広田尚敬作品展「蒸気機関車の時代~昭和34年とF~」

――写真展リアルタイムレポート

(c)広田尚敬

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 広田さんは14歳から写真を撮り始め、今年、74歳で60周年を迎えた。それを記念し、6つの出版社が7冊の記念出版を行なう。今回の展示作品はその第一弾と第二弾となる「昭和三十四年二月北海道」(ネコ・パブリッシング刊)と「Fの時代」(小学館刊)から選んだ77点。「ネガもだいぶ痛んでいるので、今回が最後の大きなモノクロSL写真展になるかもしれない」と広田さんは話す。

 昭和34年は広田さんが大学を卒業し、1年間だけの会社生活を始めた年だ。その年の2月2日から約1ヵ月間、自ら卒業旅行と称して、誰も試みたことのない冬の北海道へ機関車の撮影に出かけた。まさにこの作品展は、広田さんの原点であり、新たな鉄道写真を模索していた若き鉄道写真家の情熱が伝わってくる。

 会期は2010年6月29日~8月1日。開館時間は10時~17時。月曜休館。会場のJCIIフォトサロンは東京都千代田区一番町25番地 JCIIビル1F。問い合わせはTel.03-3261-0300。

 なお、記念出版は「鉄道写真バトル/VSの時代」(モーターマガジン社)、「永遠の蒸気機関車/Cの時代」(JTBパブリッシング)、「電車大集合1616/Kの時代」(講談社)が発売されており、9月に「鉄橋の本/Bの時代(仮題)」(講談社)、11月以降に「Dの時代(仮題)」(インプレスジャパン)が出版予定。さらに8月には品川プリンスホテルで開かれる大鉄道博で、カラーを中心にした写真展を開くという。

鉄道写真で最も大切なのは「安全」だと広田さん。鉄道を心から愛する人の重い言葉だ線路の幅は1m強で、車両幅は3mを超すので、近づきすぎると危険なのだ。ある撮影で、年配の人に「危ないですよ」と注意すると、「オレは大丈夫だ。お前はいつから写真を撮ってるんだ」と言い返されたそうだ。覚えがある人は、しみじみと反省するように

鉄道の模型作りが最初

 広田さんの鉄道好きは、模型作りから始まった。駅で停車中の列車の寸法を巻尺で測り、図面を作る。そこから1/45の縮尺で、精巧な模型を制作するのだ。

「正面は線路に下りないと測れないので、写真を撮って、車体幅から割り出していく」

 素材は木と紙。外観だけでなく、つり革やトイレまで再現したという。

 それが徐々に写真の方に興味が移り、高校生の時、鉄道友の会機関車グループに入った。大人ばかりのメンバーの中で、撮影に誘ってもらったり、「よく面倒をみてもらった」と懐かしむ。

 その頃の鉄道写真は、主役は列車以外にはなく、全体をきちんと写し込むことが絶対だった。

「人を写すなんて、とんでもない。列車が隠れる、車内だったら、どんなシートか見えなくなるって言われてね」

 そんな時代に、今となっては当たり前になった主観的な写真を撮り、発表し始めたのが高校生だった広田青年だった。当然、否定的な意見が多い中で、雑誌「鉄道ピクトリアル」の編集者だった黒岩保美さんや、「鉄道ファン」の編集長になる萩原政男さんが良き理解者となってくれた。

「最初、僕のそういう写真が雑誌に載ったら、そこの社長が現場に文句をつけてきたこともあった」と笑う。

(c)広田尚敬

 鉄道は人やモノを運ぶもので、それらすべてが含まれてこそ鉄道写真だ。アート性のある鉄道写真があってもいい。自分の気持ちで撮ってもいい。それが自分にしか撮れない写真になる。その信念があったから、ブレないで撮り続けられたのだ。

1年間商事会社に勤務

 写真家になりたいという思いはあったが、高校時代に両親を亡くし、長兄が親代わりだった。

「父が弁護士、長兄は銀行員という家庭だったので、カメラマンなんてもってのほか。それでも兄は一般大学を出て、1年就職したら、あとは自由にしていいと言ってくれたんだ」

 中央大学経済学部を卒業後、1年大学に残り、商事会社に勤めた。そして計画通り、1年後、宣伝部にいた若いデザイナーを誘い、独立したのだ。

「食えるあてなんかまったくない。幸い実力が認められて、徐々に仕事が増えていきました。学校や温泉旅館のパンフレットとか、いろいろとやりましたね」

(c)広田尚敬

周囲の反対を押し切り冬の北海道へ

 当時、北海道の鉄道事情など、情報は少なかった。国鉄の時刻表はあったが、それ以外の私鉄、専用線は行かなければ分からない。

「情報がないため、北海道に鉄道を撮りに行く時は夏でも3人とかペアで出かけていたんです。それを冬場に行くなんて、危険だとか、蒸気に邪魔されて機関車は撮れないなど、皆んなに反対されたけど、僕は『人が住んでいるんだから、絶対に撮れる』と確信していました」

