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モノ・レイク(後編)
[2008/07/30]

モノ・レイク(前編)
[2008/07/09]

雪が降った5月のセコイア
[2008/06/25]

5月、霧のキングス・キャニオン
[2008/06/11]

サンタ・クルーズ島へ日帰りの旅
[2008/05/21]

春のデスバレー(後半)
[2008/05/07]

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パソ・ロブレスの冬
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[2008/03/26]

モハヴェ砂漠の冬(前半)
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砂漠のルート66
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[2008/02/14]

冬のカーピンテリア
[2008/01/30]

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[2008/01/16]


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秋の南西ユタ


F9 / 1/125秒 / 51mm
89号線からブライス・キャニオンを眺める

SD14と18-200mm F3.5-6.3 DC OS
※カメラはシグマSD14、レンズは18-200mm F3.5-6.3 DC OSを使用。すべてRAWで撮影してからJPEGに現像し、幅1,028ピクセルに縮小しています。
※写真下のデータは絞り/シャッター速度/実焦点距離です。感度はすべてISO50です。


 ザイオン国立公園の東口から出ると間もなくのところに、何の変哲もない1件の土産屋があった。10月初旬、その土産屋の入口には、ハロウィーンの風物詩であるパンプキンが干し草の上にきれいに置き並べてあった。もともとハロウィーンは悪霊を祓い、秋の収穫を祝う古代ケルト人の祭りだったが、現代のアメリカでは子どもにとっても大人にとっても秋の楽しいイベントになっている。10月31日は、どんな仮装をして「お菓子をくれなかったら、いたずらするぞー」と言って近所を歩くか、家庭内の話題に上がりはじめる頃である。


F11 / 1/125秒 / 154mm
ザイオン国立公園の東口を振り返る
F10 / 1/125秒 / 96mm
ハロウィーンの風物詩、パンプキン

 土産屋の中に入ると内装は予想外に洒落ていて、洗面所には香りのいい石鹸が置かれ可愛い花も活けられ、ちょっとしたリゾート・ホテルのようだった。キャンプ場で2泊し、砂ぼこりにまみれていた私にとって、清潔な洗面所はことのほかありがたく感じられた。欲しい土産物は特になかったが、店内には簡単なスナックと飲み物もあり、大きいサイズのコーヒーを買う。薄いコーヒーを飲みながら再び走り始めると、目の前に大きな草原が広がっていた。太古の地球に思いを馳せながら渓谷を歩き回った後に見るその景色は、行く手を阻むものがない穏やで優しいものだった。草原を眺めていると何かの緊張感から久しぶりに解き放され、ほっとした気分になった。西暦1300年ごろザイオン渓谷から忽然と消えたアナサジ族は、険しい渓谷の景色と生活に疲れ、平坦な草原に移動したのかもしれない。そんな証拠はどこにもないのにそう思えた。


F11 / 1/125秒 / 63mm
ドラマチックな土地から平坦な土地に来ると心が落ち着く

 ハイウェイ89を少し北上すると、そこには山から解放された草原に牧場が点在して、長閑な風景が広がっている。ザイオンでは秋色には時季が少し早かったアスペンツリーもすっかり黄色に染まり、簡素な男のひとり旅に色を添える。切り裂かれたような岩が有名な北のブライス・キャニオン国立公園まではもう目と鼻の先だったが、北上して来た道をUターンし、南下した。その日は険しい渓谷の中に突入するより、穏やかで優しい風景の中に身をおきたかったのだ。

 ユタ州南西部に位置するここケィン・カウンティーは、風光明媚なbyway(裏道)の宝庫である。しかし、アメリカに住んでいる人でも旅の通でないと、この辺りの裏道にあえて入り込もうとする人は少ないと思う。私はそんなケィン・カウンティーを少しだけ散策しようと決めたのだった。


