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あの日のライカ Vol.3 別所隆弘 × ライカM11
2022年6月30日 15:13
滋賀・京都を中心に活動するフォトグラファーの別所隆弘さんは、ドラマチックな風景写真や花火写真、ダイナミックな飛行機写真などを得意としている。使用している機材はスペック重視のもので、一見するとライカとは距離が遠いという印象を持つが、実は日常生活を撮るカメラとしてライカQを長年愛用し、ライカの画作りや哲学を身近に感じてきたという。
そして今回、ライカM11を手にした別所さんは、レンジファインダーで撮るという伝統を守り続けると同時に、素晴らしい性能のセンサーやレンズを有するM型ライカが、写真を撮ること、写真表現の原点を見つめ直す機会をもたらす存在になると確信したと話す。
別所隆弘
滋賀県在住のフォトグラファー。アメリカ文学研究者。ダイナミックに風景を切り取る撮影スタイルでNational Geographic Nature Photographer of the Year 2017“ Aerials”2位。国内外の写真賞を多数受賞
——ライカQを長く愛用されているそうですね。
ライカQを買い初めて撮ったとき、やはりライカは特別な存在だと気付きました。仕事で使っている他社のカメラで撮るときは、必ずRAWで撮り現像していきます。JPEG+RAWの同時記録すらしません。だって、そのままで出せる写真など撮れませんから。
でも、ライカQを買ったときはライカの味を見てみたいと思い、JPEGでも撮影をしたんです。そして背面モニターを見た瞬間に画作りの発想が違うとすぐにわかりました。光の捉え方が全く違う。ヨーロッパの文化の中で解釈されてきた光の捉え方が全部ライカに詰まっているんですよ。(レタッチで)いじれない、と思いましたね。
僕の感覚ではRAW現像の過程でライカらしさを感じるのかなと思っていたんですが、そうではない。JPEGで撮るべきカメラだと感じました。
——そして日常の相棒にライカQというのが別所さんのスタイルになったと。
ふだん僕は絶景ポイントで撮影をすることが多いです。雲海、桜、紅葉、花火。ドラマチックに見える時間帯を見極め、多くの方の目に留まるよう鮮烈に仕上げています。でも、ライカではそんな作業をやる気になりません。むしろ、ライカが背負ってきた歴史、光の解釈や闇の解釈を通し、僕が生きてきた場所、歩いてきた場所、見てきた場所、つまり僕の記憶とライカの解釈をすり合わせて出てくる絵を楽しみたいと思ったんです。
よく自宅周辺の太陽に照らされた壁などを撮っていますが、僕が見逃していただけで、絶景ポイントに負けない美しさがあると、ライカの画作りを通すとわかるんです。どの場所でも等分に美しい。それを実感できるのがライカの良さですね。
——今回はライカM11で撮影しています。ライカの画作りに加えて、M型ならではの操作感などが加わると印象はさらに変わりますか?