 夏場、北海道に行った先輩から情報をもらい、事前にスケジュールを組んだ。専用線を持ついくつかの企業には、事前に往復はがきで撮影依頼を打診している。

「日本甜菜製糖清水工場など数社に送りました。機関車の状態や気温、雪はどのぐらいあるのかなど現地の状況も質問しつつ、機関車を撮影したい旨を書いた。皆さん、ちゃんと返事をくれましたよ」

 ただ本当に来ると思っていなかった人もいて、訪れるとかなり驚かれたとか。

「国鉄でもどこでも、本州から来たというと凄く驚かれたし、喜ばれましたね。運行予定のない機関車を撮影のため車庫から出してくれたり、雄別鉄道では運行中の運転席に乗せてくれた上、列車の屋根に上がって撮影させてくれた。駅員さんの自宅に泊めてもらったこともありました」

(c)広田尚敬

北海道の人はレイルファン、内地の人に優しい

 2月2日に上野駅を発ち、仙台で途中下車し、4日早朝5時10分、函館に到着した。それから28日、函館・湯の川温泉に戻るまで、道内の27路線、90輌30形式の機関車を撮影している。

 切符は学割で3,700円の周遊券を購入し、宿は国鉄の寮を事前に予約していた。1泊200~300円と格安だが、当然、国鉄職員か親族に限られる。

「知り合いに国鉄関係の人がいて、その義弟ということで、札幌の鉄道管理局に申し込み、手配してもらいました。宿と泊まる日は事前に決まっていましたが、天候などで何日かは変更してもらいました。その連絡も鉄道電話を借りました」

走る列車から連結器を撮りたい

 機関区や企業の専用線で撮影する時は、事前に担当者からの指示を聞く。撮影可能エリアや、従業員はどこまで撮影していいかなどだ。

「会社の施設内に部外者を入れることは、あり得ませんよね。それは担当者の判断でやってもらっていることで、事故でも起きたら、その人のクビが飛びます。SL末期の頃などは、撮影できない機関区もありましたが、職場は3Kより厳しい環境だった。そこで働いている人に誇りがあり、世の中に認められるのは嬉しいから、大いに撮ってくれと許可してくれたところも多いんです」

「Fの時代」には、走行する機関車を線路の上から撮った1枚(1969年6月撮影)がある。山陽本線糸崎機関区で行なった撮影だ。

「カメラをレールの上に置き、その上を走ってもらいました。シャッターはエアレリーズで、レールの下を通しています」

(c)広田尚敬

 走行中にカプラー(連結器)を撮りたいと依頼したこともあるそうだ。機関車の先頭部に立ち、覗き込んで撮影した。

「カメラを持っていると怖さがなくなる。徐々に前に重心が移り、一瞬、ころげ落ちそうになった。落ちたら、皆んなに迷惑がかかると必死になって上体を戻した。後になって考えたら、バックしてもらえば、撮りやすかったし、落ちても危なくなかったと気づいた(笑)」

 そんな撮影、今だったら考えられませんねと聞くと、「当時でも考えられないよ」と広田さんは笑って答えた。

鉄道写真は瞬時の判断が大事

 広田さんは今も半分以上は、自分の好きな鉄道を目指して撮りに行っているという。日本全国の路線はすべて乗るか、歩くかした広田さんだが、ロケ地を決めるのは、車中から外の景色を見ながらが多いという。

「車内にいながら、外から鉄道がどう見えるかを考えています。良いポイントを見つけると、次の駅で降りて、その場所まで歩いて戻る」

 駅では時刻表をチェックしたり、駅員さんに貨物列車の運行時刻を聞く。

「ローカル駅の駅員さんは話好きな人が多くて、すぐには立ち去れず、目の前を列車が通り過ぎてしまうこともあるんだよね」

 歩きながら、その場の雰囲気や、列車が通り過ぎる時の感覚を集中して見る、想定する。そうして光を考え、どこで、どう撮るかを考えていく。

「自分の気持が希薄になると、わけの分からない写真しか撮れないからね。撮影時間は一瞬だから、いろいろなことを瞬時に判断する。野球の三塁手、サッカーのゴールキーパーのような気分だよ」

 北海道の旅には、100フィートの長巻を自分で切って使った。およそ36枚撮りで20本以上。

「帰ったら、精魂尽き果て、気が抜けてしまい、長いこと現像にも取り掛かる気にならなかった。暗室に入ったのは、暑くなってからだったね」

 本展の多くは、およそ半世紀の時を経て、初めて発表される作品だ。それらは鉄道写真というカテゴリーを超えて、見応えのある時代の記録になっている。

(c)広田尚敬


(いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。4月某日、4回目になるギャラリーツアーを開催。老若男女の写真ファンと写真展を巡り、作品を鑑賞しつつ作家さんやキュレーターさんのお話を聞く会です。始めた頃、見慣れぬアート系の作品に戸惑っていた参加者も、今は自分の鑑賞眼をもって空間を楽しむようになりました。その進歩の程は驚嘆すべきものがあります。写真展めぐりの前には東京フォト散歩をご覧ください。開催情報もお気軽にどうぞ。

2010/7/8 00:00