特別企画
蘇る伝説のロシアレンズ…Lomography「New Jupiter-3+」
見よ、オリジナルに迫るこのボケ味とにじみを!
Reported by 秋山薫(2016/2/9 07:00)
すごいぞ、Lomography+ZENIT!
先ごろ、筆者はLomographyとロシアの光学機械メーカーZENIT(S.A.名称クラスノゴールスク光学機械工場。略称KMZ)によるコラボレーションとして登場したNew Russar +20mm F5.6(ニュー・ルサール・プラス)レンズについて本誌に寄稿した。かつてのロシアカメラブームを知っていた者として、あるいはロシア文化研究が学生時代の専攻だった筆者はじつにうれしく思いつつも、歴史的な名レンズの復刻がそう相次ぐとは思ってもいなかった。
そこへこんどは「New Jupiter 3+1.5/50 L39/M」(以下New Jupiter 3+と略)として、ソビエト時代のライカスクリューマウント(L39マウント)レンズであるJupiter-3 50mm F1.5が復刻されると本誌でも報じられ、ほんとうに驚いた。Jupiter-3は1950年代から1980年代終わりまで作られ続けた、ゾナータイプの光学系を持つ大口径レンズだ。えーと、今年は昭和91年でしたっけ。とびどぐもたないでくなさい(やや混乱)。LomographyとZENIT、すごいぞ!
驚く理由は次の章で改めて書こう。Jupiter-3の歴史的な経緯を多少知ると、みなさんにもきっと驚いてもらえるのではないかと思うからだ。筆者のいつもの原稿のように、次項で男の子の好きなうんちくを書くので、興味のある方はぜひどうぞ!
語らねばなるまい。Sonnar 50mm F1.5とJupiter-3のことを
語らねばなるまい……。New Jupiter 3+のもとになったJupiter-3のルーツは、独Carl Zeiss(カール・ツァイス)の大口径レンズ「Sonnar(ゾナー)50mm F1.5」だということを。
Sonnar 50mm F1.5は1932年に発売された当時の35mm判距離計連動式カメラContax用に用意された。Ludwig Bertele(ルードビッヒ・ベルテレ)が手がけた、貼り合わせを使うことで空気と接触するガラス面を少なくし、レンズの透過率を高めるこの設計は、レンズのコーティング技術が未熟だった時代には画期的で、世界中の光学設計者の手本になった。
第二次大戦後の1946年、ドイツのソビエト占領地区にあったカール・ツァイス・イエナ工場設備と原材料、技術者などは、ヤルタ会談で定められた連合国による戦時賠償としてソビエトに移送された(アメリカ側がその前に移送した技術者や設計図などは、オーバーコッヘンで再建された西側のカール・ツァイスの基礎になった)。
このうち、Sonnar 50mm F1.5を含むContaxマウントのレンズは、モスクワ郊外の町クラスノゴールスクに設けられた「国営光学工場393号」(現在のZENIT)にて、1948年からSchott製ガラスを用いて製造が始められた。あらたにライカスクリューマウントでも作られることになった。
これらのレンズは当初は「ZK」「BK」(ロシア語「クラスノゴールスク製ゾナー」「同ビオゴン」Zonnar Krasnogorskii、Biogon Krasnogorskiiの略)という呼ばれていたが、まもなくJupiter(ユピーチェル)と命名された。このうち、50mm F1.5は「Jupiter-3」という名前になった。1954年には原材料がロシア製ガラスに変更され、絞り部分が改められた。そして1955年から本格的な生産が開始された。また、Contaxマウントレンズはウクライナ・キエフの「アルセナール工場(Zavod Arsenal)」で製造されることになった。ただし、Jupiter-3はアルセナールでは作られなかったようだ。
Jupiter-3は1956年からはモスクワ州ザゴールスク(現在のセルギエフ・ポサード)にある「ザゴールスク光学機械工場(ZOMZ)」で製造されるようになった。そして、1975年からはノヴゴロド州ヴァルダイにある「ユピーチェル工場」(現ジュピター・オプティックス)にて製造が行われた。ヴァルダイ製Jupiter-3の外装は黒く塗装されている。1988年ごろまで製造が続いていたらしい。
戦前の名レンズをルーツに、戦後はソビエトで長い間作られたレンズがソビエト崩壊後25年経って復刻する……。そこに歴史のロマン、あるいはアイロニーを感じはしないだろうか。スターリン時代に発表を禁じられたミハイル・ブルガーコフの小説『巨匠とマルガリータ』にある名セリフ「原稿とは燃えないものなのです」(水野忠夫訳 2015 岩波書店)を筆者は連想した。大げさかなあ。
