山岸伸の「写真のキモチ」
第64回:残すことを考える
長いプロカメラマン生活で残るモノ
2024年2月16日 18:00
長くプロカメラマンとして第一線で活躍している山岸さんだからこそ、比例して手元に残るものは多い。カメラ、写真集などの制作物、ポジフィルム、データ、テストプリントや写真展で展示された作品たちなど、山岸さんはそれらをどう扱い残していくのか。(聞き手・文:近井沙妃)
仕事の相棒としてのカメラ
キヤノンのF-1、このカメラを手にしてからのフィルム時代はキヤノン、それとペンタックスや富士フイルムのカメラが主力で仕事をしてきた。キヤノンは35mm、ペンタックスは645、富士フイルムは68と用途に分けて使い分ける時代が私にとって楽しかった。
たくさんのカメラを使い分けたが、1番最初に手にしたこのF-1は今でも大事にとってある。
このセッティング、キヤノンのカメラに300mm F2.8 黒玉は私がグラビアを撮り始めた絶好調の頃に最も使った組み合わせ。ただこのレンズはよく羽根が壊れ、キヤノンの修理に何度も何度も出したお騒がせレンズだった。それでもこのレンズの明るさが好きでアイドルや写真集を数多く撮ってきた。
そこからキヤノンは安定したnew F-1やデジタルに変わるまでも撮りに撮った。ここで紹介しているものは決して趣味で集めたわけではなく購入して仕事で使ったものだ。
今回は私が持っているカメラを細かくお見せするのではなく、こういうカメラで仕事をしてきたというのを皆さんに知っていただきたいという気持ちで出してみた。
コレクションとしてのカメラ
仕事で使用していたもの以外にいつの間にか買い集めていたものもある。当時、買い集めたカメラを可愛がってもらったキヤノンのプロサポートに持っていきメンテナンスなどをして今でも持っている。
ここにスケルトンのものが2台あるけど、これはニューヨークで手に入れたもの。ゴールドのものはキヤノンのロッカーに入っていたのをいただいたんだ。誰かがきっとこんなカメラを作ったらいいかなと思ったんだろうね(笑)。
まだまだあるのでいつか全部まとめてコレクションとして皆さんに見ていただきたいと思う。
表現への挑戦、ピクトログラフィー
持田香織さんと1999年にイタリアのサルデーニャ島とローマで撮影した写真集「buffo」。buffo(ブッフォ)とはイタリア語で“お気楽”という意味。私が撮った写真集でも著作権や肖像権の関係でなかなか中身をお見せすることができず、今回このように一部トリミングをして載せる形とした。
初めて行くサルデーニャ島という地中海に浮かぶ大きなイタリアの島。美しくヨーロッパの避暑地としても有名なこの島で撮影ができたことは私の人生でもまだ1度しかない。もう1度行きたいところを聞かれたらベスト3に入る島だと思う。
何故この写真集の話をしたかというと、私が出した写真集の中で唯一富士フイルムのピクトログラフィーを用いて表現した1冊だからだ。ピクトログラフィーは当時のコピー機くらいの大きさをしたレーザー露光熱源増転写方式を採用する業務向けの銀塩プリンター。専用のトナーと受像紙を用いるシステムでその高画質から多くの写真店などに導入されていた。私はこれを富士フイルムから2台購入していたが、当時は1台何百万円という価格で、さらに月1程度メンテナンスなどをしなければいけなかったような気がする。
持田香織さんの写真集はピクトログラフィーでプリントしたものをデータにし、それを印刷して写真集にしたんだ。今思い返してもポジをそのまま印刷原稿にせず、このプリンターを用いたことが私にとってはとても画期的で新しい挑戦だったと思う。カメラや機械の進化と同時に制作物や雰囲気に合った表現を模索していたし、ピクトログラフィーでプリントされたものは非常に柔らかくどこか新鮮な印象でこの写真集にぴったりだった。
残念ながらこのプリンターは途中で製造中止、メンテナンスもできなくなって富士フイルムさんが引き取る形になりとても残念だった。当時のアシスタントはこのプリンターで何万枚と焼いたんじゃないかな。今はキヤノンのカラープリンターを2台使用しているけれど、これも毎月ヨドバシカメラへ用紙を買いに行かなければいけないくらいは使っている。
やはりデータをただ入稿するより1度プリントしてみた方が自分の写真のイメージが掴める。そんな感じで今でも写真を発表するときはテストプリントをしてからカラーラボに出しているのだが、とにかくその数が多い。極めて本番に近いクオリティのテストプリントをしているつもりだが、ここ10年それ以上と繰り返しているとどうしても事務所はテストプリントの山になる。そして結局ある程度溜まると断捨離になってしまう。
どう扱い残していくか
これからはテストプリントをすることすらどうしていくか考えなくては。資源的な部分や金銭的な部分を含めて、どこまでが必要でどこからが無駄なのか。どのように無駄を省いていくかをプロのカメラマンとして考えなければいけないと思う。
今も大きな写真展を2か所で同時開催しているが、会期終了後に展示した写真をどうするか。自宅にはとても持っていけないし、トイレに1枚置けばトイレがいっぱいになってしまう(笑)。
カメラを新しくするたびに下取りなどをしていないので使ったものがそのまま残る。何台かは卒業したアシスタントにあげたこともあるが、基本的には残し増えていく。写真展をする度に展示した写真が行き場所なく増えていく。過去の大切なポジや写真集は千葉のビーチハウスの押し入れにまとめているが、それももういっぱい。今日お見せしたカメラも他を合わせると何百台とあるが断捨離するわけにもいかず、販売するわけにもいかず、これを持ったまま私がこの世からいなくなるようなことを考えるとちょっとなんだか気が遠くなる。
いつかミュージアムでも出来ればいいが、そんな有名なカメラマンにはなれそうもない。今まで撮影した400冊の写真集、写真集になったデータ、仕事になったデータ、使ったポジフィルム、使用したカメラとコレクション、展示された作品たち。この行き先をピシッと決めなければいけないというのがある意味今年のテーマであり、長くやってきたカメラマンの仕事だと思う。