F8 / 1/125秒 / 63mm
見たかったアスペンツリー

F9 / 1/80秒 / 51mm
紅葉する木が限られている地域では、アスペンツリーが輝く
F8 / 1/125秒 / 63mm
絵を描く夫婦らしき中年カップル

F8 / 1/100秒 / 51mm
秋の色をした木が、牧場主の家の脇にも見える

 ハイウェイ89をマイペースで南に走っていると、コーラル・ピンク・サンド・デューン州立公園というサインが見えてくる。なにやら心惹かれる名前に誘われ、この砂丘公園に立寄ってみると、公園の駐車上には7、8歳の男の子を連れた若夫婦が日焼け止めクリームを塗り、車から出てきたところだった。彼ら以外の人影はそこにはなく、公園として成り立っていることが不思議に思える。

 色の資料によると、コーラル・ピンクとはオレンジ色にピンクが掛かった色だそうだ。砂丘は陽の光が当たる角度により、その色が微妙に変化して見える。自然界では、時より何者かが意図して作ったような色に出会うことがある。この砂丘はそんな作為を感じる色だった。砂漠で覆われ乾燥したどこかの国の香辛料、私にはそう見えた。

 そのコーラル・ピンク砂丘の遠くを、エンジンを全開にした1台のサンド・バギーが走っている。けたたましいエンジン音は、砂丘の吸収力によってその響きを失い、少し時間遅れで耳元に届く。四方八方と忙しく走るサンド・バギーは、砂丘のスケールによってそのスピード感を失い、アリが砂場を必死に這っているかのように小さく映る。

 暑さにも負けず砂丘狭しと威勢よく走るライダーは、お釈迦様の手の平の上で遊ばれているだけなのかもしれない。砂丘に出てみると、平坦な砂丘の表面は比較的歩きやすいが、小高くなった斜面では踏み出した足は砂ごと下に滑り、なかなか前に進まない。陽の光が砂に反射して眩しく砂の上の温度もかなり高く、おでこに塗った日焼け止めクリームは汗で流れ落ちて目の中に流れてくる。砂丘の上にいること自体、砂漠熱で結構つらい。それでも30分ぐらいは居ただろうか、車の中に戻るや否やクーラーを全開にし、大量の水を口から喉へ流し込んだ。


F11 / 1/125秒 / 200mm
暑いのに元気なライダー

F11 / 1/125秒 / 18mm
こんな斜面でも上がるのは、結構大変
F11 / 1/125秒 / 63mm
砂は、鮮やかなで不思議な色

 砂丘を出るとハイウェイ89を再び南下し、人口3,500人の小さな街、カナブに出た。街には小さな観光案内所があり尋ねてみると、生真面目そうな白人の老婦人がひとりで運営していた。多くの西部劇映画が撮影された有名なセットの跡があることをこの老婦人から教えてもらい、私は街から16kmの距離にあるそのセットを見に行くことにした。岩山があり草原があるこの地域では、多くの西部劇映画が撮影された。そのことから地元の人は、この街をリトル・ハリウッドと呼んでいるという。カナブの街を出て少し走ると、ジョンソン・キャニオンという原野を走る道に入る。対向車と1台ともすれ違わず、前方も後方にも車の影はない。撮影セット跡に着くまで約7、8km、1台の車とも会わず、道と景色は独り占めだった。「誰からも邪魔されることなく、その風景の中に溶け込む」、これがbyway (裏道)を走る醍醐味かもしれない。

 撮影セット跡から原野の中を少し走ると、1台のスクールバスがライトを点滅させ、前方に止まっている。私がスクールバスの後方に止まるとドアが開き、2人の子どもがぴょんと降りて、車道を右から左へ歩き渡った。車道の左を見渡すと、車道から200m以上先に一軒家の屋根が見える。家の大部分は草の丈で隠れて、ほとんど見えない。おそらく、兄弟と思われるこの2人の家だろう。大きな風景の中、スクールバスで悠々と登校する子ども、その光景は、何かほんわかとしていて嬉しい気分にさせてくれた。


