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砂漠のルート66


F10 / 1/160秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 18mm
ROUTE66のサインを見ると感動した。覚えやすいということで66になったそうだ

※カメラはシグマSD14を使用しています。
※すべてRAWで撮影してからJPEGに現像し、幅1,028ピクセルに縮小しています。
※写真下のデータは絞り/シャッター速度/感度/レンズ/実焦点距離です。


 ロサンゼルスからインターステイツ・ハイウェイ14号線を2時間ほど北上したところに、ラスベガスに向かう人がよく立ち寄るバストーという街がある。この街でインターステイツ・ハイウェイ40号線に乗り換えるとすぐに、「ヒストリック・ルート66」のサインを見つけた。私はダゲットという街でルート66に入ろうと考えていたが、サインに誘われるまま、40号線を予定より早めに出ることにした。

 出口から左に急カーブして40号線の下を潜り、今度は右に急カーブをする。ハイウェイから降りた直後、ハンドルを大きく切るのが新鮮に感じられる。左手には多分セメントかそれに類似した何かを製造しているだろうと思われる工場が見える。この道がルート66であるという確信はないものの、右手に40号線が見えているので不安はなかった。ルート66が、この地域では40号線に並行して走っていることを知っていたからだ。

 砂漠地帯に入ったと思わせる風景の中をゆっくりと東に数分走ると、路上にROUTE66の白い文字が見えてきた。求めていた道にいることが確かになった瞬間だった。路肩に車を停め、数枚の写真を撮った後、携帯電話が鳴り出した。約20分間、携帯電話で話をしていたが、その間に通り過ぎた車は3台だけだった。

 ルート66は、「アメリカのメイン・ストリート」、「マザー・ロード」などのいくかの呼び名があり、1926年に創設された国道だった。イリノイ州のシカゴからミズリー州、カンザス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州を通りカリフォルニア州のサンタモ二カまで3,940kmを結んでいたが、1985年にインターステイツ・ハイウェイの発達により廃線となった。現在は、ヒストリック・ルート66として「ナショナル・シーニック・バイウェイ」(景観道路)に指定されている。


 1930年代にはカリフォルニア州の農場へ、第2次世界大戦中はカリフォルニア州の軍事工場へ、1950年代になると休暇のためにロサンゼルスへ、多くに人がこの道を走った。ルート66は、オリジナルのルートが変えられ、またその周辺の風景も大きく変わった地域も多い。しかし、モハヴェ砂漠を走るルート66は、昔ながらのルートが残っていて周辺の景色があまり昔と変わらないので、この道の栄えた時代を感じながら走ることができる。

ほとんど車に出会うことなくヒストリック・ルート66を走ると、かつて銀とホウ砂を運ぶ中継地として栄えたダゲットに着いた。もう営業していないガソリンスタンド、マーケットの看板、ほとんどゴースト・タウンに近い光景だ。200人ほどの住人がいるらしいのだが、人はどこにいるのだろうか。車から降り、写真を数枚撮る。2台の車がダゲットを通り抜けて行った以外は、人の存在を感じない。

 ルート66と並行している線路が見える。その線路の向こうに人家が見えるが、人影は見ない。すれ違う車もほとんどない火曜日の午前中、貨物列車が走るのが見えるが、人家をほとんど見ない道をさらに東へ走る。すると左手に、赤茶色の石を製造している工場が見えてきた。その石は、ルート66に並行して走る線路の枕木の下に敷き詰められた石にそっくりなことに気が付いた。


F11 / 1/125秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 18mm
廃墟になったガス・ステーション。何かに使えそうな大きな屋根だった
F8 / 1/125秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 35mm
もう営業していないマーケットの看板

F8 / 1/125秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 51mm
ルート66から人家が見えるのは珍しい

F13 / 1/125秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 18mm
道沿いに停まっていた貨物列車。そばに行くと思ったより大きく、ビルディングのよう
F8 / 1/250秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 115mm
線路の枕木の下に轢く石だと思われる

 今まで右手に見えていた40号線と交差して、ニューベリー・スプリングスに着く。私はルート66から少しだけ離れて、この周辺を探索してみることにした。北に伸びる道を少し行き、40号線の上を越えると、羊の群れを発見した。荒涼とした砂漠地帯に期待していない光景だった。晴天の冬の日、風が少し肌寒い分、太陽の光が温かく感じられる。空気も澄んで気持ちがいい、羊たちも幸せそうだった。


F11 / 1/160秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 35mm
砂漠地帯に草があり、そこに羊を見た。暑い夏、羊は耐えられるのか

 ルート66に再び戻り、少し東に走ると左手に映画「バグダッド・カフェ」が撮影されたカフェが見えてくる。名前もそのまま「バグダッド・カフェ」である。店内に入ると客は誰もいない。

