インタビュー

たった1人で生み出す金属カメラ「スズキハンドメイドカメラファクトリー」の夢を聞く

工場に住み、機械を直し、カメラを作る。その始まりと現在地

「ハンドメイドカメラの製作、上カバーの加工工程」より

SNSを通じて流れてくる、様々なカメラ界隈の情報。特に機械式カメラを好む人であれば、その中に「スズキハンドメイドカメラファクトリー」という名前を目にしたことがあるかもしれない。

Webサイトには「最高級機械式35mmフィルムカメラの製作を目指し、ひとり研究、開発、試作を行っています」と掲げられている。一体どんな人物が、何を目指しているのか? デジカメ Watch編集部を介してオンラインで話を聞いた。

作っているのはどんなカメラ?

スズキハンドメイドカメラファクトリーが現在製作中のカメラは「試作1号機」として、部品製作技術の確立と、設計した各種機能の動作確認を目的としている。2024年4月から1年間で設計を完了し、2025年3月から製作を開始。現在の進捗は70%だという。

現時点で決まっている仕様は、サイズがバルナックライカの寸法を超えないこと。そしてシャッターは金属幕を使い、28mmレンズ用の0.5倍実像ファインダーを搭載すること。マウントをライカスクリューとしたのは交換レンズが手頃に入手しやすいからで、声を受けてMマウント互換にすることも検討中だという。

ファインダー容積の写真。バルナックライカのサイズの中で、最大限にファインダー容積を確保することが第1目標。ボディサイドがライカ的な半円ではなく角張っているのも、国産カメラへのオマージュというより、限界まで基線長を確保するためだという
ファインダーレンズの加工工程。金属加工だけでなく、ファインダーのレンズも自ら製作している。ファインダーレンズの製作時間は、8割が治工具の製作に掛かるという

将来的には、ボディの横幅いっぱいに取られたファインダー容積を生かして、長い基線長を持ち、かつ上下像合致でも使える実像式レンジファインダーカメラにするのが目標。そのために巻き上げ・巻き戻しの機構をカメラの底部に移設するなど、メカニズムの配置も工夫している。

巻き上げ機構が底部に移動する代わりにトリガー巻き上げとして操作性を確保。さらにトリガーレバーに2軸ヒンジを備え、三脚使用時も巻き上げ可能な構造とした。

トリガーレバーの加工工程

ほかにも、フィルムの巻き上げ機構はカメラの背面から見て左側に置き、縦方向に場所を取るパトローネ室を右側に分散配置。トリガーワインダーの駆動系をラック&ピニオン方式とすることで、左右に分割したそれぞれの機構に動力を伝達する。

などなど、一見するといわゆるライカ型カメラのひとつに分類できるスタイルだが、35mmカメラの原点といえるバルナックライカのディメンションを守りつつ、究極の測距精度を実現するという確固たるこだわりに個性が伺える。これを設計から製造まで1人でやってしまおうというのが、スズキハンドメイドカメラファクトリーなのだ。

では、どんな人物が作っているのか?

スズキハンドメイドカメラファクトリーの鈴木晴人氏は、宮城県仙台市出身の28歳(1997年生まれ)。金型や精密部品加工を行う会社でサラリーマンとしてフルタイムで働きながら、夜や週末の時間をカメラ製作に充てている。

※ちなみに筆者も“鈴木”姓だが特別な関係はなく、今回の取材が初対面。なぜなら鈴木は日本で2番目に多い名字だからだ。と、海外のカメラファンに向けて書き添えておく。

鈴木晴人氏

小学校の頃に、工具を自作して遊び感覚でカメラ修理をはじめた鈴木氏。当時から「カメラを作る人になりたい」と作文で夢を語っていた。修理によって動かなかったカメラが動き出すことについて、「“何かを生み出した”と感じるのに近い感覚がありました」と振り返る。

以来、学生時代にはジャンクカメラを仕入れて修理・販売する経験も経て、高等専門学校を卒業。初めてのボーナスで小型旋盤を購入し、実家のガレージで部品製作を始める。翌年には卓上フライス盤も購入した。

