特集
写真家 山内悠、モンゴル最西端の氷河を撮りに行く
地球そのままの風景と、自然に寄り添い生きる遊牧民たち
2016年12月1日 08:00
7泊8日にもおよぶ大規模な撮影イベント、「写真家・山内悠と行く。西モンゴル・フォトツアー」を無事終えて帰国された山内悠さんに、撮影旅行記を執筆いただきました。
西モンゴルの自然や人々を通じて、山内さんが感じたものとは、いったい何でしょう。想像を絶する風景や遊牧民の暮らしを捉えた写真の数々とともに、西モンゴルの世界をお楽しみください。(編集部)
一路、西へ
飛行機を降りると、まず空気が違った。
ピタッと動きが無く、そして澄みきって、乾いている。それが全身を包み込んでいた。
日本とは明らかに違うこの空気が、一気に遠いところまでやって来たことを実感させてくれる。
僕たちは昨日日本を出発し、ウランバートルに到着した。そして、今朝早くにウランバートルからプロペラの小型機で3時間かけて移動し、モンゴル最西端の街ウルギーへとやってきた。飛行機からなかなか荷物が降りてこないこともあり、そのゆっくりとした時間の流れに、"感覚の穴"が開いていくような感じがした。
旅が始まったのだ。
どれくらい時間が経ったのか、でもしばらくして荷物が手元にやってきた。今回のツアーをコーディネートしてくれるガイドがやってきて、それらを運んでくれた。そして、日本製のジープ2台とロシア製のワゴン1台に荷物を積み込み、僕らに声をかける。
「さあ、みんな乗って。出発しよう!」
「今から西へ大体120キロくらい走るよ。でも、道が良くないから夕方くらいに着く予定だ」
空港を出てすぐの街は乾燥していて砂っぽく、しかし彩りがカラフルだった。
このウルギーという街にはカザフ人という民族が住んでいる。彼らはカザフスタンから移住してきた民族である。カザフ語を話し、イスラム教を信仰している。
街に住む人々は我々と変わらない生活をしているが、街を出ると彼らの遊牧生活を見ることができるという。遊牧民の中には鷹を飼いならし、狩りに使用する伝統的な鷹匠のスタイルを守る人もいるそうだ。この旅では、そんな彼らを訪ねる予定もあった。
今回の旅はモンゴルの最西端、アルタイ山脈の氷河を目指し、カザフ民族の生活を訪ねることが大きな目的だ。
街の中の道をまっすぐ走れば、すぐにアスファルトがなくなり、草原になった。車は果てしなく続く轍の上を激しく揺れながら進んでゆく。
草原の中には時折、ゲルや土で造ったカザフ人の家屋が点在し、ヤギや羊、ラクダなどを遊牧している様子が見られた。
いつしか短い草が生えている草原は荒野へと変わる。地面には大きな石が転がり、岩肌が見えてきた。この辺りは太古の昔、海の底だったそうだ。
結構深い川の中にもズボズボと入っていき、悪路を進む。途中、タイヤがパンクするが、そんなことは当たり前なのか、サクッと修理して、また走り出した。
景色はどんどん山間部の様相を呈して、アルタイ山脈の山々を横目に、山と山の谷間のアップダウンを進んでゆく。巨大な岩がそこら中に転がっており、ふと、どこかの惑星を進んでいるかのような感覚に陥った。
その谷間の中に、1軒のゲルが建っていた。
先導するワゴンがそこで停まり、今日はここでキャンプだと告げられた。僕たちはテントを張り、休む準備をしたが、午後7時だというのにまだ辺りは明るい。聞くところによれば日没は午後9時頃だというから、まだ夕方だというわけだ。このとき日本を出てからまだ30時間しか経っていないことを思い出して、周囲の様相の変わりように驚いたものだ。
ゲルに住む遊牧民に挨拶をすると、彼らは僕たちをゲルの中に招待してくれた。
ゲルの中は意外に広く、真ん中に薪ストーブがあり、鍋にはミルクが入っていた。入り口の両側には水場と台所があり、後はベッドが壁に沿って並んでいる。
ゲルの主が「アイラグ」という馬乳酒と「ウルム」という生クリームでもてなしてくれた。アイラグは酸っぱく発酵しており、舌がピリピリした。どうも僕の口には合わなかったが、感謝してテントに戻り、皆で夕食を摂って、その日は休んだ。
山道を抜け、ボターニン氷河に到達
翌日、ここから先は山道だった。急な斜面をゆっくりと進む。辺りに生える草が紅葉していることで、標高が高くなってきているのが判った。
目の前の丘の稜線に、白い雪を被せた山々の頂が顔を出した。この山々がモンゴルの最西端であり、その向こうはロシアと中国なのだという。
更に進めば目の前に池が現れ、その山々の全貌が見え始める。少しずつだが近づいていっているのを実感した。途中、オボーという伝統的な祈りの場所が現れ、そこは小高い丘になっていた。
丘の上に立つと、とうとう向こうに山の全貌が現れた。山の谷間からは流れ広がるように真っ白な氷の川がある。ボターニン氷河だ。
時間はまだ早く、お昼だ。今日はここでキャンプをするというので、僕たちはこの氷河の傍らにテントを張り、昼食を摂った後、周辺を散策した。