「レンジファインダーカメラでファインダーを覗いて撮る」という行為の没入感は特別ではないでしょうか。僕が見ている風景がファインダーの中に切り取られる。背面モニターで撮る場合、変わった構図で撮ってやろうとか、ハイアングルにしてやろうとか、持っている機能を使わなければいけないみたいな方向に駆り立てられますが、M型は基本的にカメラを構えてファインダーを覗かないと写真が撮れません。さらにファインダー内の二重像を見て、手動でフォーカシングしなければならない。
そうすると、自分が見ているものを撮ろう、となるんですよね。僕が目で見ていいな、と思ったものを素直に撮っていった写真になっていると思います。
——ブライトフレーム式のため、正確なフレーミングも難しいです。
全く気にならないです。アッと思った瞬間にピントを合わせ、シャッターを切るところまでが本能のように動いています。M型の操作は人間のあらゆる本能の動きと似ていて、フォーカシングをしてシャッターを切るまでが連動するんですよ。没入感が完璧に調整されている。
僕がふだん使っているカメラは、秒間30コマの連写機能や優れたAF性能があり、外しようがありません。百発百中。ファインダーさえ覗く必要がなく、「連写をしていれば1枚くらいはいいのがあるだろう」と考える時すらあります。仕事では必要なスペックかもしれませんが、こうなってくると1枚に対する没入感は薄らぎますよね。ライカM11は、そうして仕事の中で失ってきた撮影の原初の喜びが改めて感じられるカメラだと思います。
——もちろん、レンジファインダーカメラが最先端だった時代もあるわけですが、いまは高速連写機、高画素機、高感度機などが最先端に位置しています。カメラの仕組みを遡ることで見えてくるものがある、ということですね。
最近、「撮れなくてもいい」ってよく言うんです。撮れなかったら撮れなくていい。それは撮れるのが当たり前の世の中になったから。スマホでも一眼でも、プロでもアマでも、みんな撮れる。僕が撮れなくても誰かが撮れている。だったら僕が撮る必要はないじゃないですか。
でも、ライカで撮った今回の写真は僕にしか撮れない僕の目線ですよね。僕はSNSを武器にしてプロになりました。どうしてもブランディングする必要はありますし、SNSでは「振る舞い」を求められますが、そんなSNSでのセルフブランディングをいかに破壊できるかがいまの自分のテーマなんです。
それだっていきなりは壊せない。絶景も桜も花火も飛行機も撮るよ、安心してねというのを見せつつ、今までは見せてこなかった独自のこだわりも見せたいわけです。僕が素直に見ている視点、光の陰影の美しさなど、そういう写真の原点みたいなものをライカ通じて出していきたいですね。
——つまり、日常的に撮っている写真をアピールしていくということですか?
いえ、仕事でもライカを使っていきたいんです。ライカM11に慣れてくると、実はオールマイティーなカメラであることに気付きます。つまり、自分の本能と喜びが溢れてくる一方で、現在の最先端のカメラにキャッチアップしてきているんです。姿は昔から変わらないのにセンサー性能が化け物じみている。アポ・ズミクロンの解像感、正確性を極めた発色など、使えば使うほど、仕事で使ってもおもしろいだろうなと感じています。仕事のスタイルさえ修正したくなる。そのくらい強烈なポテンシャルがありますね。
また、ライカM11を仕事でも使うということは、プライベートだけじゃなく仕事でも「僕が撮った」と刻印することになるはずなんです。実際にそういうことをやっているプロが僕の周囲にはいます。ライカで撮っている彼らの写真は、どこをどう見ても彼らの写真になっている。見る人の足をいったん止めさせる力はあるし、出てくる写真も化け物。ライカM11は、最先端の性能を奥に秘めているけれど、アーティストがわがままになれるカメラというイメージです。
——ライカの魅力は若者にも伝わってきている気がします。別所さんと同様に、写真の本質はどこにあるのだろう、ということを多くの人が気づき始めているのかもしれませんね。
僕もそう感じています。ライカで撮られた写真はSNSのタイムラインに出てくるとギョッとするんです。「いいね!」もしないし、リツイートもしない。でも、何だろうこれはと立ち止まるんです。それが本当の写真の在り方だと思いますよ。そんなに世の中はわかりやすいものじゃない。見知らぬ人にいきなり声はかけないし、共感なんてそんな簡単に発生しない。そもそも他者は違和感として存在しているはずなんです。写真だってそうあるべきですよね。
写真がバズりやすい環境になったのは、写真に対する原罪だと思う。僕も含めて、SNSを駆使している人がやってしまったこと。大多数の人のアイデンティティーに乗っかりやすい写真を発明してしまったんですよね。それができた代わりに、ライカで撮られた写真のように素直な視点で撮られたものが埋もれていくようになってしまった。
SNSによって食えるようになった人もいるから否定しませんが、もう一度、本質的な写真の定位というものを作っていきたいとは思っていて、そのためにライカの権威と積み重ねてきた文化を借りるべきですよね。
——ライカM11の性能面の話に移りますが、画質や色作りの印象は?
