松本典子写真展「野兎の眼」

――写真展リアルタイムレポート

 この主人公は奈良県奥吉野に住む女性だ。松本さんは十数年前、彼女が14歳の時から撮り続けてきた。村の秋祭りで出会い、思わず撮りたい衝動に駆られたという。

「背が高く、目立っていたけど、何より生きている生命力があって、私の気持ちにすっと入ってくるものがありました」

 彼女の瞳と表情からは、日々、出会うものへの喜びと期待感、そして微かな畏れが感じられる。松本さんはそんな彼女と、折々の光景を等価に切り取って、この物語を編みあげた。

松本さんは1970年、東京生まれ。昨年、写真絵本『うさぎ うさぎ こんにちは』(福音館書店刊)も出版会場は四谷四丁目の交差点に面したビルの5階にある

  • 名称:松本典子写真展「野兎の眼」
  • 会場:CROSSROAD GALLERY
  • 住所:新宿区四谷4-28-16 吉岡ビル5階
  • 会期:2012年3月13日〜25日
  • 時間:12時〜20時(最終日は17時まで)
  • 休館:月曜

偶然が重なり出会った

 松本さんは大学を卒業し、一度就職したが、体調を崩して、1年ほど、奈良県の奥吉野で療養を兼ねて生活していた。

「その頃、両親が移り住んでいたんです。大学では抽象画を描いていましたが、ここで生活し始めてから、もう一度、美術が学びたくなりました」

 大阪にあったインターメディウム研究所に通い、そこで写真に出会った。写真家の畠山直哉氏と港千尋氏が講師で、写真史を教わり、課題に沿って撮った写真の講評を受けた。

「ある時の課題は、宇宙に向けた探査機に、人類からのメッセージとなる写真を乗せます。その写真を撮ってきて下さいというものだった気がします」

 父から譲り受けたニコンFM2で、身近な光景を撮り始めた。そんな時、彼女に出会ったのだ。

「小さな村で、私がどこの誰がは皆んなが知ってくれていました。移住してきた松本さんちの娘だよって。それと地縁を大切にする土地柄だから、できたことだと思います」

 最初に撮った1枚は、その祭の時だ。彼女は一緒にいた友だちとピースサインを出して写っている。

「ただ、次からはもうこちらのレンズの中をじっと見詰め始めていました」


彼女の発する何かを受け止める

 松本さんが村にいた時は、時折、連絡をとって、会った。

「彼女の両親が協力的で、家族と一緒に熊野に車で出かけたり、初詣に誘ってくれたりしました。けれど、積極的に撮るために会う感じではありませんでした」

 友だち同士が遊ぶように、その日、気が向いた場所へ行く。

「彼女はプロのモデルではありませんが、本能的に働きかけてくる時があります。その時、きちんと受け止めてシャッターを押す。キャッチボールみたいなものですね」

 撮り始めてから今まで、その撮影のスタンスは変わらない。彼女が投げかけてくれるものを受け止める。その繰り返しだ。

「最初から、彼女独特の『生きている!』という球を投げて来ていたように思えます」

 彼女が中3の時、奥吉野から東京まで2人で夜行鈍行列車に乗って旅をした。東京に着き、仮眠をして目覚めた時に撮影したのが上の1枚だ。これは写真集『野兎の眼』の表紙にも使っている。

「寝起きの表情で、もちろん何も演出していません。まっすぐ、まるのままの様子を撮らせてくれたことは、今では奇跡のように思えます」

 それでも最初の頃、一度だけ、松本さんが持っていた洋服を着てもらったことがあるそうだ。

「こちらの世界をかぶせるようで違うなと思いました。そうすることで、お互い息苦しさを感じたので、それ以来、干渉することはやめました」


言葉で表現できない何かがある

 被写体を見つけ、シャッターを押す瞬間について、松本さんは面白い表現をしている。

 自分は空っぽの壺のようなもので、そこに何かがポンと入ってくる。その時、シャッターを押すんです。

「写真の技術的な事は学んでいないので、ほかの人がどうかは分かりませんが、私は写真ってそういうものだと思ってきました」

 彼女を撮っている時や、それ以外の時でも、彼女から発せられるのと同じ何かを周囲の光景から感じることがある。

「生あるものと出会った時、それをそのまま表に出したい。言葉では言い表し切れないものがあるから、写真を使うことになったんでしょうね」

 これまでに撮影したカット数は数えきれない。大きな引き出し2本分にネガがぎっしり詰まっている。現像時、CDに焼いて貰ったデータをiPhotoに入れる。流れに沿って整理し、気になったものをピックアップしていく。

 選んだ写真はポストカードサイズに出力し直し、プリントの束を作る。それを床の上に並べ、順番を決めて行く。

「カードを手でめくり、操る。最終的には身体を動かしながら、決めていきます」


地縁の力が働く

 この作品は最初、1998年3月のひとつぼ展に応募した。2度の入選を経て、1999年10月の第14回展でグランプリを獲得している。その後、2009年11月に大阪のカロ ブックショップ アンド カフェで個展を開いた。

「店主がインターメディウム研究所の同級生で、撮り始めた頃から見守っていてくれました。そろそろどう? って声をかけられ、そこから少しずつ動き始めました」

 撮りためた作品を絞り込んで91点を選んだ。すべてを会場には展示できないので、ファイルにまとめた。形ができると、やはりに写真集にと思ったが、そこから先にはなかなか話は進まずにいた。

「私は当時根津に住んでいたのですが、街で一箱古本市という催しが行なわれることになりました。その一環で、実行委員会企画として千駄木にあるブックス&カフェ・ブーザンゴさんで私のパネル展を開いてくださることになり、そこに地元の出版社である羽鳥書店の社長さんがいらして下さって、後日ファイルを持参、その場で出版が決まりました。いつも地縁的な力が働いているんです」


新しい物語の予感も

 松本さんが東京に住み始めてからは、年に数回、帰省した時に撮影してきた。それでも一時、疎遠になった時期もある。

「彼女が私を必要としなくなる時が来るかもしれない。ずっとそう思っていたし、それはそれでしょうがないと考えていました」

 彼女が結婚し、出産。そして奥吉野が昨年、台風12号で大きな被害を受けた。

「村や親の状況をたずねたりすることが増えました。ありがたいことに携帯メールというものができたので、そういうことがしやすくなりましたね」

 さらに彼女に子どもが生まれたことで、成長記録を撮る専属写真係のお姉さんという新しい地位を獲得したそうだ。

「私より先に彼女が出産を経験したので、これまでとは違う新しい関係が生まれる予感がしています」

 そういう風にして撮られてきた松本さんの写真には、日常の中に潜むかけがえのない一瞬が封じ込められている。



2012/3/15 00:00