F10 / 1/125秒 / 78mm
カナブの街
F8 / 1/125秒 / 63mm
西部劇の背景に使えそうな景色が街にある

F6.3 1/125秒 / 200mm
1頭の白い馬を野原に見た
F11 / 1/125秒 / 78mm
野原に立つ存在感のある2本の木

F11 / 1/125秒 / 51mm
セット跡は個人の手に渡っていて、そばには行けなかった
F11 / 1/125秒 / 115mm
フロントガラス越しに写真を撮る。右側の子どもは、かばんを肩の上に担いで降りてきた

F11 / 1/125秒 / 18mm
道と風景と一体になれる裏道のドライブ

F11 / 1/125秒 / 51mm
風の音と時より飛び行く鳥の鳴き声しか聞こえない
 私はスクールバスを先に行かせ、ゆっくりと走り出した。しばらく行くと舗装されている道は終わり、そこからはダート道が続く。車の往来がほとんどないそこには、この地域の地理と歴史が簡潔に書き記されている木枠の道標が、ひっそりと建っていた。

 「それぞれの動物は、そのいわれを受け継いでいます。それぞれの植物は、その中に魂が宿っています。私たちが、すべての生き物を敬いすべての生き物と調和しないとき、私たちは私たち自身の権利を侵略しているのです」と、パイユート族を祖先に持つアメリカ先住民の言葉も、そこに記されていた。野原を吹き抜ける風の音と大空を飛び行く鳥の鳴き声が心地よい、南西ユタの裏道で見つけたその言葉は、静かな説得力を持っていた。

 私はその先も続いているダート道には入らず、来た道を戻った後、南に下りアリゾナ州に入った。そこから北西に向けて走りだすと、陽の影がだいぶ長くなっていた。


F11 / 1/125秒 / 31mm
アリゾナの南西方向を眺めるこの先はグランド・キャニオン
F11 / 1/125秒 / 28mm
ユタとアリゾナの州境

F8 / 1/125秒 / 63mm
ユタの去り際、見かけた地層

 再びユタ州に入ると小さな街が現れ、そこでガソリンタンクを満タンにし、コーヒーを飲む。太陽はその日の仕事を終え家路を急ぐがごとく、刻々と沈んで行く。私は陽の光を追うように、インターステイト・フリーウェイ15を目指し西へ走った。フリーウェイに入ると間もなく日は完全に落ち、辺りはあっという間に闇になった。ラスベガスの巨大な夜景が暗闇の中から飛び出してきたのは、夜の8時頃だった。ベガスのホテルに泊り、大きいワイングラスで赤を豪快に飲み、分厚いステーキをたらふく食べるのも悪くないと考えていた。そしてその考えは、旅で少々疲れていた人間にとって自然な選択だったのかもしれない。しかしこの夜の私は、ガソリンスタンドで車に給油し、1杯のコーヒーを買っただけでベガスの街をあとにした。そして、4時間ノン・ストップ、車をふっ飛ばし帰宅したのだった。

 ラスベガスには仕事絡みで毎年数回は滞在するし、けっして嫌いな街ではない。ギャンブルをほとんどしない私でも、この街の巨大な仕掛けに抵抗なくはまり、それなりにこの街を楽しんでいる。

 しかしこの日の夜、ベガスの街はノーサンキューだった。焼き付けてきた南西ユタの静かな風景が、ネオンに重ね塗られること。余韻が残る南西ユタの静寂が、スロット・マシンにかき消されること。吸い込んできた南西ユタのすがすがしい空気が、タバコの煙に侵されること。これには抵抗があったからだ。

【お詫びと訂正】記事初出時、レンズ名を誤って表記しておりました。お詫びして訂正させていただきます。



URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/dialy_backnumber/



押本 龍一
(おしもとりゅういち)東京品川生まれ。英語習得目的のため2年間の予定で1982年に渡米する。1984年、ニューヨークで広告写真に出会い、予定変更。大手クライアントを持つコマ―シャルスタジオで働き始める。1988年にPhotographerで永住権取得。1991年よりフリー、1995年LAに移動。現在はLAを拠点にショービジネス関係の撮影が主。日本からの仕事も開拓中。

2007/11/28 00:07
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