とにかく青が深いという印象です。今回の写真はほぼJPEG撮って出しですが、花火の写真だけはRAW現像していて、シャドウを持ち上げると青がしっかりと出てきて驚きました。他社のカメラで撮り、自分で調整したらこうはなりません。夜のシャドウにも青が残っているのは大きな特徴ですし、コントラストも高めだから独特の表現になります。JPEG記録時はそれを少し捨てているくらいの感覚でしょうか。
RAWから仕上げていくと、ダイナミックレンジの広さ、色のりの豊かさ、JPEG生成までの過程も見えてきておもしろいですね。ライカQはダイナミックレンジこそライカM11には及びませんが画作りはうまくて、JPEGではライカらしい仕上がりになります。RAWからJPEGまでの距離感が近いのがライカQかもしれません。
——レンズは「ライカ ズミルックスM f1.4/28mm ASPH. 」「ライカ アポ・ズミクロンM f2/35mm ASPH.」「ライカ アポ・ズミクロンM f2/50mm ASPH.」の3本をお使いです。
ほとんどアポ・ズミクロンM 50mmで撮影しています。最高ですね。解像している部分のシャープさ、そこからザワつかずに背景がボケていく様が名人芸。コントラストが高く、背面モニターで撮影画像を確認したときに、とても見映えがよく見えるようにできているのもいいですね。太陽を背にした木を撮っても、葉の輪郭にフリンジなどは全く出ませんし、ハイライトにもしっかりと色がある感じです。
ズミルックス28mmは、そうしたアポ・ズミクロンとは異なる世界観を感じられます。周辺減光もかなりありますが、そのクセも含めて芸術になっています。収差すらライカの表現と解釈が息づいているんですよね。
どのレンズも絞り開放はもちろん美味しいですが、F5.6前後で撮ることが多かったと思います。ボケを使うのがもったいないと感じさせるレンズたちですね。
——ライカM11は高画素機ですが、バッファなど撮影テンポはいかがでしたか?
犬を撮ったときに連写をしてみたんですが、10連写くらいでバッファが詰まりました。そのときに、ライカはこういう撮り方するカメラじゃないよなと(笑)。その後、子どもが描いた絵のある壁を撮ろうとしたとき、おばあちゃんがその前を自転車で走っていったんですね。本来ならばおばあちゃんにピントが合っていないといけないけれど、ピントは壁に合ったままで。その失敗感までも僕の体験そのもの。指を動かしてシャッターを切ったということのほうが大切なんです。
——別所さんがお使いのライカM11とアポ・ズミクロンMという組み合わせは価格的にも最高峰です。ライカの購入の相談を受けたら、別所さんはどのようにアドバイスしますか?
まずボディから買え、と言うと思います。アポ・ズミクロンは最終到達点ですよ。ライカの中でも究極で、RPGで言うところの「伝説の剣」にあたるもの。最初はボディを手にして、操作感、レンジファインダー、色作りなどを十分に経験し、ライカM11の6,000万画素を使い切りたいと思ったときにアポ・ズミクロンM 50mmがいいと思います。
いずれにしても、僕がそうだったように、一度カメラと写真に絶望してほしいです。絶望を知っているからこそ、ライカを手にしたときに喜びが沸いてくるはずなんですよ。カメラを好きになったときの最初の情熱。自分が素直に撮りたいと思ったものを撮る大切さ。今回の琵琶湖の風景はまさに僕の原風景で、バズらなくてもライカで残したいじゃないですか。
——近々、仕事でもライカを使っている別所さんを目にすることができそうですね。
自分が写真を出すとか写真展をするときは、ライカの写真たちを使いたいですね。まだ仕事の写真は“映えている”ものばかりが選ばれますが、いずれ全部が映えるものじゃなくてもいい、とクライアントにも思っていただけるときはくるはずです。散った桜とか、壁の影とかね。そんなものが入り込む隙間が出ることを祈って、いまはライカを使い続けたいと思っています。
制作協力:ライカカメラジャパン株式会社