転機は2020年だった。機械による騒音が発生するため、住宅街にある実家での製作に限界を感じ、昼夜を問わず作業できる山奥に製作拠点を構える。廃墟となっていたコンクリート床の倉庫を購入し、建物を修繕しながら、井戸を掘ったり、電気を通したり、2階に住居スペースも整えた。それからはこの拠点に1人で暮らし、会社から帰るとものづくりを行っている。

工場に井戸を掘る様子。これもカメラ製作の1歩だ

聞けば、そもそも現在の仕事を選んだ理由も、工場を構えてカメラを製作するという目標を前提に、転勤がないことや、工場が完成するまで実家から通えることを考慮していた。全てはカメラ製作という夢が原動力なのだ。

さて、この時点で2021年になっている。まだカメラ製作は始まらない。次は中古の工作機械を買い集め、各種文献を参考にしながら全て1人でオーバーホールしていく。その中にはいわゆるジャンク品も含まれており、コストを浮かせつつトラブル対応のスキルも磨いた。

例えば新品なら500万円、中古でも200万円する機械が、ジャンク品だと15万円で手に入るのだという。独学しながら1人でレストアした機械は10台以上。「社会人2年目で買えるぐらいのものなので……」と謙遜するが、何よりその行動力がすさまじい。

設備一覧の写真。旋盤は筒やリングなど丸い形状、フライス盤はブロックなど四角い形状を作る。研削盤は表面を0.01mm単位で“一皮むいて”高精度にする機械

目指すのは、個人製作ならではの精密さ

最初に小型旋盤を買ってから5年、ついにカメラの設計が始まった。スズキハンドメイドカメラファクトリーが掲げる“最高級機械式35mmフィルムカメラ”が何をもって最高級かというと、とことん精密さを追究していることにある。素人である筆者に対し、簡単な解説も交えてくれた。

量産する工業製品を構成する部品には「公差」があり、寸法や傾きなどに一定の幅を許容している。この公差を達成することが難しいほど「精密」と呼ばれる。鈴木氏が研究した中古カメラには、ピント精度に影響するフィルムレール⾯において、公差や経年劣化によるとみられるバラツキが0.01mm単位で存在していたようだ。量産性を考慮しない彼のカメラでは、そのバラツキが全くない“0”を狙っていくという。

素材も、あえて加工のハードルが高い鉄を主に使用している。鉄を精密加工するのは難しいが、技術的に学ぶ部分も多いことから、あえて挑戦しているそうだ。そして、最終的にはチタンやステンレスで作ることを目指している。あくまで鉄は練習段階のようだ。

治工具の写真。これを工作機械に装着し、万力などでは扱えない形状の加工対象を保持する。完成品の精度に影響するため自作する必要があった
ボディの加工工程

ちなみに、いわゆる昔のライカ型カメラによくある構成は、上下カバーが真鍮のプレスで、シャーシ部分はアルミのダイキャストというもの。真鍮は柔らかいため加工しやすく、アルミはダイキャストで成型できる。

鈴木氏が既存のフィルムカメラを見て感じたことは、「なぜフィルムレールは光っているのか?」だった。最終組立後にフィルムレール部分を切削加工してフィルム面とマウント面の平行を出すことで、カメラの生産性を確保するためと分析しており、量産品には最適解だが理想とは違った。黒い表面処理を削り取ってしまうことで内面反射の懸念もあるという。

そこで、「研削加工で極限の高精度を出す」「歪みづらい鉄を使う」「前板を持たず、マウントとボディの2ピースにして積み上げ誤差を減らす」という考えで、後から切削加工を行わない“黒いフィルムレール”で高精度を表現する。

もちろん周知の通り、写真フィルム自体の厚さや平面性がコントロールできない点は割り切って、カメラボディ側でできることを完璧にやろうという発想だ。1950年代~60年代の文献を多く読み込んでいるそうで、当時のノウハウや課題も踏まえて設計されている。