より使いやすく
さて、30年以上作られ続けたJupiter-3を復刻させたNew Jupiter 3+は、光学系はそのままに(もしかしたら硝材は変更されている可能性はある)、外見もオリジナルに近づけつつ、現代風の改良もきちんとなされている。
そのひとつはマルチコート化だ。ずっとモノコートだったJupiter-3と撮り比べてみると、New Jupiter 3+は発色があざやかになり、コントラストが向上している。モノクロで撮影してもより使いやすいだろう。
もっともうれしい改良点は、最短撮影距離が0.7mになったこと。ライカスクリューマウントレンズは距離計の制限のために、最短撮影距離は1mとされているものが多い。50mmで最短撮影距離が1mというのは、一眼レフになれたユーザーにはものたりなく思えるはずだ。L/Mリングが付属することもふくめて、Mマウントユーザーにも使いやすくなっている。
外装は真鍮製になった。これは先般ご紹介したNew Russar +と同じ。アルミ外装よりもわずかに重みは増したものの、すり傷がつきにくくなり、耐久性が向上したことはうれしい。銀色のメッキもレトロな雰囲気が感じられて好ましい。
工場刻印の刻まれた金属製フロントキャップとプラスチック製リアキャップもうれしい。この工場刻印は、どうやらLomography+ZENITコラボレーションモデル用に特別に用意されたデザインのようだ。
なお、筆者がもうひとつ感激したのは保証書が付属すること。それも、青いスタンプとボールペンでシリアル番号が手書きで記されているところに。ソビエト時代から、光学製品の保証書やいろいろな公文書はこういった青いスタンプと青いボールペンの手書き文字が記されているのだ。
レトロな写りを楽しみたい
製品としての存在感だけに感激したわけではもちろんない。New Jupiter 3+は試写していてとても楽しいレンズだった。筆者は意図してレトロな被写体を写してみたが、その雰囲気をますます強調することができた。
絞り開放で撮影すると発生するわずかなにじみが美しく、画像処理なしで最新のデジタル専用レンズでは得がたい描写を得ることができる。F2.8程度まで絞ればこのにじみは解消されるが、やわらかな描写を楽しむほうが向いている。周辺光量落ちも視点を強調することができて、効果的だ。
最短撮影距離が0.7mまで拡大されたことも使いやすい。筆者は試写時にフォクトレンダーVM-E Close Focus Adapterを用いたので、0.7mからさらに近接できた。筆者がオリジナルのJupiter-3を使わなくなったのは、思い返せば近接できないからだったので、なおのことありがたく思えた。
作例
大きなボケを楽しむことができるのがいい。
F1.5でのやわらかいにじみが魅力的で、色みはきれいだ
デジタルカメラで使うと周辺光量落ちは大きめ。視点を導く使い方をうまく考えよう。
完全逆光ではなく、斜めの光でフレアが出るのはオリジナルのJupiter-3も同じ。効果的に使ってみたい。
ゾナータイプはゆがみが出やすいとされる。糸巻き収差が見受けられるが、フォトレタッチソフトでも補正しやすい。
1963年ZOMZ製と1986年ヴァルダイ製と撮り比べた。絞りはいずれもF1.5。Lomography版は、鮮やかさとコントラストがずいぶんよくなっている。
まとめ
New Jupiter 3+は、その歴史的な経緯から見てもとても興味深いレンズではあるけれど、入手したらコレクションとして飾っておくよりも、積極的に使って写真を楽しみたい。オリジナルのJupiter-3よりも使いやすくなっていて、新品として保証つきで入手できるからだ。
New Jupiter 3+は身近な人物や被写体を撮る場合に用いると、そのやわらかな描写とボケを楽しむことができると思う。また、コンパクトなサイズでもあるので、このレンズだけをつけたカメラを持って旅に出たくなった。見慣れた身近な被写体を見慣れない、より魅力的な姿に見せるのはじつにおもしろい頭の体操だ(むずかしくいうと「異化」という)。New Jupiter 3 +は絞りの操作で被写体の姿をあやつることができるといっていい。積極的に絞りを開いて撮ってみよう。
また、距離計連動式のフィルムカメラでは、撮影者にある程度のスキルがないと絞りを開いて近接して撮影するのはむずかしかった。だが、拡大してピント合わせができるEVF(電子ビューファインダー)のあるデジタルカメラを使えば、ピント合わせがずっとしやすく、絞りを開いて撮影しやすい。もちろん、腕に覚えのある人はフィルムカメラでも使ってみよう。
印象的に写るちょっと変わったレンズがほしいなあ、と思っている人はぜひ手にとってみてほしい。小柄で引き締まったデザインと、美しい描写に魅了されると思う。