写真を巡る、今日の読書

第66回:私写真――個人的な経験や感情を表すスナップ写真

写真家 大和田良が、写真にまつわる書籍を紹介する本連載。写真集、小説、エッセイ、写真論から、一見写真と関係が無さそうな雑学系まで、隔週で3冊ずつピックアップします。

個人的な経験や感情を表すスナップ写真

暑い夏は、まだまだ続きそうです。こう暑いとなかなか外にスナップへ、という気にもなりませんが、それでも毎日何か1枚くらいはと思い、カメラを持ち歩いています。写真による日記のようなものですが、何か重要なものを記録しようということでもありませんし、確たるテーマがあるわけでもありませんから、その時々の感覚や感情そのままに目の前のものを写し留めるようにしています。

日本の写真史において、そのような個人的な経験や視点を元にしたスナップ写真は、「私写真」と呼ばれることがあります。文学で言うところの「私小説」と似たようなものだと言っても良いでしょう。代表的な写真家と作品には、荒木経惟の『センチメンタルな旅 冬の旅』や深瀬昌久の『洋子』などが挙げられます。

いずれも妻との私的な生活を綴った作品です。少し演出したような写真から、何気ない普段の仕草まで、とりとめのない日常の変化が、レンズを通して写されたものです。

とくに荒木の『センチメンタルな旅 冬の旅』は「私写真」の傑作として評価が高く、1971年の新婚旅行を写した「センチメンタルな旅」と、その20年後の妻の闘病生活から葬儀までを写した「冬の旅」の構成には、幸福感と喪失感が私的な感情や経験によって写真化されており、その後の写真に多大な影響を与えたことで知られています。

その後の作家としても、佐内正史やヒロミックス、高橋恭司などを「私写真」という観点から眺めていくと、個人的な経験や感情を表すスナップ写真には、時に豊かな写真表現が宿ることが良くわかるのではないでしょうか。今日は、そんな「私写真」を元に、いくつかの作品を紹介してみたいと思います。

『阿写羅日記 写狂老人A日記』荒木経惟 著(ワイズ出版/2019年)

1冊目は、『阿写羅日記 写狂老人A日記』。2017年に「写狂老人A」と題した大規模な展覧会が東京オペラシティアートギャラリーで開催され、そのカタログとして同タイトルの公式図録が刊行されましたが、本書はその後に刊行された1冊です。

展覧会では、過去作品も含め、生と死というテーマが多様な構成によって展開されていましたが、本書はより日常の淡々とした時の流れが編まれたものであるように感じられます。

テキストや解説も付けられず、モノクロームの写真だけが収められています。俳優やアーティストのポートレート、ヌードが挟み込まれながらも、身近な風景やその日見た何かを等価に並置していく構成からは、その日その時の荒木の生活を見ることができるようです。

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『民謡山河』須田一政 著(冬青社/2007年)

2冊目は、『民謡山河』。須田一政は『風姿花伝』や『角の煙草屋までの旅』などの代表作で知られ、日常に潜む非現実的でビビッドな瞬間を捉えた作品群により、国内外で高く評価される作家です。

特徴的な捉え方やプリントのトーンからは、いわゆる「私写真」というジャンルとは少し異なった感覚を受けると思いますし、本書のモチーフとなっている日本全国の民謡や祭りという題材もそこからは少し離れたもののように思えるかもしれませんが、実際に眺めてみると、そこに写されている風景やポートレート、スナップ写真からは、須田の経験と個人的な視点が強く感じられます。

ウィージーやマーティン・パーも用いた正面からの1灯ストロボによる明瞭なイメージと、「黒焼き」と呼ばれた深いシャドウが描き出す1枚1枚の写真は、タブローのようなある種完成された構成が再現されています。

しかしながら1冊を通してみると、私には「私写真」的な旅日記の様相が感じ取れるように思います。ドキュメントを志す方にも、スナップを標榜する方にも、また「私写真」に寄り添ってみようと思う方にも1度は眺めてみてほしい写真集です。

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『雨滴は続く』西村賢太 著(文藝春秋/2024年)

3冊目は、写真ではなく「私小説」の分野から、西村賢太の『雨滴は続く』を取り上げたいと思います。本作は、文藝春秋での連載をまとめたものですが、作者逝去により未完となっている作品です。

私が西村賢太の作品に初めて触れたのは、第144回芥川賞受賞作となった『苦役列車』でしたが、その1冊を読んでからというもの、すっかりその文体とスタイルに惹かれてしまい、それまでの著作を全て集めて読み耽ったことを思い出します。読んだことのある方はご存知だと思いますが、自らの破滅的で刹那的な日々を赤裸々にさらけだした現代の「私小説家」を代表するひとりです。

本書もまた、芥川賞受賞直前までの日々を描いたものですが、2人の女性が重要な登場人物となって進められています。いつも通りというか、一時は所帯を持つことを夢想した女性に「イザとなれば、かように自らを安売りできるらしき短絡の質である以上、向後も窮すれば安直にその道に流れるであろうことは想像に難く無い」(本書単行本より引用)などと暴言を言い放つ様は何とも身勝手なのですが、その負の感情と、流麗な文体の鮮やかなコントラストが、ただ読むことの喜びと、まるで落語のような業の肯定を感じさせ、否応なく惹き込まれていくのは、きっと私だけではないと思います。

私の手元にあるものは単行本なのですが、この記事でリンクした書籍は今年刊行された文庫版になっています。こちらには特別収録として、本作の重要人物である葛山久子のモデルとなっている、実在の新聞記者が匿名で寄稿した原稿が掲載されています。私もまだ読んでいないのですが、女性側から見た西村像は一体どんなものだったのか、気になるので手に入れたいと思います。

大和田良

(おおわだりょう):1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスエリゼ美術館による「ReGeneration.50Photographers of Tomorrow」に選出され、以降国内外で作品を多数発表。2011年日本写真協会新人賞受賞。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)、『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)等。最新刊に『Behind the Mask』(2023年/スローガン)。東京工芸大学芸術学部准教授。