参考文献の数々。カメラ設計のために1953〜1965年の「写真工業」を150冊ほどと、朝日ソノラマ、ニューフェース診断室のメーカー別ムックなど。同様に光学設計やレンズ加工、機械加工の専門書なもあり膨大だ

各部品の加工は、自らレストアした加工機械で、全て手作業で行っていく。鈴木氏は本業で金属加工に携わっているが、そちらでは主に最新の数値制御マシンを使用。カメラ製作で使っている手作業の加工機械については、ほぼこのために独学しているという。

資格として、数値制御旋盤1級、汎用フライス盤1級、汎用旋盤1級を保有。これも仕事のためというより、カメラ製作に活かせると考えて、難しい1級まで勉強したというのが実際らしい。仕事とライフワークを相反するものとせず、それぞれのベクトルを近づけていくことで両立させているわけだ。

製作中のシャッター機構。ドラムと供回りする部品を無くし、余分な抵抗をなくすことを狙った設計

機械工、オスカー・バルナックへのリスペクト

そんな鈴木氏がシンパシーを感じる人物として名前が挙がったのが、ライカを考案したオスカー・バルナックだった。ドイツのカールツァイス、そしてエルンスト・ライツで機械工として働きながら、趣味の写真撮影のために小さな35mmフィルムを使うカメラを考案した。それが市販されたのがライカであり、現在の35mmカメラの礎でもある。

ライカを考案したオスカー・バルナック。1933年に仕事場で撮られたこの写真は有名だ。(ライカカメラ社の広報画像)

そう聞くと、冒頭の鈴木氏のプロフィール写真にニヤリとするカメラ愛好家も少なくないはず。機械工の偉大な先輩に敬意を表して、1933年にバルナックの仕事場で撮られた写真をオマージュしているのだ。机の上に置かれたカメラの角度まで研究しながら再現したとのこと。ものづくりの究極を目指しながら、こうした遊び心も忘れないところは素敵だ。

「何で撮ったかに価値が宿る時代」

個人で究極のものづくりを目指すスタイルには、腕時計の「独立時計師」という存在が重なる。大きなメーカーに属さずにこだわりの時計を作る職人のことで、国際的なアカデミーがあったり、日本国内でも作品や技術を紹介するイベントが行われている。

とはいえ、カメラを部品ひとつからファインダーのレンズまで自作するというのは、世界的にも珍しいだろう。少なくとも筆者は他に例を知らない。実際に鈴木氏も、カメラ製作は1人きりで孤独感があると話す。

それでも腕時計が芸術作品になるのであれば、カメラにも同様のポテンシャルがあるはず。それが、小学生時代に金属カメラに触れて以来、機械の魅力に取り憑かれてきた鈴木氏の信念だ。

個人製作だからこそ、市場性やコストを無視した究極のカメラが作れる。AIの時代だからこそ「その写真を何で撮ったか?」に価値が宿る時代が来ると信じており、その時に使われるカメラの選択肢になりたいのだという。

今後の計画

2026年に試作2号機の設計と製作、そして2027年に製作予定の3号機では、いよいよ販売を目標にするという。具体的な販路は未定だが、すでに世界中から「欲しい」というメッセージが届いており、海外のオークションハウス関係者にもSNSをフォローされているため、いずれそうしたカメラオークションに出品できたら……と希望を語ってくれた。

生産のペースは、サラリーマンを続けながらであれば年間1〜2台の見込み。専業になれば年間5台が見えるが、生活との兼ね合いもあり、そこまで踏み出すのはまだ現実的ではないと考えているそうだ。

最後に鈴木氏は、このカメラ製作というアートを通じて、「エンジニア」や「加工技術」そのものに対する注目度がさらに高まってほしいという目標も語ってくれた。これを表現する媒体として他ならぬ「カメラ」が選ばれていることは、カメラ好きの我々にとっても嬉しい話。SNSのアップデートを通じて応援しながら、完成を楽しみに待ちたい。

ライター。本誌編集記者として14年勤務し独立。趣味はドラム/ギターの演奏とドライブ。日本カメラ財団「日本の歴史的カメラ」審査委員。YouTubeチャンネル「鈴木誠のカメラ自由研究