氷河に近づけば近づくほど、その巨大さを感じる。氷の下を水が流れているのだろう、ゴーゴーともの凄い音だった。遠くから見ている時は美しかったが、ここに来てみるとそれは巨大なエネルギーであり、この星が音をたてて動いていることを実感させられる。そしてそのとき、それに飲み込まれそうな恐怖感さえ感じていた。
この夜、僕たちの頭上には無限の星空、宇宙があった。
鷹匠・カザフ族に会いに行く
皆が"異世界に連れていかれた"感のあるボターニン氷河を後にして、僕たちは氷河から流れるホワイト川沿いに南下を続けていた(このホワイト川は流れる水が本当に白く濁っていた)。
途中、遊牧民のゲルに1泊させてもらい、カザフ族を探したのだが、なかなか見つからない。道中、ゲルをトラックやラクダで運ぶ光景が時折見えたので、どうもこの時期は移動する時期にあるのだろう。何件か訪ねたが、いずれも「明日移動するから」と断られた。
遊牧民は年に4回、移動して生活の場所を変える。家畜が生きやすい環境へ移動するのだ。飼っているのは主に、馬、牛、羊、ヤギ。場所によっては牛が生息できない山間の場所では、代替としてヤクを、水のない乾燥した砂漠地帯ではラクダを飼っていた。
それらは彼らの生活の全てであり、衣類、ゲルを包むフェルトや皮、移動する手段、飲み物、食べ物などになる。遊牧民は1家族につき各動物をそれぞれ50〜100頭ほど飼っており、食する数は年間羊7頭、牛1頭、馬1頭ほどだ。家畜は草原の草を食べて生きており、遊牧民はその家畜が生きていけるように移動している。そしてこれが半永久的に続いているのである。
それから僕たちは結構な距離を移動し、やがて、ガイドが昔から知っているというカザフ人のお宅へ伺えることになった。
到着すると、いきなりゲルの片隅に鷹がいた。普通に犬が飼われているような感じで、鷹が縛られて立っているのだ。ゲルの中に招待されたが、中はこれまで出会ってきた遊牧民の暮らしとなんら変わりはなかった。
彼らは他の遊牧民と同じように、家畜を飼い、移動している。そして、家畜の害になるオオカミを鷹で捕まえるというのだ。鷹の顔にはお面が被せられ、普段は何も見えないようにしている。
獲物が現れるとそのお面を外し、向かわせる。獲物を押させ込ませ、その最中に彼らが止めを刺すという。今回はその現場を見るチャンスはなかったが、この生活の在り方に触れることができただけでも満足だった。
そして、元の世界へ
荒野からの帰路、景色は荒れ地から草原になり、遊牧民のゲルが多く見えるようになってきた。道がアスファルトになって、車の揺れがピタッと止まる。そのときには体が縦横に揺れているのが当たり前になっていたので、揺れないのがむしろ変な感覚だった。
この旅の間は、携帯電話の電波どころか、トイレも無かった。この日宿泊するホテルに着くと、チェックインしてシャワーを浴びた。Wi-Fiにスマートフォンを繋げて、Facebookを見る。僕たちは一気に、元の世界へ戻された。
夕食時、カザフ人の伝統的な音楽の演奏を聴きながら、今回の旅を回想する。
地球の"根源"を感じさせるような場所と、そこで暮らす人々。この旅で見た光景は多分、これまでずっと変わらずそこに在った景色に違いない。
初めて訪れた時はこの街の空気に驚いたものだが、遊牧民たちの生活を目の当たりにし、体験した今、街での暮らしは日本での僕らの暮らしとさほど変わりはないように感じた。そして、この暮らしのすぐ横には、遊牧民たちのあの暮らしが在る。
ふと、ある遊牧民が語っていた言葉を思い出した。
「私たちは今、他の世界のすべての情報を知っている。それでいて、この暮らしを選んでいるのだよ」
遊牧民は、家畜からとれた毛皮や肉を売れば現金収入を得ることができる。ソーラー発電を行ない、パラボラアンテナを用いて、テレビや携帯電話を使用する人もいた。
そうして情報を得て、街に行きたい人は街に働きに行く。彼らは全部を知っていて、そのうえで自らこの生活を選んでいるのだ。
彼らの話で特に印象的だったのは、何気なく放たれた「ドルや為替、経済がどうなろうと自分たちには関係ない」という一言だ。車に乗っている遊牧民も、もしガソリンがなくなれば馬に乗ればいい、と言う。彼らはこの地球で生きていける環境や、そのための複数の手段を把握しながら、同時に、これからも続いていくであろう営みの中にある。
今回の旅でそれを肌で感じた僕にとって、こうした意識の在り方は腑に落ちるものがあった。
僕たちは翌朝、帰国するために街を出て、ウランバートルへ向かった。
急速に近代化するウランバートルの景色はやがて成田空港に変わる。レインボーブリッジを渡り、見慣れた東京の街に入る。旅が終わったのだ。
今回の旅路は、文明世界から原野に向かい、また最先端の文明世界へ帰るという道程を経ている。さしずめ人類の進化を一気に辿るような心地がした。
僕たちはいま、遠い祖先から脈々と続いていた営みのほとんどを捨てて、この社会を形成している。でも、僕たちが捨ててしまった営みの替わりに成立している現代の営みは、一体いつまで続くのだろうか?