 カウンターに、野球帽を後ろ向きにかぶった30歳代前半の白人の青年が1人いる。「僕は映画を観ていないけど、この店は映画で有名ですね、店は忙しい?」と話しかけると、「ユーはラッキーだよ。今は誰もいないけど、ランチタイムは結構忙しくなるし、バスで観光客のグループが来ることもあるよ。ヨーロッパからと日本からの客の方が、アメリカ人より多いんだ。実は俺も全部は観ていないけど、観たかったら今、用意するよ」と言い、映画「バグダッド・カフェ」の冒頭を、バグダッド・カフェのTVに写してくれた。

 店のオーナーは青年の知人女性で、映画関係の仕事をしていて、息子は俳優だと教えてくれた。青年の本業は、犯罪者の更正のためのカウンセリングで、休暇をとって気分転換のため、しばらくこの店を手伝っているとのことだった。

 店には30分ぐらい居てコーヒーを2杯飲み、この青年と世間話をした。そして1987年に製作された映画のDVDをこの店で購入した。帰宅してすぐこの映画を観たが、よくわからない映画だった。


F4 / 1/60秒 / ISO200 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 18mm
バクダット・カフェの店内で映画を少し観た
F14 / 1/125秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 21mm
カフェのすぐ横にあった古いキャンピングカー。映画に出てきたのと同じタイプ

F14 / 1/125秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 21mm
モーテルは営業していない
F11 / 1/125秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 28mm
バスの停留所跡

 バグダッド・カフェからルート66をさらに東に走る。遠くに見えていた貨物列車が近くなり、線路とルート66が交差する踏み切りで、列車が通り過ぎるのを待つ。40号線とは2度交差した後、また踏み切りを渡り、貨物列車と並行して、何もない砂漠の中をひたすら走る。

 しばらく走ると右手に黒い溶岩が一面に見えてくる。そして大きな黒い丘がぽつんと現れる。ナショナル・ランドマークに指定されている「アムボーイ・クレイター」という6千年前にできたとされる噴石丘だ。


F8 / 1/125秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 21mm
溶岩が急に冷やされてできた
F8 / 1/200秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 28mm
砂漠と溶岩の中、黄色い花が眼を引く。背景には高さ288mのアムボーイ・クレイターが見える

 アムボーイ・クレイターから少し走り、踏み切りを渡ると、かつてはルート66の休憩地として栄えた街、アムボーイに着く。ロイズ・モーテル・アンド・カフェは、東モハヴェで唯一の、ガソリンスタンドとレストランと宿泊施設を兼ね備えたラウンド・マークで、その派手な看板も有名だった。しかし、1973年に40号線が開通した後は、訪れる人も少なくなり、1977年の7月3日、ついに客が0になった。2007年8月にガソリンスタンドが再オープンし、この日レストランには数人の客がいた。近年、ラスベガスと南にあるジョシュアツリー・ナショナルパークの間を行き来する観光客が増え、アムボーイの交通量が増えたのだ。

 モーテルはまだ閉まったままだったが、泊まる客がいない白いペンキで塗られたモーテルは、砂漠の青空の下、眩しく輝いていた。強い太陽の光と広大な砂漠の中を走るルート66沿いにあるこのモーテルは、独自の雰囲気を持っている。

 ルート66の黄金時代を感じながら、砂漠で夜を越すのも悪くない。是非再オープンして欲しいものだ。


F11 / 1/160秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 18mm
青い空に白いモーテルが眩しい。各部屋は別棟になっている
F8 1/200秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 18mm
ひとつの部屋のドアが開いていたので、中に入ってみるとキッチンもあった

F29 / 1/30秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 42mm
かつて繁盛していたカフェの看板と、テープでとめたアメリカの国旗が、今のアムボーイを物語っているように思う

F11 / 1/160秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 24mm
昨年の夏から再営業を始めたガス・ステーション。サインはまだ壊れていた
F7.1 / 1/100秒 / ISO50 / 18-200mm F3.5-6.3 DC OS / 18mm
アムボーイの街にある木に、靴が吊るしてあった


URL
  バックナンバー
  http://dc.watch.impress.co.jp/cda/dialy_backnumber/



押本 龍一
(おしもとりゅういち)東京品川生まれ。英語習得目的のため2年間の予定で1982年に渡米する。1984年、ニューヨークで広告写真に出会い、予定変更。大手クライアントを持つコマ―シャルスタジオで働き始める。1988年にPhotographerで永住権取得。1991年よりフリー、1995年LAに移動。現在はLAを拠点にショービジネス関係の撮影が主。

2008/02/27 01:04
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