写真を巡る、今日の読書
第19回:情景描写や目の前の光景、経験の描き方が秀逸。ジャック・ロンドンの作品に触れる
2022年11月2日 12:41
写真家 大和田良が、写真にまつわる書籍を紹介する本連載。写真集、小説、エッセイ、写真論から、一見写真と関係が無さそうな雑学系まで、隔週で3冊ずつピックアップします。
情景描写や目の前の光景、経験の描き方が秀逸な作家
写真における新たなイメージや向き合い方を探るには、私の場合写真以外の芸術からその方法を着想することも多くあります。そのひとつに文学があり、この連載でも様々な作品を紹介してきましたが、今回は特に情景描写や目の前の光景、経験の描き方が秀逸な作家として、ジャック・ロンドンに触れてみたいと思います。
1876年にサンフランシスコで生まれ、1916年に40歳で他界するまでの間、実に多くの著作を残した作家です。犬の視点から描かれた「野生の呼び声」や、ゴールドラッシュ時代の原野を舞台にオオカミの一生を描いた「白い牙」を代表作に、犬を中心とした動物文学の傑作を残した文学者として良く知られています。しかし実際には、貧困や放浪、ボクシング、SF、民話などロンドンが扱ったテーマは非常に広範で、創作的な小説だけでなく優れたルポルタージュも多く残しています。
絶版になっているため今回はセレクトから外した「どん底の人々」などは、英国の貧しい地域で実際に生活した経験を元に書かれており、自身が撮影した写真も掲載しつつ、客観的かつ豊かな観察眼でその様子を記しています。初めに読んだときには、その視点と姿勢に随分驚かされ、一気に読み切ったことを思い出します。その他にもボクシングに関する短編を集めた小説集など、紹介したい本はたくさんあるのですが、今回は現時点において新刊で手に入る、入手が容易な本を紹介したいと思います。
『火を熾す』ジャック・ロンドン 著(スイッチ・パブリッシング・2008年)
一冊目は、「火を熾す」です。柴田元幸の訳による、表題の作品を含めた短編集になります。私がはじめにジャック・ロンドンを知ったのも、この本がきっかけでした。当時は柴田元幸訳のアメリカ文学を片端から読んでみようと試みていた時期で、そのうちのひとつがこの本だったわけです。
私が特に印象的だったのが、この本に掲載されている1908年版の「火を熾す」です。採鉱地へ向けて極寒の雪原を犬と進み、命の灯火を繋ぐようにして、必死にいくつかのポイントで火を熾す様子を描いた作品なのですが、その切実さと寒さの描写がこれほどヒリヒリと感じられる文章というのは、稀有なものではないかと思います。
ちなみに、同じ出版社から出されている短編集に、ロンドンの代表作である「野性の呼び声」も収録した「犬物語」という一冊がありますが、こちらには犬が出てこない1902年版の「火を熾す」が掲載されています。犬の存在の有無が、どのように情景描写の違いを生むのか比較してみると、大変興味深く読むことができます。
◇
『マーティン・イーデン』ジャック・ロンドン 著(白水社・2022年)
二冊目は、「マーティン・イーデン」。文学に目覚め、小説家を志すものの、誰にも認められず困窮し絶望していきながら、最終的に成功を収めていくその過程が力強く記された長編です。ジャック・ロンドンの自伝的小説でもあり、自らの経験を元にした熱量がその筆から感じられるのではないかと思います。
また、イタリアを舞台にして映画化もされており、邦題では「マーティン・エデン」として2020年に公開され、話題となりました。映画が好きな方は、そちらを先に見るというのも良いかもしれません。
◇
『パリ・ロンドン放浪記』ジョージ・オーウェル 著(岩波文庫・1989年)
三冊目の「パリ・ロンドン放浪記」は、「1984年」や「動物農場」を代表作に持つジョージ・オーウェルのルポルタージュ作品です。ロンドンのルポルタージュに「どん底の人々」がありますが、その作品に刺激を受けたオーウェルが、パリの貧民街に暮らしながら描いたデビュー作です。
その日、その週を生き抜くために持ち物を質に入れ、職を求め、皿洗いをしながらどうにか日々を暮らしていく、その連続が描かれているのですが、情景や会話の描き方には多くのユーモアや感情が散りばめられ、熱量のある躍動感によって日常がスピーディーに展開していきます。古書店などでロンドンの「どん底の人々」を見つける機会があれば、是非少し時代の違うスラムの様子を比較してみてほしいと思います。
今回紹介した三冊は、どれも描写や観察眼が豊かに感じられる作品ではないかと思います。想像のなかで文章を写真に置き換えてみると、どのような視点で目の前の光景を切り取れば良いのか、何に注目する必要があるのかが、非常に参考になるのではないでしょうか。