5.6・+0.3EV) / ISO 6400

所詮私はゴールデン街の新参者だから、ゴールデン街のなんたるかを知らない。絵になる渋い街、ゴールデン街を撮りたかっただけである。確かに、おそらく一番熱かった頃のゴールデン街とは違うのかもしれない。ただ、前出の『新宿ゴールデン街物語』の著者、渡辺英綱さんも2002年に刊行された新書版のあとがきでこう記してある。

〈たしかに、確実に60年代、70年代を代表とした「新宿文化」の「文学」「芸術」は終焉したのである。さて、稀にみる「新宿文化」は今後、「ゴールデン街」から生まれるかどうか、どうやら後継者は出来つつある。〉と。先見の明のある渡辺さんは、2002年の時点でこう仰っている。それから18年経過した2020年のゴールデン街、ほとんどの店が営業をしていて、明かりの灯ったその街並みはとても魅力的である。私と一緒に初めて訪れた彼らもとてもゴールデン街を気に入っていた。私は今後もゴールデン街を訪れるだろう。姪っ子も働いているしね。

ただの電柱もゴールデン街では味わい深く見える。
X-T3 / XF23mmF2 R WR / 23mm(35mm相当) / 絞り優先AE(1/200秒・F2.0・±0.0EV) / ISO 4000

つい先日ゴールデン街のことを知ろうと読んだ『ゴールデン街物語』、ゴールデン街とその背景を知るにはとても良い本です。‘第6章 呑み屋の文化’という章で、著者であり、「ナベサン」という店の経営者でもあった渡辺さんが、ゴールデン街で出会った作家、詩人、評論家、映画、演劇関係者などの名前を列挙してある。そこに[美術]の括りで、’中西夏之’の名前を見つけた。そうかお義父さんも通ったのか。なんのことはない姪っ子がゴールデン街に引き寄せられたのは自然なことなのだと納得した。姪っ子は小さい時から、「案外お爺ちゃんに一番似ているのはゆえかもしれないねー」と言われ続けてきたのだから。その話を本人にしてみたら「えっそうなの?」と大して気にとめていない様子。そういうとこなんだよ(笑)

自由奔放な姪っ子。おもろいやつである。
X-Pro2 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/200秒・F1.4・-0.3EV) / ISO 3200

私がいた頃に比べ、ニューヨークも綺麗になったようだし、大阪の飛田新地でさえ、観光地化されつつあるようである。うさんくさい場所が都市から消えつつある。治安の面からみると、良いことなのだが、得てして文化とはそういう場所から生まれてきたという側面もある。すべてを是か否かのどちらかに切り捨てたり、白日の下に晒すのは、逆に破廉恥で、不健全な気もする。と思うのは昭和生まれの写真家だからだろうか。

オリンピック後の東京はどうなっているのだろう?

個人的には、人間は清濁併せ呑むぐらいの度量があって丁度いいんじゃないかと思っている。私もそうありたいと。私のような人間にも生きやすい街、東京。よく冷たい街だとも称されるが、それは他者を尊重するからであって、決して“ひと”がいないわけではない。そんな慎み深い、オトナの雑多な街が好きである。これからもそれは変わらないでいてもらいたい。それを象徴するかのような最たる街、ゴールデン街にて思う。

夜明け前の東京。今日もこの街で生きていく。
X-T3 / XF55-200mmF3.5-4.8 R LM OIS / 200mm(300mm相当) / 絞り優先AE(1/1,000秒・F6.4・±0.0EV) / ISO 1600

井賀孝

1970年和歌山生まれ。写真家。ブラジリアン柔術黒帯。主な著書に富士山写真集『不二之山』(亜紀書房)、修験道の世界に身を投じて描いた『山をはしる』(亜紀書房)などがある。最新作は『VALE TUDO』格闘大国ブラジル写真紀行(竹書房)。